
学生から“ヤンヤン先生”という愛称で親しまれている駒澤大学の李妍焱(リ・ヤンヤン)教授。市民が主体となって社会を動かす仕組みを研究し、『市民的コモンズ(みんなで分け合い、支え合う関係性)』という考えを広めてきました。今年度、駒沢こもれびプロジェクトとともに社会連携企画*を進める李先生と学生たち。今回はゼミの様子や研究への思い、駒澤大学に至るまでの歩みについて、こもれび大学生記者のちひろさんと一緒に聞きに行きました。
*駒澤大学の助成を受けて、学生や教職員が社会連携や地域貢献に取り組むプロジェクトのこと。李ゼミ×駒沢こもれびプロジェクトでは、駅前道路の混雑改善をめざす企画や、市民向けにゼミの研究活動を発表する公開ゼミなどを予定しています。
お菓子と雑談から始まる「新感覚ゼミ」
李先生のゼミはどのような雰囲気で行われているのでしょうか?
【李】私がお菓子とティッシュをテーブルにドンッ! と置いて、みんなで配りながら始めます。正式な話をする前に、毎回担当の学生が決めたテーマを、それぞれ1分程度話してからゼミに入ります。最近感動した映画や、推している音楽、行ってみたい世界遺産など、いきなり議論に入るのではなく、日常を共有しながら学ぶのがうちのゼミの文化です。
あ、せっかくなので皆さんもどうぞ。「お菓子ゼミ」を体験してください。
ではではお言葉に甘えて(ムシャムシャ)。李ゼミは「ふかさわの台所」で活動されるとも伺いました。
【李】普通の大学のゼミは飲み会で親睦を図ることが多いですよね。でも居酒屋だと時間が限られるし、サービスを消費するだけでコミュニケーションも取りづらい。だからうちでは「ふかさわの台所」という地域に開かれた一軒家で懇親会をやります。
自分たちでご飯を作って、下ごしらえから片付けまで全部やります。暮らしそのものが学びにつながりますし、教室だけでは見えない学生の一面が出てくるんです。
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お菓子ゼミやふかさわの台所はどちらもコミュニケーションに焦点が当たっていますね。
【李】学力はレジュメが作れるか、試験で良い点数を取れるかだけではありません。どれだけ周りの人を巻き込めるか、ネットワークを作れるか、精神的に成熟しているか。
努力を続けることや、生きるエネルギーを保つことも学力です。学ぶとは知識を得るだけではなく、生きる力を育むことだと感じています。
市民的コモンズという発想
研究テーマの一つである「市民的コモンズ」とはどういうものなのでしょうか?
【李】「コモンズ」とは、誰かの所有物ではなく、みんなで共有するものを指します。例えばテーブルの上にあるクッキー。これは私が買ってきて所有しているものですが、ゼミという関係性の中でみんなで食べることで、資源は共有されます。お店で商品を買うのは一つの経済。でも、買ってきたものを分け合うことももう一つの経済なんです。所有者だけが使うのではなく、むしろ他の人が食べてくれることで嬉しさが生まれ、ゼミでは関係性を深める潤滑油にもなっています。それがコモニング(=共有化)の考え方です。


コモンズという考え方に至ったのはどうしてですか?
【李】1995年以降、日本ではNPOや市民団体の数が一気に増えました。ただ、「細分化された組織」を増やすことに注目しすぎると、結局社会を「組織」という枠組みでしか捉えられなくなる。そうすると、組織に入れない人や入りたくない人は、その生態系からこぼれ落ちてしまう。私はそこに限界を感じました。
ちひろ:生態系というと、なんだか自然みたいですね。
【李】まさにその通りです。組織をたくさん作ることは、森にたくさん木を植えることに似ています。木が増えれば表面では賑やかに見える。でも、土壌そのものが貧しかったら、木はしっかり根を張れずに育たない。つまり、表面上は組織があふれていても、その下の土壌が痩せていれば、社会全体としては貧しい環境になってしまうんです。
だからこそ「組織で市民社会を捉える段階から、土壌そのものに目を向ける段階へ移るべきだ」と考えるようになったんです。その土壌をどう豊かにできるかを見るための新たなレンズとして、私は「コモンズ」や「コモニング」という概念を掲げています。

李先生のいう「豊かな土壌」とは例えばどのような社会ですか?
【李】例えば「他者の異質性に出会える社会」は一つだと思います。今は誰とも話さなくても生きられる社会になっていますが、コモンズやコモニングは自己開示なしには成り立ちません。相手の声に耳を傾け、自分も心を開くことが大切なんです。
日本では一人ひとりが閉じがちです。良く言えば「配慮して深入りしない」、でも裏を返せば自己開示を避け、信頼関係を築こうとしないということ。もっと自分を開示すれば、他者との違いに気づけるはずです。その出会いが重なるほど、社会の考え方は豊かになっていきます。
時給980円、出産、博士論文…嵐の2年間を越えて
駒澤大学に勤め始めたのが2002年。その前は何をされてたんですか?
【李】日本で博士号を取ったのが2000年で、とにかく手に職をつけないとという思いでした。ただ、大学に就職するのはとても大変で。ポストは限られていますし、教授は70歳まで勤めるので、空きがなかなか出ない。履歴書を出すだけでは相手にされません。何をしたら採用されるかを一つひとつ、こなしていきました。
教歴を積むため、まず、非常勤でいくつかの大学の授業を持ちました。研究テーマでもある「NPO」でスタッフとして時給980円で働き、研究スキルを磨くため社会調査研究所でもプロジェクトを手伝いました。大学で働くには本の出版が重要なので、博論を単著として出版し、共著も出しました。

怒涛の勢いすぎて、聞いてるこっちの目が回ってしまいそう。
【李】この時期、子どもを出産した直後で、お腹を抱えながら夜中まで仕事をしていたんです。結婚、出産、育児、本の出版、非常勤の仕事……。全部同時に進めていました。学術振興会の外国人特別研究員制度にも採択されました。
とにかく、自立して生きていくために、やれることは全部やった2年間でした。
その原動力はどこにあったのでしょうか?
【李】当時は、今の夫となった人を追って日本に来た身ですが、養ってもらうという考えは全くなく…。「絶対に自分は社会の中で自立していく」。その思いがとにかく強かったと思います。
ん、夫を追ってきた?
【李】私が学生の頃、中国はまさに高度成長期で、日本からたくさんの視察団が訪れていました。日本語を学ぶ学生はとても貴重で、いち学生が国際イベントの通訳を務めたりもしてました(笑)その時期に日本からの交流団の一員として中国に来ていた夫と出会い、文学作品の話で盛り上がり… 1年間の文通を経て、私が日本に来ました。

恋愛が始まったということですか!?
【李】はい(笑)。
これぞ「燃えろアタック」ということでしょうか。お互い忙しい中、仕事とプライベートはどのように両立されてきたんですか?
【李】夫は、自分のことよりも私のことを常に優先する愛情深い人で、留学生として来日した私の面倒を見るのが生きがいのようなものでした。「夫婦はそれぞれ得意なことをやればいい」が口癖で、結果的に何でも得意な夫が子育ても家事も全部やってくれています。世界最強の味方がいてくれるので、私はこの歳になっても気持ちは留学生時代のままなんです(笑)。
ちなみに嵐のようなタイミングで生まれたお子さんは今何をされてるんですか?
【李】東北大学で修士課程の最中です。来年卒業するんですが、どうやら彼氏を追って名古屋で働くみたいです。もう、変なところが似てしまって…
「歴史は繰り返される」とはまさにこのことですね(笑)

<とてつもないバイタリティの持ち主である李妍焱さん。スーパーウーマンであることに間違いありませんが、周囲を頼る大切さも語ってくれました。後編では日本に興味を持ったルーツを探ります。>

李妍焱(リ・ヤンヤン)さん
中国・吉林省出身。吉林大学で日本語を学んだ後、1994年に来日し、2000年に東北大学で博士号を取得。2002年より駒澤大学で教鞭をとり、市民社会や市民的コモンズの研究に取り組む。学生からは“ヤンヤン先生”の愛称で親しまれ、日常の延長にある「暮らし」や「楽しさ」を大切にしたゼミを運営。2025年には新著『市民的コモンズとは何か』を出版(ミネルヴァ書房)。
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