
イチから皮を作る「手打焼餃子」が自慢の「本格餃子 包(つつむ)」。ストリートカルチャーと中華を組み合わせた斬新な業態のお店には、若い人たちの姿が多く目立ちます。そんな「包」の2号店が駒沢の新たな商業施設にオープンすることになりました。
中華料理屋の実家に生まれ、コックである父を超えるお店を作りたいと語るのは、ストリートカルチャーと料理をこよなく愛するオーナーの石野さんです。
前編では、石野さんが「包」を作るまでに歩んできた道と、ストリートカルチャーへの想いを伺いました。

父の背中を追いかけて中華の道へ
石野さんは、お父様も中華料理屋のコックだったと聞きました。
【石野】実家が中野坂上の「天鳳」という中華料理屋で、もう50年以上やっています。ぼくは三人兄弟の三男として生まれたんですけど、今は次男がそのお店を継いでいます。
同じ中華の道ですが、石野さんは新たなお店を開業されたんですね。
【石野】ずっと父の背中を見て育ったので、いつか父のような店を自分の力でやりたいと思っていました。小学校の卒業文集にも書いているくらいです。ぼく、実は高校を中退していて、15歳の頃から中華料理のコックをやっていたんですよ。
15歳というと、まだ少年ですよね。コックは何年間されてたんですか?。
【石野】15歳から22歳まで「天鳳」の父の元で働いて、その後は29歳まで、自分の店の開店資金を貯めるために、不動産業界で働いていました。その経験から、今は飲食業のほかに不動産事業もやっています。「天鳳」では、ここで統括マネージャーをしている、舟久保も一緒に働いていたんです。

すごく長いおつき合いということですね。
【石野】小学校入学から一緒なんですよ。
【舟久保】お父さんも昔から知ってますが、すごく魅力的な方で、「天鳳」もまちですごく愛されているお店だったんですよ。石野は卒業文集に、「親父を超える中華料理のお店を作る」と「筋肉ムキムキのマッチョになる」ことを書いていたんですが、全部叶えています(笑)。
日本一と自負する、本格手打ちの包の餃子
お父様のお店を超えるために、意識したことはありますか?
【石野】父がたまたま中華のコックだったので、ぼくもイタリアンでもなく、フレンチでもなく中華という道を選んだんですが、中華料理って、あまりイケてる感じがしなかったんですよ。
もちろん、円卓テーブルで食べる高級中華もありますが、どちらかというと町中華でおじさんがビール片手に餃子を食べているイメージが強い。女性同士でご飯を食べる時に、中華を食べに行こう!という選択肢はなかなか生まれませんよね。
本気で飲食と向き合っていくなかで、一番大切にしなきゃいけないものは、お金を払ってでも食べたいものを作ることだと思ったんです。コンビニでもおいしいものが買える時代に、「おいしい」だけじゃない体験価値をいかに提供できるかを真剣に考えんです。そして、手打ちの餃子にたどりつきました。

包さん名物の「本格手打焼餃子」ですね。
【石野】粉から皮を作るのはとても大変なので、ほとんどの中華料理屋さんでは、製麺所から皮を仕入れているんですが、包では本当においしい餃子を提供するために手打ちでイチから作っています。お店の入口の横では餃子を作る姿を見られるようにして、食べる前からお客さまに楽しんでいただけるようにしています。
製麺所で仕入れた皮と手打ちの皮では、やっぱり違いますか?
【石野】全く別物です。パンに例えると、焼きたてのパンとコンビニのパンくらいの違いがあります。手打ちだと皮のモチモチ感を強くできるんですよ。本気で餃子を作るとどうなるか、ぜひ実際に食べてみてください。手作りの味噌だれをつけて食べていただくのがおすすめです。

これまで食べてきた餃子と、まったくちがいます。皮がモチモチしているし、一個が大きいので一皿でお腹いっぱいになりそうです。
【石野】モチモチ感と味は、本気で自信があります。味のベースは、ぼくが生まれてからずっと食べている父の餃子から受け継いでいます。その上で、いま僕たちが作れる最高においしい餃子を常に研究しているので、ぼくは包の餃子が、日本一おいしいと思っています。
ストリートカルチャーが「包」を唯一無二に
本格手打焼餃子のほかに、「町中華×ストリートカルチャー」を打ち出しているのも、包さんならではですね。
【石野】ぼくはコックをやっていた頃から、料理だけ上手くなっても繁盛する店は絶対に作れないと思っていたんです。というのも、ぼくが高校を辞めて、もう一度進学をするか悩んでいた時期に、父がとある中華の有名店に連れて行ってくれて。雑誌にもよく掲載されているお店なんですけど、料理を食べている時に、父に「うまいか?」と聞かれたんですね。「あんまりおいしいと思わない」と正直に答えたら「そうだろう」と。実はそのお店のオーナーは、チェーン店のラーメン屋さんでしか働いたことがない人だと。「お前はその舌を持っているんだから、手に職をつける道を選んだらどうだ」と言われて、「よろしくお願いします」と答えた時から、ぼくは父と敬語以外で話したことがないです。
その瞬間から師弟関係に。
【石野】はい。同時に、世の中に愛されるお店になるためには、技術だけではなくマーケティングも大切だと気づきました。だから包を始める時に、どうやったら世の中から愛されるんだろうと真剣に考えた時に、やっぱりカルチャーが大切だと。僕が生まれた中野坂上はハイソな町ではないんですが、中学高校の頃からスケボーやヒップホップといった、ストリートカルチャーが根付いていました。
不動産の仕事ではハイソな人たちと関わることも多いんですが、本当に好きで大切にしているものを考えた時に、やっぱりストリートだと痛感しました。そこでストリートカルチャーとマッチングしている中華料理屋を、本気でやってみようと始めました。

どんなことから始めたんでしょうか?
【石野】ぼくは3人の息子がいるんですが、一番下の息子がスケーターなんです。その息子と一緒にスケートパークに行った時にプロの子を捕まえて、お店に食べにおいでよと誘うことから始めました。スケーターたちが使う「キックアウト(Kick Out)」という言葉をご存知ですか?
初めて聞きました。
【石野】路面で滑っている時に、警備員が来て追い出されることです。彼らにとって、滑っている時に近寄ってくる大人はアンチだと思っているから、みんな逃げるんです。ぼくはそれがすごく嫌で。フォローする大人がいてもいいだろうと、どんどんサポートをしています。スケボーを持っている子を見かけると、声をかけてコンビニで飲み物を買ってあげたり。ちゃんとフォロワーがいるという意識を持ってもらいたくて、小さいことから行動しているんです。
その一環として、「包」でもサポートしているんですね。
【石野】アンバサダーとして関わってくれているプロスケーターの子たちが、仲間と一緒に「包」に遊びに来てくれるようになって。その様子をSNSに投稿してくれることもあり、彼らの周りの子たちにも少しずつ広がっていきました。その結果、老若男女問わずたくさんのお客さまがいらっしゃるなかで、「包」のコアな客層は20代半から30代半までの女性になりました。中華料理屋に行くことをイケてることに変換できてるので、カルチャーとの親和性を高めたのは、結果的に大正解だったのかなと思います。実は、アンバサダーだったプロスケーターの1人が、いまうちで餃子を握ってます。つばさです。

なんと! 包の餃子を食べて、自分でも作りたいと思ったんですか?
【つばさ】もともとのきっかけは、怪我をしたタイミングでした。
【石野】スケーターは怪我をした時の食いぶちがないんです。彼の今後のキャリアも考えて、手に職をつけるために、職人としてうちに入社をしてもらいました。
【つばさ】助けてもらいました。
【石野】ちゃんと立派な職人になっています。駒沢のお店でも、彼が餃子を包みますよ。
それはすごく楽しみです。スケーターのセカンドキャリアの道も作られているんですね。
【石野】スケーターをサポートする時に、ただお金を払うのは簡単ですが、そうではなくて彼らが心の拠りどころにしたり、セカンドキャリを持てる形で応援したりと、そういった行動でカルチャーを応援したいと思うんです。

ストリートカルチャーへの貢献も果たす石野さんには、失敗を恐れない経営哲学がありました。後編に続きます。
本格餃子「包」-TSUTSUMU-
東京都目黒区大橋2-22-7 村田ビル 1F
https://tsutsumu-gyoza.com/
・営業時間 11:30〜23:30
・年中無休
*詳しい店舗情報についてはホームページをご覧ください。
これまでのテナントインタビューはこちら
text / Lee senmi photo / eriko matsumoto
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