悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから
- 話し手
- 30代男性
- 聞き手
- 平山はな
たとえば、さっき台湾中にお腹痛くなったって言ってたけど、そのお腹痛くなるのって、急にもう偶発的に来るものなのか、こういうときに来るとか、そういうのはあったりするの?
あー。いや偶発的だと思うんだけど、原因は多少あるかなって感じ。例えば、台湾の途中でお腹痛くなったのは、向こうの食事が油っこかったりした可能性はある。
うん。
台湾の行き帰りは、マジで人生の中でもレアパターンなんだけど、飛行機に乗ったらすごいお腹痛くなるみたいな初めての経験して。絶対、もうこれ飛行機のせいで痛くなってるってのがわかる感じだったの。行きは、2、3時間あったよね。飛行機が上行ってから、もうすぐに痛くなっちゃって。
こんな初っ端で、その修学旅行の初っ端で、早々にお腹痛くなりましたとか言いたくないから。俺3時間こうやって、もうこうやって、本当にお腹抱えてて。明らかに見たらおかしいみたいな感じだったんだけど。
最初は言うのもあれだなって思ったけど、たぶん1時間ぐらいしてから、どっかでは言った方がいいんだろうけど、いま言ってもたぶん先生できることないよなって思って、残り2時間耐えるっていう選択をした結果、もう出発からずっとこうなってるやつで。
たぶん周りからしたら、あんまわかんなかったと思うんだよね。そのなんだろう、体調が悪いのか、機嫌が悪いのかわかんないけど。なんだどうしたんだろうみたいな感じだったと思うんだけど。そう、とにかく飛行機に乗って痛くなるみたいな感じで。
帰りはそれで言うと、飛行機に乗って痛くなったっていう経験があったから、出発のときに気を紛らわすしかないって思って。後ろにSがいたんだけど、帰りの席。「もうお願い、お腹痛くなるから、マジで俺と一生ゲーム付き合って」って。あいつも「いいよ」って言ってくれて。めっちゃやってたの。
へえ。
本当にもうゲームのことだけ考えるみたいな感じで、2人で対戦とかしてたんだけど。1時間半ぐらいして、ちょうど半分ぐらいだった記憶があるんだけど。多少飽きてくるじゃん、飛行機でのゲームなんて。飽きたなって思い始めたところから急に痛くなってきて、うわーもうダメだ、ゲームだけに集中できてないってなって。そっからもうまた、行きと同じぐらいの痛みが来てたから。
台湾のときは本当に飛行機だけで痛くなった。でも基本は偶発的なのと、たぶん脂っこいものと辛いものを食べすぎるとその影響は出てくる。
その病気になってから、なる前となった後で、自分の価値観とか考え方とか、変わったなって思うことある?
鈍感になるっていうか。例えば一喜一憂しなくなったかもしんない
あのね、割といっぱいある気がする。ずっとそういうこと考えてるわけじゃないけど、日常の節々で思うことは結構ある。
例えば食事とか。食事制限めっちゃしてて。だからなんだろうな、具体的に言うの難しいけど、とりあえずどういう感じかを説明すると、「食べたいけど、我慢。頑張って我慢する」みたいなのを言ってるのを見て、なんか俺の体調が良くないときにそういうの見ると、ちょっと贅沢だなとか思ったりしちゃうときはある。食えるときあるだけいいじゃんとかを、正直思っちゃったりするし。
いやなんかね、そう思うことはね、やっぱ体調がいいときと悪いときで、結構人格が変わるとまでは言わないけど、思考はね、正反対に近くなるかもしれない。

それこそブログとかでも書いてたけど、考えても意味ないこととかめっちゃ出てくるし。ネガティブなことも出てくるし。いやでもなんか難しいな。
価値観で言うと、1個はさっき言ったやつ。いまできることを大切にしよう、みたいなのはめっちゃあると思う。それはたぶん、人生で岐路に立たされたときの、自分の決定の根拠に結構影響してくる気がする。
うんうん。
ちょっと思うのは、鈍感になるっていうか。例えば一喜一憂しなくなったかもしんない。徐々に、この10年。めっちゃ楽しみにしてたこととかのときに、お腹痛くなったりするっていう経験が積み重なってくると、いちいちそれで、うわマジかよとかなってると、本当にキリがないっていうか。
だからそこに対する感情を、無意識にちょっと抑えるようになってきてるかもしんない。だからちょっと、麻痺してる状態みたいな感じだけど、みたいなのはあるかもしんないかな。
なんかいきなり細かいとこぱっと出てこないから、聞きにくいかもしんないけど、ぜんぜん聞いていいよ。俺ぜんぜん喋んの嫌じゃないし。なんかぜんぜん聞きたいことあったら。
こういう話って、いままで大量に聞かれてきた?
いや、ぜんぜん。やっぱみんな気遣うでしょ、多少。使っちゃうでしょ、やっぱ。
あんまり俺の周りっていないから、その、病気がありますって子が。だからたぶんそういう意味では、なんて言うんだろう。特別扱いっていうか、ちょっと違う、1個分けてたぶん考えちゃうと思う。難しいな、そっち側の気持ちが俺はわかるわけじゃないから、わかんないけど。やっぱ気を使っちゃうんじゃないかなって思って。
だから聞かれたらぜんぜん答えられるんだけど、悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから。そこを理解してもらうのは難しいなって思う、結構。どうやって理解してもらえばいいんだろうっていう。
やっぱちょっと視野を狭くしてじゃないけど、楽観的っていうのかな
例えば、部活で休みがちょっと続いたときに、こういう病気なんですとかっていうのは、ある意味説明する義務があるっていうか、説明する場を与えられてるから、自分から話すことができるし、そこで初めて多少理解してもらえるみたいなのがあるけど。
出会った人全部にそれを説明できるわけじゃないってのがすごい難しくて。例えばゼミの子とか、俺ほとんど話してないし、病気のことについて。
そうなんだ。
病気があるとは言ってるけど、詳しく知ってる子は誰もいないし。それは俺が別にわざわざ説明するようなことでもないかなっていうか。
だからそれはね、確かに価値観とはちょっとずれるけど、難しいなって思いながらここまで来た。だからぜんぜん、聞いて欲しいとまでは言わないけど、聞いてくれてもぜんぜん、俺としてはむしろその方が理解してもらえるかもしんないから、ぜんぜんいいですよみたいなスタンスではある。
なるほど。それは、ずっとそういう思想なの?
それはマジでずっと変わんない。話したくないとか、聞かれたくないって思ったことは、本当にない。
なんか別に俺からしたら、そんな後ろめたい話とか、気まずい話とかは別にないと思ってるから。話して多少暗い雰囲気になっちゃうかもみたいな、ポジティブな話ではないから、そうなっちゃうかもなっていうちょっとした心配がある程度で。個人的な感情として話したくないって思ったことは本当に一回もない。
病気関連でめっちゃネガティブになったことは、ある?
めっちゃネガティブか。あー、どうだろうな。
基本体調が悪くなったときにネガティブになるんだけど、ネガティブになることはそこそこある。
ただめっちゃなったのはほとんどなくて、なったのは、休部してたときかな。それと、今年の春先からまた(部活に)行けなくなったとき。同じ感情だったけど、基本は。やっぱ病気になったときとかから、ある意味、さっきの感情に蓋をするにちょっと近いかもしんないけど。
なんだろう、ちょっと具体的に、いつ治るかとか、いつ完治する方法が出てくるんだろうとか、真面目に考えすぎても本当にいいことなくて。現にいま見つかってない治療法のことを考えるのって本当になんの意味もないし、自分は研究者でもないから。
ってなったときに、やっぱちょっと視野を狭くしてじゃないけど、楽観的っていうのかな。いつかは良くなるでしょうみたいな。で、実際大人になったら良くなってくみたいな話も聞いてたから、そういうのも相まって、あんまり深く考えないようにしてたっていうのでやってきて。
そうね、現実を一回見させられた。見ざるを得なくなっちゃって、初めて
最初に(病気に)なってから1年間、本当になんもなくて、俺の記憶では。だからぜんぜん大丈夫じゃんって思ってたとこで、確か中3で初めて入院して。
そこでまずはこういう感じなんだってなったけど、まだそこでは別にそんなにネガティブじゃないっていうか。「そういうイベントもあるんだ」ぐらいの感じだったし。直ったらみんな出迎えてくれるじゃないけど、そういう感じだったし、高校でも。だからぜんぜんそこは俺的には良くて、ある意味そういう時期なんだって思ってて。
浪人のときは結構良かった。症状とかあんまなくて。たぶんそんなに俺、一生懸命勉強してたわけでもなかったから。良くないんだけどね。予備校には行くし、授業も真面目には受けるんだけど、かと言ってなんだろう、必死に毎日10何時間やりますとかは正直できなくて。
受かるか受かんないかっていう不安とは毎日戦ってたけど、でもそれ以外は本当、予備校行って、授業受けて。
(予備校って)あの勉強するスペースあるじゃん。あそこにまず行くか行かないかの葛藤した後、家で勉強するっていう選択肢を取って、家で帰ってきて勉強する前にウイイレ一試合挟もうってなって、そのままウイイレにのめり込むみたいなのを結構ずっと続けてたから(笑)。
うんうん(笑)。
ある意味なんだろう。本当に学生じゃなかったら、ニートみたいな、浪人じゃなかったら(笑)。
だからある意味気楽だったんだけど、その「落ちるかも」って不安以外なんもなくて。っていうのもあって、結構良かったんだよね。
で、その流れでサッカー部に入って1、2年。若干外食の回数が、大学入ったからってのもあって増えたりとかしてたんだけど、それでもそんなひどくならなくて。っていうのがあったから、その最初の2年。
俺からすると、(病気に)なった直後の1年は特になんともなくて。で、一旦中3から高校をちょっと広く見たときに、悪くなった時期があって。そっから3年、浪人と大1大2ってもう良くなってると思ってて。でもまた大3の途中で悪くなって、うわマジかって。そうね、現実を一回見させられた。見ざるを得なくなっちゃって、初めて。避けてきたんだけど。
そうなったときに、めちゃくちゃ不安要素が急に出てきて。例えば、もういつか良くなるっていう前提からすれば、別に就職とか、不安じゃなかったものも、ここでまた悪くなったって結果によっていっぱい出てきちゃって。
うわ、また俺この先もずっともっと食事のこと気にしないといけないのとか、こんな調子なら本当に良くなるっていう、大人になって別に普通になる保証ないじゃんみたいな感じ。でもほんと、なんだろう。そんときはね、そういう体調不良が続いてたってのもあって、その時期はめっちゃネガティブになってたかも。
思考がどっちかというと「自分さえ良ければ」とか「楽しければいいでしょ」とかのよりだったから普通に
あとは、サッカーは4年間ずっとできるでしょって思ってたのが、そうじゃなくなっちゃったっていうのも、ネガティブの要素の要因だし。本当になんだろう、おっきいの1個っていうよりは、細かいのがめっちゃ積み重なったなって思う。
病気に対してそういう考え方ができるところとか、いろんな物の見方みたいなところが、人として強いというか、本質をついてる気がする。自分でなんでだろうって考えたときに、元々そういう生まれ持った性質なのか、後天的なのか、理由だと思うことはある?
いや、絶対、たぶん後天的な気がする。あーでもどうだろう。えっとね、難しくて。いや半々な気がするけど。まず、高校のとき、ぜんぜん勉強してなかったけど、根は真面目だから、たぶん。
うんうん。
っていう前提で聞いてほしいんだけど。正直小学生のときも、高校入ったときも、なんだろうな。なんて言えばいいんだろう。ふざけてるわけじゃないけど、思考がどっちかというと「自分さえ良ければ」とか「楽しければいいでしょ」とかのよりだったから普通に。
中学のときも考えてたのは、1個はサッカーを真剣にやるのと、逆にサッカーを真剣にやってる自分は、他のとこは別に楽しければいいでしょみたいな感じだったんだけど。
確かにめっちゃ覚えてんのは、病気になって最初帰ってきて、どっちか忘れたな、中2で病気になったときか、中3で入院して帰ってきたときか忘れたんだけど。「性格変わったね」ってTに言われて。
で俺、いまだから言えるけど、多少ショックで。別にTが悪いとかじゃなくてね。俺はぜんぜんそう思ってなかったから、そのことに対して多少ショックを覚えて。ぜんぜん思ってなかったけど、でもそう言われるってことは、確かになんだろう。
いやなんかね、難しいけど、さっきまで俺が言ったことに反するけど、結局現実を見させられるタイミングがあるから、ところどころ。わかりやすいので言うと、入院したときとか。
うんうん。
そうね、なんかそこで全部変わったかって言われると、そうじゃないけど。病気になったことで、ちょっと変わったかな、そういう見方をするように。
ちょっと羨ましくもなっちゃうかもなっていう。それが難しいなって
例えば、この答えが合ってるかわかんないけど、多少人の気持ちがわかるようになったというか。例えば、うーんとね、いや、難しいな。なんか街でさ、変な挙動してる人とかを見たときに、例えば中学生ぐらいだとやっぱさ、「なにあの人」とかっていう反応になりがちだけど、俺は病気になった後だと、なんかしらの病気がある人なんだろうなとか考えちゃう。
うんうん。
だから、そういう意味で言うと、その時点でもう見方がちょっと違っちゃうっていうか、なんて言えばいいんだろう。なんか1個多く考えちゃうようになったかもしんない。いまの例で伝わるかわかんないけど。
そういう思考が出てきちゃう時点で、考え方が変わってるっていうのと結構同じ意味なのかなとは思う。無意識にもそういう思考になっちゃう。
あとね、ぜんぜん病気関係ないけど、もう1個俺がそういう考え方に変わったのは浪人したときで。シンプルにいろんな予備校の先生の話を聞いて、考え方が変わったっていうか。
うんうん。
楽しければいいでしょうみたいな、なにも考えてない思考よりも、例えばニュースとか見たときに、その問題に対してしっかり自分なりの考えとか答えを持ってるような人になった方がいいなっていうのを、浪人の1年間でめっちゃ思って。
これはマジで病気関係ないけど、価値観が変わったなみたいな、その原因はこの2つ。
ちなみに、同じ病気の人のコミュニティとかってあるの?
探せばあるんじゃない。俺はぜんぜん探したことないけど。なんかでもね、実際に入ってみないとわかんないけど思うのは、同じ病気とかだとどうなんだろう。差とかを見たときに、良くないあれもあるかなと思って。
例えば自分より重い人見たら、症状が。もっと頑張んないとって思わされる一方で、自分より軽い人を見たら、ちょっと羨ましくもなっちゃうかもなっていう。それが難しいなって思って、だからこそどうやって支援とかをしようかって考えるとそういうのが立ちはだかってきて、いまんとこ、まだぜんぜん思いつかないなって思う。
価値観のとこに戻るけど1個思ったのは、極端な言い方をすると、逆にいつ死んでもいいやみたいなマインドもあるかもしんない。言い方が難しいけど、別になんだろう、元々、ある意味自分を守るための考え方なんだけど。例えば失敗したりとか、嫌なことあったときも、そういうときはもううまく使っちゃえと思って、病気を。
ハンデがあるのと同じぐらいの感じだからいいじゃんみたいな、逆に都合よく、それもポジティブなときなんだけど、割と都合よく使った方が自分のためにいいなって思うときは、そういう思考になるときはあるかもしんない。別に失敗してもいいじゃんみたいな。なんなら別にもう、いまなにしてたって俺の人生だから、ある意味言われる筋合いないし。最悪死んじゃってもいいとまでは思わないけど、それに近い考え方をするときはあるかもしんないなって。
生活史を聞いて:ミニインタビュー 平山はなさん
例えばこの先なにかしんどいことがあったとき、彼に話を聞いて欲しいなと思う
ご病気の話を聞くつもりでした?
決めていなくて。中高と大学が一緒で、彼が病気の話もしてくれて。
学校を休みがちだったので、「病気を持っているんだな」と知りつつ、直接的に聞く機会もなかった。同じ飛行機にも乗っていたけど。
私は大学でオーラルヒストリーを学んで、「身近な人だからこそ言える話もあるかもしれないな」と。
彼の良いところをたくさん知ってると思っていたけど、今回、本質的な良さが垣間見えたり、より一歩距離感が縮まった感じもしていて。それが「聞く」意味でもあるんじゃないかなって、再確認した。
彼は人にすごく優しくて。誰のことも否定しない。柔らかいし、いるだけで場を和ませる空気を持っているけど、その裏側にはやっぱり強さとか、苦しみを感じたからこそ、というところもあるんだなって。
彼の見え方は変わっていないけど変わった。
深度がどんどん深まっていった感じ。一緒に生きている感覚がするというか。
例えばこの先なにかしんどいことがあったとき、彼に話を聞いて欲しいなと思う。話した側が思いそうなことだけど、話を与えてもらった側がそう思えるのって面白い。
聞き手と語り手の両方がともに歩んでいくんだなって、いま思いました。
オーラルヒストリーを学ぼう、と思ったのは?
高校生の頃から「幸せってなんだろう」と思っていて。
明確なきっかけがあったわけではないけど、中高で私はどちらかというと順風満帆というか。部活でも結果を出している方だし、成績も悪くないし、友達もいる。
けど、なぜか漠然とした孤独感みたいなものを持っていて。ふと寂しくなる。「なんか私ひとりだな」と感じる瞬間もあった。
でもすごく恵まれているし幸せだよな、と感じている中で「幸せってどういうこと?」って。どちらかといえば恵まれない環境にいる人たちのことも思いながら、「どうすれば立場によらず幸せな人生を送れるんだろう?」と考えていたんです。
たぶんあのときは、まだ周りがよく見えていなかった。思い込んでいた部分もあるかも。
周りの人ともっと話すとか、もっと聞くとか、そういうことをしていたら、また違った考えになっていたかもしれない。
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