制作日誌

6月

筑摩書房の編集者・柴山浩紀さんと、駒沢の生活史のファシリテーター・西村佳哲さんのトークイベント。生活史というものの、絶妙な按配に触れる。あの150人の生活のかたまりは、柴山さんが岸さんとやりとりを経て、丁寧に足を運んできたからこそ、積み上げることができたもの。これをやるのかあと、背筋が伸びた。イベント後、数人からの募集あり。「あ、あの人かな?」と思える距離感がうれしい。

現在の申込者数は、41名。定員をすでに超えているがもう少し、駒沢に暮らすひとたちが「偶然に」この取り組みを知る機会をつくれないかと話し、急遽、募集チラシを配布することにした。今日刷り上がり、夕方、三軒茶屋の書店さんへ。店主さんが「とても尊い取り組みだね」と伝えてくださった。その尊さが、ふつうになるといい。小さな町でやろうとしているこれは、そのための活動なんじゃないか。

暑い日。今日は、チラシを駒沢近辺の施設に置いていただけないか、その相談に、編集長の望月さんと歩く。思っていたよりもずっと、みなさんとても親切に対応くださった。「いつもこういうのは置いていないんだけど」と前置きしつつ、「地域のためなら」と置いてくださる方もあった。町のひとたちと関わるときはいつも、駒沢こもれびプロジェクトの拠点「こもれびスタジオ」で迎えることが多いが、こうして歩いて出会っていくと、景色はあっさり変わっていく。知らないひとたちがたくさんいるんだなと、当たり前のことを思い直す。

 

西村さんからのメール。募集を始める前から議題にあがっていた「定員を50名まで広げようか?」という話。編集工数と予算、会場キャパとの兼ね合いがある。熱量たっぷりの応募テキストを読んでいると、できるだけのひととご一緒したい、と思ってしまう。別日に、西村さんと望月さんと三人で、打ち合わせを設けることになった。

こもれびプロジェクトの公式ラインにて、最後のお知らせ。募集は最終週に差し掛かる。ポツポツと届いていた通知が、連日届くようになっている。

申込者数が50名を超える。定員を50名に増やしても、確実に選考を行うことになったわけだが、どうやって選んでいくのがいいのだろう。

募集の締め切り日。最後までたくさんの申し込みをいただき、67名が募った。

夕方、西村さんと望月さんと打ち合わせ。選考も行った。西村さんが「話し手が話したいことを聞く姿勢が大事」だと繰り返していたのが印象的だった。来週中頃、みなさんへ結果を通知するメールを出す。

ご一緒する方と、残念ながら選外となった方に、それぞれメールを送る。68人にメールを送ったわけだが、「ひとりと68人」ではなく、これは「ひとりとひとり×68」なんだな、と思った。これからプロジェクトが続くうえでも、この感覚は忘れたくない。ご一緒する方には確認のため、返信を必須としたので、フォルダを開くと山のようにメールが届いていた。みなさんの熱量に圧倒される。

今日もメールがたくさん届く。いよいよ始まるなあ。選外の方からも何名か返信をいただいた。「駒沢の生活史への参加を検討すること自体が、家族と話し、自分と向き合う機会にもなりました」とご連絡をくれた人もいる。「こもれびプロジェクト全体を応援しています!」という声もあった。ありがたい。気が引き締まる。

7月

7月13日のオリエンテーションに向けて準備が始まる。西村さんとともに、当日のタイムライン、必要な持ち物などを調整する。これから本格的に始まっていくメンバーとのやりとりには、メーリングリストを作ることにした。わたしができることというと、よりよいコミュニケーションしかない。始めを丁寧に整えるのが大事だと思う。

参加メンバーのみなさんへ、オリエンテーションについてメールを送った。当日は、オリエン後にお茶会を開くことにしている。西村さんの提案。今はメール上でしかやり取りできていないメンバーのみなさんと会えて話せるのが、純粋に楽しみ。

参加メンバーが話をしてくれる相手に対して、「駒沢の生活史」プロジェクトを説明するための資料を準備している。西村さんが主導。プロジェクトの語り方を決めていくことは、このプロジェクトはいったい何なのかを自分自身に知らせることでもある。「生活史とは、何なのか?」をまだわたしは掴めていないなと思う。

西村さんがつくった生活史のサンプルを、参加メンバーに共有。わたしも読む。かなり繊細で個人的なこと、センシティブだろうと思われる内容なのに、読んでいて、ああ、楽しそうでいいなあと思う。きっと話せてよかったんだろうな、ということが、しみじみ伝わってくる。

オリエンテーション当日。参加メンバーのひとたちが、やっと立体的になった。安心する。よい雰囲気だった。終わりにはお茶会を開いた。こうしてメンバー同士が話す時間が、町にとってもきっといいものなのかもしれない。このひとたちとやっていく実感が、今更だけれども湧いてきた。わたしは事務局(裏方)として、このひとたち全員が、話し手との時間を、おだやかに安心して終えられるように尽くすのが役割。

参加メンバーへ、昨日のオリエン資料と来週20日のワークショップの案内を送る。と、西村さんからフィードバック。「あまり丁寧すぎる言葉遣いをとらない方がいい。お客様じゃなくて、一緒にプロジェクトを進める仲間に送っているのだから」。そうでした、と返事をする。40人に向けて送るぞと思うと構えてしまうけれど、そう、仲間なのだった。20日のワークショップ前に、オリエンテーションに参加できなかったひとに向けた、復習タイムを設けることになった。

メーリングリストでのやりとりが本格化。西村さんからの投げかけに、アドバイザーとして参加くださっている、『東京の生活史』経験者・イトウヒロコさんが応答。「とにかく『語り』が大切なので、いろいろ策を考えすぎなくてもいい」「東京の生活史では、語り手を傷つけないことが最重要だった」という言葉が印象に残る。

さっそく参加メンバーのひとりから、話し手が決まって場所を借りたいという連絡があった。相談されやすいひとであるには、どうしたらいいのだろうと考える。

「小さな植木屋とお花のお店を営む、おばあさま」に話を聞きたいが、「かなりのご高齢なので、ご本人による文章の確認が難しそう。その場で私が、それを読み上げて確認をしていく、という形になるのかも」という連絡があった。メンバーの本人は悩んでいるようにメールをくださったが、きっと「おばあさま」からしたら、そうして寄り添ってもらうことは、喜ばしいことなんじゃないかと思った。西村さんからも背中を押すようなメール。よいほうへ進むといいなと思う。

「生活史の聞き方」のワークショップ。西村さんが毎季行っている「インタビューのワークショップ」のエッセンスを、生活史の聞き方として提案する時間になった。岸さんがいうと「同じ舟に乗っていく」。西村さんの言い方でいうと「話し手についてゆく」。そんな聞き方。参加メンバー数名に感想を聞いてみると、イキイキと聞き取りを楽しみにされた様子だったり、ピンときていない様子だったり、さまざま。生活史はおそらく、話し手と聞き手との間が豊かであればよく、聞き方にきっと形はない。「そのぶん、提案が難しいね」と西村さん。身体で感じたい方にむけて、「西村さんが、あなたの話を聞きます」という体験の機会をお誘いすることにした。

今日から週報を送っていくことに。次にメンバーで揃うのは1ヶ月後なので、その間にも他のみなさんの息づかいを感じられるように。「みなさんの状況がわかり、安心します」と返事があった。

相談や、聞き取り完了の連絡が飛び交った。本業をライターとする参加者も多いからか、「いつものインタビューとは異なる実感に、これでいいのかな?!と思いました」というひとも。報告メールからは、なんとなく心が弾んだような様子も感じられ、きっとよい時間だったんだなあと想像できた。このプロジェクトの価値のひとつは、そんな時間が40人分積み重ねられていくことにあると思う。現段階で、話し手が決まった(アイデアがまとまった)と連絡をくれたひとは半数ほどになった。

8月

午前、西村さんが参加メンバーの話を聞き、生活史の聞き方を体験する会が数件。午後から、相談お茶会1日目を開催した。対面でのお茶会。参加者は少なく、『東京の生活史』経験メンバーのみが集まった。「東京の生活史は、この相談会がメインってくらい楽しかった」と、口を揃えて言う。相談会での岸さんの話が、とても有意義でよかった。他のメンバーの進捗を聞くだけでも楽しかった、とのこと。駒沢の生活史の場合、「まだ相談できるようなことがない」と思う人も多かったのかもしれない。次回は「進捗報告会」という名前で、オンラインのみで開催してみようと、西村さんと話した。

週報を送る。先週で聞き取りを終えたのは、4名。話し手が決まったと報告があったのは19/40名。「聞き取りが3時間近くに及んだ、もっと話を聞きたかった」という報告があった。

西村さんが提案する「生活史の聞き方」を体験した、あるメンバーから感想がメーリングリストに共有された。「私だったら、『どう声をかけるのが正解だろう』と考えてしまう場面も、西村さんは『適切な対応をしようと考えていない』。『どう反応するべきか』と考えている時点で、矢印が自分に向かっているんだな…とハッとしました」という言葉が印象に残った。

一日中、駒沢こもれびスタジオで、西村さんの「生活史の聞き方」個別レッスンがあった。18時半からは、オンライン報告会。十数名の参加。それぞれの進捗を報告し合う。進捗を聞き合うことが、みな楽しそう。終わった後、「他のメンバーと聞きたいひとが被ってしまった」と相談の連絡あり。西村さんからは「同じ話し手に二人が聞くのは、本人(話す人)がOKならいいと思います」と返事。聞く人が違えば、出会う話もきっと違うものになる。駒沢の町を、より立体的にすることにもなりそう。

週報を送る。聞き取りを終えたのは、8名。話し手が決まったと報告があったのは16/40名。世はお盆。聞き取りが粛々と進んでいる。

進捗が滞っているメンバーが少なくなってきた。フォローアップとして数名に連絡。とても困っている!という人はいなさそうだったので、少し安心。なかには、奥様に話を聞くことにしたという方も。改めて話を聞こうと思う、その心持ちに興味が湧く。

「今までスタッフ宛に届いていた進捗報告を、これからはメンバー全員に宛ててもらうのはどう?」と、西村さんから提案。このライブ感が一度に全員で共有できると、気持ちよさそうだなと思う。次回の報告会で呼びかけることに。メンバーもスタッフも全員で、輪を囲むようなコミュニティになるといい。西村さんは「広場化」と言っていた。

 

高校生の参加メンバーから「受験と被っていることもあり、なかなか話し手を見つけられない」と連絡。情報求む!と西村さんが呼びかけると、3人のひとからすぐにレスポンスがあった。

18時半からオンライン報告会。今回も8名ほどの参加。話していると、みなさんの表情が明るくなっていく。さくっと終える。

週報を送る。聞き取りを終えたのは10名になった。今日から、ご自身の進捗報告を、全員宛に送ってもらうようお願いしている。

参加メンバー同士での進捗共有が飛び交った一週間。それぞれが、それぞれの報告を、注意深く読んでいることも伝わってくる。週末に行う「生活史の書き方」ワークショップの案内をメールで送る。このワークショップには、駒沢こもれびプロジェクトのドキュメンタリーを撮ってくれているHくんという大学生が来る旨も伝える。

台風が近づいてきている。ワークショップが開催できるか、ひやひやしながら見守る。(オンラインに移行する可能性はあるけれど、いずれにせよ開催する予定。)

書き方のワークショップ当日。台風はかなり遅れ、無事に開催できることになった。午前にレクチャーを終え、午後は質疑応答と、西村さんが準備した余興をした。互いの話したいテーマを宣言し合い、小さなグループをつくり、交流するというもの。西村さんが前から話している「広場化」のための取り組み。お昼の時間に、「あ、そのふたりが一緒にごはんにいくんだ」と思うことがあり、関係性が静かにできてきているのが感じられた。いよいよ原稿があがってくるのだという実感が湧き、緊張感の増す日でもあった。ワークショップにどちらも出られなかった人を中心に、オンライン補講を開くことになった。

9月

メーリングリストに、駒沢の最新情報を教えてくれるひとあり。いい流れだなあと思う。

原稿 第1号が届いた。そのひとのどこかに(色濃くとも、色濃くなくとも)ひとつの街の存在がある、ということは面白いなと思う。不思議な経験。

2本目の原稿が届いて、読む。原稿を戻すときの編集部内の流れを整えてなかったので、西村さん、望月さんと相談。どこまでコメントを入れるのか、難しい。生活史の編集って、どこまで提案してみるのがいいだろう?

10月

「これ以上削れなくて…」という相談をいくつかいただいたり、届いた原稿を読んだりする。具体的に原稿をもらったことで、編集部のなかで見えることも広がってきた。そのなかで、なんとなく必要性を感じ出し、もう一度「生活史の書き方」ワークショップを開いてみることに。今回はオンライン。そのひとが話した振る舞い、姿を、どうしたら生活史として残すことができるのか。参加メンバーと一緒に話していく時間。

生活史の語り手を苦戦しながらも探していたメンバーから、「ようやく見つかりました!」と連絡。ほっとする。

原稿が届いたり、相談が具体的になってきたり、季節はいつの間にか秋になっていたり(暑いけど)。ここからが生活史の始まりなのかもしれない(忙しくなってきた!)。

11月

校了まで進んだ方がひとり。「書き終えて、どうだった?」と、西村さんがミニインタビューするという企画が新しく始まった。語ったひとにも、聞いたひとにも、大切な体験として残ったんだ、ということが沁みるように伝わってくる。こんなひとが、駒沢のどこかに住んでいる、あるいは、住んでいた、と明らかになっていくのが嬉しい。(あっという間に月末だ。)

12月

深沢中学校の美術部のみなさんに、「駒沢の生活史」を1本1本読んでもらい、絵を描いてもらうことになった。こうして生活史が地域に染み出していくことは、とても嬉しいことだと思う。(制作日誌のどこかで紹介します。)

参加メンバーの締め切りは、年末に設定していた。ゆえに12月に入ってから、どっと原稿が届くようになり、やり取りも活発になり、あっという間に年の瀬に……! 23日現在、校了している方は14名、初稿を送ってくれたのは24名。みなラストスパートを迎えている(はず)。今日の週報には、「年末の熊谷に休みをください」と冗談まじりに書いておいた。1つ1つの文章が、人生そのものの質感を持っている。重たいボールを大切に打ち返す。

大晦日。現段階で、29名が初稿を終えた。まだ見られていないものもあるので、正月期間に読んでコメントを戻す。

1月

今日は、みんなで最後に集まる場として「お疲れさま会」を開いた。これからの生活史の展望を共有したり、参加してみてどうだった?を改めて話し合ったりした。

 

正月期間に生活史を一気に読ませてもらい、語り手と聞き手双方の「存在」のようなものをダイレクトに感じさせてもらっていたわたしは「みなの身体がここに集まっている」ということに感慨深くなってしまって、うまく話せなかった。

 

最後まで全員が走り切れるように、引き続きできることを。

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