駒沢公園は、ずっと身近にはあったかな
- 話し手
- 20代男性
- 聞き手
- 松本仁奈
思い出を話すと、駒沢公園によく泥団子づくりに行ってたね。駒沢公園っておっきな公園だけど、いろんな公園があるわけよ。馬公園、豚公園、りす公園、あとは広場もあったりね。砂場があったりとかそれぞれけっこう特徴はあるわけで。砂場があるって言っても、砂の質も違ったりするのね。俺たちが遊んでた頃は、その中でも特に馬公園の砂の質が良かったの。だから、馬公園でよく集まって、砂で泥団子をつくって、それをいかに綺麗につくり上げるかっていうのは、結構はまってた時期があったかな。
(笑)馬公園ね。
そう。みんなだいたい小学校ぐらいまで行ってたけど、小学校が終わってから集まっていって、でも泥団子ってさ、けっこう何層にもさ、こう、最初の泥状態からつくって、その周りを白砂で固めて、時間が経ったら、ちょっとこう、手で丸く削って、やすりみたいに削り上げていくと磨いていくと綺麗になるんだけど、で、もう一回それを泥つけて、白砂つけて、ずっと繰り返していくと、本当に綺麗なすごい固い泥団子が出来上がるんだけど、やっぱ、水とかを触ったりずっとしてるからさ、冬とかは結構痛いわけ。手が。だから、結構ずっとやってると、もう手がかじかんできちゃって。
砂ももう握れないみたいになっちゃったりして、そうなったら帰るタイミングだったんだけど。それで、帰りながら「みんなウィッシュできる?」って話をして。
ウィッシュ?
そう、DAIGOのウィッシュ。これがうまくできないと、もうそれはやばいって言って帰る時間になったかな。それが7時ぐらい。7時ぐらいになってくるとだいたいウィッシュできなくなってくるから、みんな帰る。
寒くてね。
そうそうそう。泥団子だけじゃなくて、全体を使って鬼ごっことか、人数が少なかったら一つの公園だけで鬼ごっことか、ケイドロとかして遊んではいたかねぇ。子供の頃は単純に公園としてしか使ってなかったけど。大人になってくると結構ジムとかあったりとか。そう。あと、1周2.1キロでちょうどいい距離だから、1周ランニングしてちょっと運動するみたいなことには使ったりはするし。
あと、よく駒沢公園だとさ、餃子フェスとか北海道グルメフェスとかやってたりするから、まあ、ときどき毎回行くほどではないんだけど、行ったりして。そこで食べたりするのかな。でもなんかね、あんだけおっきな公園が近くにあるっていうのは、結構個人的には嬉しかったけどね、色々。
夏になると、焼き鳥とかおにぎりとかをいっぱい並べて、そこでみんな焼いたりしながら食べる会があって
サッカーやるにしても、バスケを習うにしても、そこの体育館とか使えて。結構おっきなやつでやれるからさ。思いっきりできるわけ。運動とかも、一時期はプールもあったから、プールとかにも行ったし、そういう意味では遊ぶ空間になってたよね。駒沢公園は。
ちっちゃいときからね。
そうそう、そうそう。まあそういう意味ではうちの小学校、ドッジボール大会とか、地区であったときは入賞するぐらい強かった。ぜんぜん学校の規模的にはちっちゃいんだけどね。でも、それがやっぱ強かったのは、結構そういう公園で遊ぶ空間が整ってたから、みんな体力があったのかなっていう気がする。別にもちろん、近くの学校他にもあるんだけど。でも、結構スポーツは強かった学校だったと思うね。

小学校。
そう、本当、人数規模はちっちゃいんだけどね。地元じゃない高校に行ったけど、そこに行っても、小学校のときって、みんな結構すごかったんだなって。体育的な面ではね。みんな、あんまり外で遊ぶとかしないからさ、中高とかって。した人はいたのかもないけど、うちの学校はあんまりしない人が多くて。昼休みとかも、小学校ぐらいのときはいかに早く給食食べていくかみたいなところあった。中高はもう、みんなあえて出る人いなかったし。だから、みんなゆっくり過ごしてたよね。部活もあったから、別に運動をそこでする必要がなかったっていうのもあるけど。
でも、体育とかやってても、俺は別にそこまで小学校の頃は運動能力が飛び抜けてすごかったわけじゃない。でも、いざ中高行くと、おっきな世界見たらぜんぜんまだぜんぜん下の下だとは思うけど、俺でもけっこう動ける方として扱われてたから、やっぱ小学校の頃とかはみんなけっこう運動できてたんだなっていうのは感じてたかな。
へー。
それで、なんだろうね。昔の話をしたらさ、マンションの時代から一気に、一軒家に移ったんだけど。マンションって、いろんな人が一緒に住んでるしさ、誰かしら同学年の子がいるわけよ。
うん。
小学校の。誰かしらっていうのは、兄弟3人いるけど、それぞれにもいるのね、同級生がここにいる、ここにいる、ここにいるみたいな。だから、まあ一緒に学校行ったりとか、あと、マンションの自治会みたいな、交流会みたいのがあって、おっきな広場がマンションの真ん中にあるから、毎年夏になるとそこで焼き鳥とかおにぎりとかをいっぱい並べて、そこでみんな焼いたりしながら食べるみたいな会があって。
俺はただご飯をたくさん食べれるだけ食べれるのが楽しかったから、よく行ってたけど。
別に親たちはご飯食べるってよりかは親睦の方をやってた感じだったけど。そういうときはその同じぐらいの年代の子供たちと遊んで、なんか色々話してたのは楽しかったね。まあだけど、だいたいみんな中学、高校になってくるとさ、違うコミュニティができたりとか、家からも出ない、あんまり来なくなっちゃったりとかして、なんとなく無くなってきちゃって。
上の世代の子たちがあまり来なくなったりとかっていうのもあって、俺たちもだんだん離れてったけど、と思ったら最後、結局引っ越しちゃったから、もうなにもないまま来たんだけど。
そういう意味では、マンションの頃の方が、なんて言うんだろうな、地元の人と一緒になにかやるとか、結構多かった印象はあるかな。……うーん。一軒家になってからも、もちろん町内会みたいのがあってさ。
マンションって、コミュニティの中で生きるっていうことを実感する場、空間ではあるんだな
うん。
同じ区域に住んでる人たちで、回覧板を回してぐらいのレベルだったらコミュニケーションはあるけど、やっぱあんまりなにか一緒にやるとかはないし、誰がどこに住んでるかもだいたいやっぱ近くの4軒ぐらい。まあその同じ通り区域内、町内にいる人がちょっとわかるかな、ぐらいしかわかんないから、やっぱコミュニティに属するみたいな意味では、あんまり感じなくなってはきてるよね。
そういう意味では一軒家暮らしになって、犬も飼いたかったし良かったけど、ずっと犬も飼いたかったからね。だけど、なんかそういう繋がりっていうのはもうやっぱなかなか持ちにくいんだなっていうのは感じたね。いまもマンションに続いてんのかわかんないけど、昔はそういうのがあったかな。
ふーん。
それこそ、マンションのときとかはさ、やっぱいろんな人がいるからさ、ちょっと夜とかなると、けっこう人がいたりとか。障がいをお持ちの方もいて。でも、そういう人たちがいるっていう環境にはいたから、そういう人たちがいたときに、良い意味で別に気になんなくなってたというか。
最初に、それこそ小学校の頃とか、特別支援学級とかもあったけどさ、そういう人たちと一緒にいるっていう空間にいるっていうのは、そういう人たちと一緒にいることを当たり前に考えられるようになっておくっていうのは、子供の頃に経験しとくのは大事なのかなとか思ったりした。
仕事に行って、また家に帰ってっていうだけの生活は嫌だとは思ってはいて
あと、パーシモン全体を使った鬼ごっことかもよくやってたし、マンション鬼ごっこみたいな。パーシモンに住んでる子もけっこう地元の子が多かったから、みんなそのマンションの階段とかを使って、鬼ごっこをしたりして、怒られるっていうことをしてた。
パーシモンはね、なんだろう、公園とも違うのが、広場もあるし、色々あるんだけど、でもなんか、それでいて、ジムがあったり、レストランがあったりとか、自転車もすごいたくさんあったりして、登下校の間通ったりとか、放課後に来たりとか、お茶に来たりとかで、結構みんな使う。
夜はなんか公演とか、バレエとかもやってたりするときは人が来てたりするし、なんかの有名人の講演会とかのときにいたりするから、そういう意味で、みんな結構コミュニティを使う、つくる、形成される場所としては、パーシモンホールはあの地域で大きいものだし、駒沢公園も結構大きいかなとは思うね。
パーシモンホール。
やっぱり都市開発する上で、ここは住宅街とか、ここは商業施設とか、ここは工業地域とか、分けられるらしいじゃない。そういう土地開発の計画図見ると、どこがどういう土地になるんだろうみたいのはわかるようになってると思うんだけど。
うん。
やっぱ住宅街っていうと、家が並んでるイメージがあるとは思うんだけど。みんな、どっか生活が単調になるのは嫌だっていうかさ、そこはつまんないと感じるんだと思うから。仕事に行って、また家に帰ってっていうだけの生活は嫌だとは思ってはいて。
だからそういう意味ではどっかに出かけたりするんだとは思うんだけど。でも住宅街の近くに、単純な住宅の機能だけじゃない、みんなが集まりやすい空間をつくっとくっていうのはまあ一つ、生活が単調にならないようになる仕組みというか。
みんなの様子がここに行けばなんとなくわかる。帰り道通るだけでも、なんか今日こういうことやってんだとか、もう子供はここで遊んでんだなとかさ。あとは今日運動会があったのかとか、様子わかったりとか。だから、その地域に住んでる人がそこに行けば、なんとなくその地域のことが、全体像が感覚で、肌感覚だけかもだけど、わかるかもしれないっていう。
そういう空間があるっていうのが、暮らす上ではけっこう重要なんじゃないかなとは思ってて。いろんな住宅地とか、別にそんな見比べたわけではないんだけど。
でも、住宅街とか行っても、ただずっと家が並んでるところとか、公共の場の公園があったとしても、本当に広場で遊具が置いてあるだけだから、子供が来たりとか、ちょっとランニングするにはちっちゃかったりする、そういうとこだと、あんまり人が来ない。子供にとってはいいとは思うんだけど、ホールとか、図書館とか、老若男女などが使えるような空間があった方が、住宅空間はもう少し活気づくところはあるのかなとは思って。
そういう意味で駒沢地域、都立大学周辺のパーシモンと駒沢公園があるっていうのは、結構住宅街として人気な理由にはなってると思う。
うん。
あとなにより大事なのは商店街だね。商店街があるだけで、結構その街の良さって変わると思うんだけど。おっきなショッピングモールとかがあったら、それはそれで便利だし、ぜんぜんそれは必要だとは思うんだけど。そこで全部揃うとかあるだろうし。
商店街の店だと、けっこう単価が高くて、お買い物するってなると高くなるっていうのはもちろんあるとは思うんだけど、まあでも、みんなが来る場所とか、そういう集まる場所っていうのを、そこに行くことで、なんとなく地域のことがわかって、そこにいるんだっていう気持ちになれるような空間っていうのは、商店街を維持するの大変だと思うんだけど、そういう商店街とかが都立大学、学大、自由が丘にあるのは結構いいことだと思うし。
あとはそういうパーシモンとか駒沢公園。駒沢公園も単純な公園機能だけじゃなくて素敵な、結構今時なレストランが並んでたり、プールがあったり、ジム、トレーニング場所があったりっていう、いろんな機能がついてる。
その日がなんとなく違う1日だったなとか思える感じはしたから
そういう空間があるのは、住む上でいいなってみんなが思う要素になってると思うから。駒沢とか俺はけっこう好きだけど、好きなのはそういうのもあんのかなとか思ったりする。
うん。
まあアクセス悪いけどね。駅は遠かったりするし、特に都立大〜駒沢大学駅の間が本当に結構なにもない。バスはあるけど電車がないから、それはちょっと大変だなとは思うけど。まあでも暮らしやすいとは思うね。
自転車を使う人が多いと思うよ。だから駐輪場もたくさんある。パーシモンホールにもあるのは、たぶんそこにやってくる人がいるから都立大学まで自転車で。本当に駒沢公園に住んでると、周辺に住んでるとたぶんわかんないけど、たぶん駒沢大学駅まで行くか、都立大学まで出るかとかしかないから、けっこう大変だと思うんだよね。
交通の便がね。
交通の便は大変って言っても、もちろん10、20まあでも嘘か、でも、30分ぐらい歩くんじゃないかな。そうなるとけっこう早く出なきゃいけないと思うし。だから、そこは駐輪場をもっと拡充した方がいいとか思ったりするときはあるけど、まあでもあるけどね。都立大学にもあるし。挙げるとしたら、そういうことかな。でも駅が近くにないから、そういう空間があるから、おっきな土地でなにかできるってのはあると思うんだけど。
ああ、なるほどね。
わかんないけどさ。別にそれも詳しく調べたわけじゃないけど。
自転車が便利なんだね。
それこそサイクリングロードもあるし、駒沢公園の中に。駒沢公園のいいところは、あんだけ大きな土地あるからさ。例えば、自転車で学校帰るとかってときもさ、ずっと信号を守って、大きな通りで車と一緒に走ってくっていう行き方、それはそれで飽きるわけよ。中高時代、自転車通学だったんだけど、信号とかで止まったりするのも、赤になったら止まる、緑になったら進むとか、もう左右見て気をつけるとか、そういうの気にしなきゃいけないとか、だんだん機械的になってく。
もちろん毎日いろんなことあるというか、車が嫌な人がいたりとか、自転車で鳴らされたとか、歩行者で声かけてくれた人がいたりとか、いろんなことがあるから、同じ道をただ走る、ただ往復するだけでもぜんぜん毎日違うとは思うんだけど、やっぱりそれだけだと飽きちゃうっていうのもあって。裏道走ったりとか、遠回りしたりする。自転車走って行く人はたぶんそういう人多いと思うけど。
だから、やっぱみんななにかしら、毎日に変化は欲しいところはあると思う。そういう意味では、駒沢公園の中走るときとかは、信号がまったく無いし、それこそサイクリングロードずっといけばすぐ行けるし、回る道をちょっと入れるだけでも、景色がいっぱい見えて。公園で遊んでる人たちの風景とか、ジョギングしてる人の顔とかね。汗かいてて大変そうだよなとかさ、イベントやってたら餃子フェスとかの近くで見たりしながら帰ったりするとか。駒沢公園のなか走るときは、また違うルールというか、交通ルールにあんまり縛られずに走れるっていう意味では結構見てて飽きないところもあったし。
だから、その日なんとなく違う1日だったなとか思える感じはしたから、その空間を走り抜けるだけでも、駒沢公園があることは意味があると思う。
まあ街づくりをする上では、やっぱ単調にはならないでほしいなとは思うよね。複雑にする必要はないけど、あのもちろん、全員がちゃんと、信号ルール守れるように綺麗に整備するとか、まっすぐな道をなるべくつくるとか、大事だとは思うけど、同じ空間にずっと居続けられる人ってあんまりいないと思うから、毎日に変化みたいのが見えやすい環境にした方が、人はそこに居着くかなと。
うん。見えやすい環境?
変化が見えやすい。大通りをずっと行くだけだと、車を気を付けたりとか、信号守ったりとか、それだけで結構頭がいっぱいで。ただ走って帰ってくるっていう作業になっちゃうから。だから大通りってあんま好きじゃなかったんだけど、自転車で裏道とかはゆっくり走れたり、別に人もほとんど来ないから、自由に走ってた。
みんながなんとなく、ときどきいる。この人、こういうことしてんのかな、とわかるような
そういう意味では、大きな公園の中をこう、ゆっくり走るようになってる。普通の公園とかって、やっぱあんまり自転車がぐるぐる回るような道はないじゃん。ちっちゃな公園とかって、もちろん入り込めば、走れるけど。入り込むには柵があったりして、大変だったりする。駒沢公園はそういう意味では自転車も入りやすい環境になってるのがいいと思うね。
いろんな人にね。
そうそう、そこで遊ばなくても、そこは用事がなくても、通るだけの人。通る人にとっても公園って、たぶん大事なんだよね。通るだけでも。公園だけじゃなくても、パーシモンとかそういうコミュニティみたいな。共同の空間があるっていうのは。あと、マンションで言えば、そういう広場とかね。みんながなんとなく、ときどきいる。
で、この人こういうことしてんのかな、とかがわかるような。そういう、みんながすれ違うだけでもいいから、同じ通り道があると、それは普通の通りでもそうだけど。空間があった方が、毎日ね、飽きなくはなるよね。
ほんとにずっと、生まれてからいままであそこに住んでんだ。
うん、そういう意味ではぜんぜん。駒沢公園はずっと身近にはあったかな。
でも、お父さんとお母さんは別に駒沢にゆかりがあるわけじゃないでしょ。とか、都立大学とか。
あーぜんぜんないね。父親が大岡山に昔住んでて。大岡山に雪ヶ谷大塚にも雪ヶ谷に会社があって、そこも近いんだけど。で、大岡山周辺にいたから大岡山のことは知ってるし、それこそ電車の便は良くないけど大岡山とも歩いたら10分、15分ぐらいでたぶん着くから。いや嘘か20分ぐらいで着くから。でも、まあ結構近いのね。よく父親が遊びに来てて、まあ都立大はいいなとは思ってたみたい。
で、母親は、そういう意味じゃずっと色んなとこ行ってた人だからさ、アメリカ行ったり、神戸行ったり、横浜行ったり、東京のどっか行ったり。で、おばあちゃんの実家が荻窪だったから。結局、最終的には、その近くの高井戸、下高井戸ってとこに行って、杉並の方に行ったんだけど。あんまり都立大とかは行ったことなかったらしいんだよね、結婚するまでは。
だけど、結婚するってなって、どこで住むってなったときに、結構父親とかはこっちの方がいいかなみたいな感じ。雪ヶ谷に、まず会社に近い方がいいってのもあったんだけど、でもそういう意味じゃ都立大がいいなって思ってたらしくて。で、都立大の近くのマンションに住んだらしくて。別にそこになにかルーツがあったわけではないね。
でもそこで買って住んで、その後もう一回引っ越す、一軒家になるってなったときに、ちょっと色々考えたらしいけど、結局近場がいいねってなって、柿の木坂はまあ結構住宅街としてはいいとはいいから。まあいいかもねって話になって。あと、結構坂の上がいいねって話になってたから。だから上の方で探して。まあ色々あったんだけど、結局最終的にはそこになったかな。
ふーん。じゃ、もうお父さんの会社の近くってのと、結婚してから2人ともそこに住み始めた。
うん、ぜんぜんそこに住んだ経験ないと思う。
うん、そうなんだね。
それこそ、ラーメン次郎ってのもあった。都立大学にあったんだって。最初は。で、それが移転して、三田に移ったらしい。
そう、最初はラーメン二郎って次だったの。次に郎。だけど、三田に移転するときにペンキ屋さんが間違えて二にしちゃって、それで二郎になったらしい。そのままになっちゃって(笑)。そういう意味じゃ都立大学がラーメン次郎の発祥の地ではあるんだよね。
生活史を聞いて:ミニインタビュー 松本仁奈さん
新しいものがたくさん集まる東京も、大好きな家族も、全部を手に入れられる場所があるってすごいなって
大学の先輩で、いまお付き合いしてる方なんです。生まれも育ちも駒沢公園周辺。医療センターで生まれて、そのあとも本当にあの辺りで25年間ぐらいすごされていて。
会うのは難しくないけど、生活史を聞くには気持ちの準備が要った。「いまはフラットに喋れない」空気感が漂ってる時期とか。
どういうこと?
ちょっと喧嘩しちゃったなとか(笑)。お互い忙しくてあまりゆっくり喋れないなとか、いろいろ。
あるはずなんですよね。生活史を聞けるタイミングって。でも例えば外にいて違うコンテンツが目の前にあると、なかなか「話を聞く」方向に振れない。家で「今日なにしよう」っていう日に、『いけるかも』と思ったけど、結局聞けなかった日が何度かありました。
このお話はどこで?
お家です。私の一人暮らしの部屋で。「シーンとするの耐えられない」と思ったから、ジブリのオルゴールメドレーをずっと流しながら。YouTubeで(笑)。
発見はあった。私が訊かなくても話は回るんだ、とか。私が「聞きたい」と思わなかったところにこんな面白いオチがあるんだ、とか。彼にも発見はあったと思うけど、私の発見の方が大きかった気がする。
私、ずっと転勤族で。生まれは福岡だけど生後すぐ東京に来て、2〜3年ずつ転々として福岡に戻ったんですね。
なので、生まれてから小中高大ずっと同じ場所に生きる、というのを経験していない。「そういう人もいるんだ」って。彼をそういう風には見たことがなかったので、「すごいな」というのと、ちょっと羨ましくも思いましたね。
大事なものとか、家族とか、自分の思い出がつねに近くにある環境で、同じものをずっと見つづけられるというのは羨ましいな、って。新しいものがたくさん集まる東京も、大好きな家族も、全部を手に入れられる場所があるってすごいなって。
私は高1の頃に志望校を考えて。憧れの慶応大学・SFCに行くということは、家族との時間に「残り3年」とリミットをつくることなんだ、と覚悟して、涙して決めたんです。「受かってもないのにそんなことで泣くな」とママに言われたけど、合格すると、そこから1ヶ月も経たないで家族と離れることになる。
親戚はみんな大学で家を出ているので、身内の中ではあたり前のことをしたんですけど、関東に住んでいる人のことは知らなかったな。
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