どうなんですかね? 結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです
- 話し手
- 20代男性
- 聞き手
- とりのささみこ
えっと、兄がいるんですけど。双子の兄がいて。いま岐阜で、大学院の博士課程に行ってます。あんま知らないんですけど……電波っていうのかな?
5Gとか4Gとかあるじゃないですか。たぶん、そういう系をやってて。6Gがどうとか。そういう風に聞いてますけど。あんまり知らない。
子どもの頃は、学校とかずっと一緒だったんですか? それぞれの進路を、いつぐらいから見つけて行ったのかなと思って。
学校は、中学校までは一緒。高校からは別のところ行ったんですけど。
……でも、僕は野球。
小学校3年生から、部活じゃなくて、クラブチームで野球を始めて。で、向こうはソフトボールを始めたんです。
どっちが先かはちょっと覚えてないんですけど…親的には、あんまり一緒のことはさせたくなかったらしくて。一緒にやってたら、ずっと一緒にいるじゃないですか。
なんで、「別々でやらせたかった」っていうのは聞きましたけど。
僕が野球を始めたのは、近所に住んでた1個上の友達が先に野球を始めてて、見学行ったときにすごい「かっこいいな」と思って。そのときに、始めました。だから(兄と道が)別れたのはそれぐらいです。
で、向こうはずっと学校の方でやってて、僕はずっと外でやってたんで。
野球……野球から、別れたのかもしれない。
野球をやる前から、体を動かすのは好きでした?
そうですね。実家の隣が、駐車場だったんですけど。
そこにブロック塀が、まぁ低いやつですけど。外壁の、これが外壁だとして(右手をたてる)。ここにブロック塀がこう、回っていったのを(左手を、右手と並行に向き合うように出す)。普通に乗ったら落ちるんですけど、なんとかこの、家の壁をつかみながら最後まで渡るっていう……
いま考えたらぜんぜん面白くないですけど。それをなんかずっとやってました。
兄と、そういう名もなき遊びをやってたと思う。
お兄さんと仲がよかったんですね。
はい。仲は別にいいです。小さい頃は一緒にいました。家にいるときも、なんかしら一緒にやってた。常に友達が家にいるみたいな。
野球を始めてからは、小学校のときはけっこう週5ぐらいでやってたんで、あんまり、遊んでなかったかもしれないですね。遊べる日はすごい限られてました。
あと、水泳もやってたんで。週6で、なにかしらやってた。
だから1日だけ遊べる……か、学校終わって、その野球が始まるまでの間。たぶん7時ぐらいからだったと思うんで、その限られたとき、2時間3時間ぐらいで遊んでた気がします。
ストイックですね。
でもなんか……(野球は)好きだったんですけど、「今日も頑張るぞ」っていうよりかは、ルーティン的な感じに練習してた。あんま頑張ってるっていう意識は、うん、なかったかもしれない。
すごい。なんか自分の住んでた町より田舎って思いました
練習に行くモチベーションとしては、決まった時間に行ってるみたいな。もちろん練習はちゃんとやりますけど、行くマインドとしては「行きますか」だった気がします。
そう……なにも考えずに行ってたと思います。
小学3年生で自分から始めるっていうのが、そもそもちゃんと考えてるなと思いますけど。
うーん。もしかしたら、なにかしら親の、なんかはあったかもしれないです。意識的に連れて行かれたのか、ちょっと記憶はないですけど。
でもその体験会に行って、友達がやってたのを「かっこいいな」と思ったのは、すごい覚えてるので。
建築の仕事に興味を持ったのは?
それは、高3の夏。割と際(きわ)です。
まぁ、理系っていうのはあったんですけど、理系だったら、受験の科目ってだいたい一緒じゃないですか。
だから、理系の中でどこに行こうかなっていうのはずっと決めかねてて。で、オープンキャンパスに行ったときに、「建築、面白そうだな」って思って決めました。
大学は地元ですか?
大学は、本当は横浜の方に行きたかったんですけど、落ちたんで、すべり止めで広島の方に。
広島の大学に。どうでした? 広島。
広島は、すごい田舎でした。すごい。なんか自分の住んでた町より田舎。って思いました。(JR広島駅の)駅周りとか、あの辺すごい都会じゃないですか。
そうじゃなくて、その、もう1個隣の東広島市っていう、空港があるとこ。そこに大学があって、すごい山の中だったんですよ。僕の実家よりも田舎でした。
じゃあ、そこから、建築の勉強を始めて。なにに惹きつけられたんでしょうか?
えーと……理系に行くと決めたものの、いまいちなんか、やりたいこともなくって。
で、オープンキャンパスにちょこちょこ行って。横浜の大学に行ったときに、建築のところを見に行って。
いっぱい建築の模型が置いてあったんですけど。それを見て、面白そうやなって思った。それだけです。それだけで決めました。
やってきたことを手放すのは、すごい怖いじゃないですか?
ちっちゃいときから、レゴブロックとかあるじゃないですか。あれは、やってたりして。なにかをつくるおもちゃって結構あると思うんですけど、そういうのは割とやってたんで、もしかしたら繋がってきてるのかもしれないです。

いやでも、いま考えると、レゴブロックってみんなやってるじゃないですか。わりと。やってると思うんですけど、みんなやってる中で、建築に進んでない人もいるわけで。
「じゃあなんで自分が建築に行ったのか?」って考えると、ちょっとわかりません(笑)。
わからない(笑)。
ちょっといま、ぱっとわからない。なんでか。
建築学科に進んだからといって建築の道に行かない人も、やっぱりいるんでしょうか?
います。でも1割……ほぼほぼ、建築の仕事はしてると思います。9割ぐらい。
ちょっとずれて服飾の方に行ったりとか、デザイン系で違うとこ行くっていうのはありますけど、やっぱり……4年間勉強するわけじゃないですか。それを捨てるのに、たぶん勇気がいるんだろうなと思います。
違うことしたいと思ったこと、ありますか?
えー、それは常々思っています。
もちろん建築をやるのは好きなんでいいんですけど、けどまぁ……「いろんな仕事をしてみたいな」とは思いながら。
けど……さっきの話で、やってきたことを手放すのはすごい怖いじゃないですか?
ほんとは思い切って違うことしたいっていうのは常にあります。もしなにかで建築ができなくなったとしても、別にいいかなとは思ってます。
具体的にやってみたいものってあるんですか?
えーとー、料理人とか。
お店を自分で持ってみたいなとか。
とか、思ったりはします。楽しそうだなって思います。ぜんぜんその、辛い部分を僕は見てないのでわかんないですけど。
かっこいいなと思ってるっていう、その程度です(笑)。
いつか自分のお店も設計してみたい、って思います?
まぁ、そうですね。考えますけど。たぶん難しい。設計しながらカフェをやってる人とかいるんですけど。結局どっちかになってる事例はよく見ます。カフェが忙しくなって建築できないとか。
なんで、設計者としては、自分はそこには立てない気がします。
自分が店に立つ機会があれば、建築はちょっとやめないといけないと思います。
すごい時間、取られると思うんですよ。両方。だから両方やるっていうのは難しそうな気がします。
建築学科に進んでから、それ以外の道の人と交流する機会って、少なかったりしますか?
そうですね。大学のときは他の人とあまり関わることはなかったんですけど。
東京に来てからの方がそういう人との関わりは増えてるような気がします。
その、街との、なんか、関係が切れてるなと僕は思ってたんです
古着屋さんに行ったりしたとき、そこの店長の人と仲良くなってとか。その人が違うお客さんを紹介してくれたりとかっていうのは、やっぱ東京に来てから増えたと思います。
自分がいちばん仲良くしてもらってる古着屋さんは、吉祥寺のところで。そのとき髪を切ってもらってたのも吉祥寺だったんですけど、たまたまその古着屋さんと美容師の人が友達で、とか。
なんかそういうのがあって繋がっていったりはしました。
僕は、自分からぐいぐいは行かないんですけど。
むしろそれぐらいの方が、自分に合う人が寄ってくると僕は思ってるので。うん。自分からはあんま行かない方が、いい人に巡り合えると、僕は思ってます。
で、その古着屋さんも僕に合いそうな人を紹介してくれたりとかするんで。
やたらめったらっていう感じではなくって。 なかなか自然とそういう人が寄ってきてくれる感じはあるかな。
こどものときからそんな感じでした?
いや、たぶん野球……でも、そうですね。そうかもしれない。中学校ぐらいからはそんな感じ、かもしれないです。
積極的に人に関わりに行くことはそんなにしてはこなかったですけど、なんとなく友達はいたりとか。
だから、たまになんで自分に友達がいるのかって思うことはあるんですけど。
たぶん、中学校くらい。小学校は1クラス20人、行くか行かないかってとこで、まぁ、全員仲いい。仲いいっていうか、全員と関わる、みたいな感じだったんですけど。
中学校からは、それが1クラス30人とかが5クラスぐらいの普通の一般的な規模になって、人が増えたんで、その辺で変わったのかもしれない。
大学院は、東京だったんですよね。どうして、広島の大学から東京に進学しようと思ったんですか?
大学、広島じゃないですか。で、…都市。都市の勉強をしようと思ったときに。広島に、都市はなく。
いわゆる、東京みたいな都市のことを勉強しようと思ったときには、周りに都市がなかったら勉強できないなと思って。東京でもう一回勉強したいなと思って、東京に行こうと思って、来ました。
都市の勉強がしたかった?
大学のときに……彫刻みたいな、建築。その、それ一つでなんか完結するような、どこに建っててもいいような建築をつくるような人が、僕、大学のときの建築の先生がそうだったんですけど。
そうすると、そこに立つ理由があんまりないというか。その、街とのなんか、関係が切れてるなと僕は思ってたんです。
ストーリーとして、その場所にはもう、時間が流れているじゃないですか
結局、そういう建築の集積で街ができてるわけじゃないですか。ってなったときに、都市のことを、町のことを考えて建築をつくらないと、街が崩壊していくというか。
なんか自由な彫刻みたいなものばっかりができていくと、町が変なことになるなっていうのはあったので、しっかりと土地、都市のことも含めて、建築を考えたいなと思ったので。それで、都市の勉強をしようと思いました。
勉強してみて、どういう変化を感じました?
うーん。これ、食べていいですか(お菓子に手を伸ばす)。
街を、見る視点というか。うん。なんか、変わったかなと思います。
例えば、その辺歩いてても。いまアスファルトだったとしても、もともと川が通ってたところに蓋をしてたりするんですけど。そういう、なんて言うんですかね。歴史を、紐解いていくみたいな。
そうすると、いまは失われてるけども、元々その土地にあったものが見えてくるとか。
そういうのがまぁ、そのへん歩いてるだけでも見つかったりするんで。普通に散歩するだけで、もう景色は変わってくるのかなって思います。
地図を見たりしても、たとえば、どの道が昔からの道とか、昔の地図とか見たりして比較すると……それこそ三鷹とか。中央線が横に通ってるじゃないですか。ああいう水平な、幾何学的なものって昔はなくって。
ああいう、なんて言うんですか、近代化によって人に壊されたコミュニティがあったりとか。そういうのが見えてきたりはしますね。
いまの仕事にも、活きてくるものがありますか?
あると思いますね。結局、建築をつくるときに、どういう建物を建てるかって考えたときにはやっぱり1個のストーリーとして、その場所にはもう時間が流れているじゃないですか。
だから、その、どういう経緯があって、いまその場所があるのかっていうのを考えないと、結局、一つの切り口でしかない。
どういうストーリーでその建築を建てるのかっていう、その…信憑性というか、それを建てる意義みたいなのを見出すときに、やっぱり歴史ってすごい強い。
積み上げられているものなので、説得力が。逆に言うと、説得力を出したいときとかにも必要不可欠になってくかなって思ってます。
いろんなことに対して、理由をちゃんと考えてるんですね。
どうなんすかね? 結構、直感で生きてると思ってはいるんです。
けど、直感と言いつつも、なにかしらの思考が働いてるのかもしれないです。
たぶん、高校のときに野球部の監督が。高校の野球界ではぼちぼち有名な人だったんですけど、この人の影響だと思います。
あ、でも東京がいちばん。東京っていうか、このいまがいちばんいいかな
わりと高校野球って、体育体系というか、がむしゃらみたいなイメージあるかなと思うんですけど、そうじゃなくて。
高校は進学校だったんで、勉強をしなきゃいけないと。だから、19時に学校が閉まるんです。
そこまでしか練習はできないんですけど、監督が言ってたのは「進学校なんだから、頭を使って。限られた時間しかないから、意味ない練習するんじゃなくて、しっかりと効率よく、こういう理由でこの練習をするんだ」って言われていたので。
なんで、そこかもしれないですね。ちゃんと理由があって練習をしてるっていう。
尊敬できる人でした?
尊敬できる人ですね。
結局、そう。周りにいい人がいたのが先なのか…後から寄ってきたのかはちょっとわかんないですけれども。
引き寄せてるような気がしている。
引き寄せてる。
確かに、悪い人はいない(笑)。いない気はしますね。自分の周りに。
人と衝突とかも、しなさそうです。
あー、しないですね。衝突しないですし、あんま衝突するような人も、いないですし。
衝突を、避けるようにしてる…衝突しないようにしているし。衝突したとしても、たぶんあれか、自分が折れるのかちょっとわからないですけど。
友達とかはあんまり衝突しないし、家族もまぁ、昔はしてたのかもしれないんですけど、いまはそんな衝突もしないので。
まぁ、そうですね。お付き合いする人と、かもしれないです。衝突するとしたら。衝突するってことは、真剣に向き合ってる証拠でもあると思うので。
家族なり付き合う人と、衝突。付き合う人とは衝突があるべきだなと思いますし、その衝突を逃がせる友達とはあんましない。衝突しない方がいいのかなとか。思います。
家族と衝突、「あったかも」っていうことは、そんなにすごい喧嘩をしたような記憶もないってことですよね。
ないですね。あんまり。進路とかそういうなにかに対してあまり反対されたことは、あんまりなくって。
妹はなんかいろいろ言われてるみたいですけど。でもたぶんそれは妹が親に相談してるって聞いてるんで。僕はその、相談とか別にしなかったんで。
だからそんなに、あんまりぶつかることなかったのかなって感じですね。
地元と、広島と、東京。住んできてどこが自分にしっくり来ます? いちばん。
うーん。あ、でも東京がいちばん。東京っていうか、このいまがいちばんいいかな。
実家は実家で、まぁ、いいですけど。別に楽しくはないので(笑)。
田舎の、こっちにいる友だちとか、こっちで育った友だちとかは、地方に行くと「いいな」って言ってますけど。「こんなとこ住みたいな」とか言ってますけど。
けど、別にまぁ…東京ぐらいの情報が溢れてないと、物足りない感じがしますね。
東京にはまぁ、だいたいあるじゃないですか。いろんなものがだいたい揃ってて。別にいらないものは省けばいいだけなんで。
でも、ないものはどう頑張っても摂取できないわけです。広島にいて、街の勉強するとかは、無理なんで。
ある中から自分で取捨選択できる方が、なんとなく豊かなような気がします。
生活史を聞いて:ミニインタビュー
とりのささみこさん
そんな人同士が、近いところに住んでいて、でもすれ違っていくんだな
私、人と話すのが苦手だったんです。自分の話をするのも、質問するのも「気を悪くさせてしまったらどうしよう」とか、怖い気持ちがあって。
でも生活史を通じて、人はそれぞれ違う生き物だけど、自分の中で思っていることや過去の経験を出し合っていく中で、共感できるものがあったり、逆に「ここは違うな」と気づかされるものがある。そういうことが必要だから、みんな会話をするし、書くし、読むんだろうなって。
こんなに違う生き方をしているのに、共感できる部分がある。そんな人同士が、近いところに住んでいて、でもすれ違っていくんだな、ってことに気づけたのがすごい良かったな。
エッセイを読むのも「道ですれ違う」みたいなことかな? と思うんです。個人的な体験や、思っていることが書かれている。ぜんぜん違う場所で、ぜんぜん違う人生を送ってきた人と、文章という形ですれ違うような経験だから、エッセイって面白いなと思うんですけど、それに似たものを感じた。
彼とこれから友達のように仲良くなることはたぶんないと思うけど、聞いていた時間だけ、ちょっと友達みたいに喋れたのは良かったな。生活史をやらなければ絶対になかった出会いなので。
道ですれ違って、互いになにか気づくわけだ。
人生は交わってこなかったけど、共感できたり楽しくお話できる人がいるというのは、なんか人の人生って…なんて言うんでしょうね。孤独になり得ない。
気づいていないだけで。
みんな一人で生きているんですけど、その中でも共感できたり、互いのいいところに気づけたり、自分の中の知らないところに気づかされたり。そういうことがあるから、人は繋がったりするんだろうな。
付き合いが長くて、改めてじっくり話を聞いてみたいとか、そういう「あらかじめ」がなにもない人だったんだもんね。
だからこそ思うのかも。本当に人生の一瞬の2時間とか3時間、その人の「生きてきたこと」を聞く、というのが不思議な体験でした。
やっぱり、人と話すとか出会うって面白い。 それを通じて自分にも新しく出会っていけるような。
ネットって匿名で傷つけ合うことが起こりやすい。その向こうにも、ちゃんと名前と顔のある人たちがいるのを、ふと忘れてしまうことがあるのかな? と思っていて。
名前も顔も知らなかったその話し手のかたと出会って(注:「世田谷線」のLINEコミュニティで募った模様)、話を聞いて、まったく知らなかったはずの人生なのに、その中に自分にもリンクするところがあった。
たぶんすべての人の中に、自分とちょっと繋がったり重なるところが少しづつあって。そういうことに気づけたら、人に優しくできるんじゃない? って。
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