テレビドラマから始まった日本への興味。駒澤大学・李妍焱教授が描く「コミュニティカフェ」の構想とは?|後編

今年度、駒沢こもれびプロジェクトとともに社会連携企画*を進める李先生と学生たち。前編では、李妍焱(リ・ヤンヤン)先生が運営する「お菓子ゼミ」の様子や、市民的コモンズの研究、そして駒澤大学に至るまでの歩みを紹介しました。後編では、日本に来ることになった経緯や社会学との出会い、そして今後の活動について、こもれび大学生記者のちひろさんと伺いました。

*駒澤大学の助成を受けて、学生や教職員が社会連携や地域貢献に取り組むプロジェクトのこと。李ゼミ×駒沢こもれびプロジェクトでは、駅前道路の混雑改善をめざす企画や、市民向けにゼミの研究活動を発表する公開ゼミなどを予定しています。

主題歌を歌いたい!という想いで選んだ日本語

ちひろ:先生が日本に来られた背景を教えてください。

【李】私は中国の東北部・長春の出身です。戦時中は日本が占領していた地域で、日本語教育が強い土地柄でした。小学校の頃にテレビが家に入り、日本のドラマやアニメ、音楽を見て育ちました。『燃えろアタック』が特に好きで、その主題歌を歌いたい!と思ったのが最初です。中学校の外国語選択は英語やロシア語もありましたが、迷わず日本語を選びました。本当にその歌を歌いたいというだけの理由でしたが、そこから日本語が自分のアイデンティティになっていきました。

大学も日本語を専攻されたのですね。

【李】はい。吉林大学の日本語学科に進学しました。そこで出会った恩師・高野斗志美先生(文学評論家・旭川大学名誉教授)から大きな影響を受けました。文学の授業を通して、日本語の言葉だけでなく、その奥にある思想や哲学を教えてもらいました。日本人の考え方や心理のきびを知ることができたのは、私にとって大きな財産でした。

当時の中国の若者にとって、日本はどう映っていたんでしょうか?

【李】世間的には、日本は先進国であり「お金が稼げる場所」という印象が強かったと思います。ただ、私にとって日本は一つの「世界観」でした。当時は村上春樹の『ノルウェーの森』が大流行していた時期で、日本文化への憧れのようなものがあったんです。特にドラマ『東京ラブストーリー』からは、自由の象徴のようなものを感じました。

「日本という世界観」、面白い表現ですね。

【李】その世界観に入ってみたい。大学時代、ますます日本に行きたいと思うようになりました。

社会学という学問

東北大学では日本語学科から一転、社会学を専攻されるんですね。

【李】はい。最初は日本語教育や日本文化を研究しようと思ったのですが、「それでは芸がない」と感じ、日本人と同じ土俵で学び、議論したいと思いました。専攻分野を模索する過程で、のちの恩師となる長谷川公一先生の共著『ジェンダーの社会学 -女たち/男たちの世界-』に出会い。

社会学という学問へのワクワクが生まれました。

東北大学大学院時代の恩師、長谷川公一さん(左)と李さん(右)

社会学のどういったところに面白みを感じていますか?

【李】社会学は懐中電灯のように、普段は当たり前に思っている社会の仕組みを照らし出してくれる学問です。「どうしてこうなっているのか」を考え、説明できるようになる。もっと良い社会を意識的に作っていくためには欠かせない学問だと思います。

当たり前の具体例はありますか?

【李】小さな例ですが、昔は学校の名簿で男子が先、女子が後という並びでした。中国では成績順だったので、「これは社会が作った当たり前なんだ」と気づいたんです。ご飯を食べる前に歯を磨くか、食べた後に磨くか、布団をどう被るか、そういう生活習慣さえ社会によって違う。当たり前だと思っていることは当たり前ではない。その発見に衝撃を受けました。

社会学の中でも、研究テーマを市民社会にしたのはなぜですか?

【李】大学院に入りたての頃、長谷川先生に連れられて、仙台にある「あじゃり庵」という居酒屋に行ったんです。そこの店長である谷さんというオヤジさんがいて。彼は家出した子をお店で雇って支えたり、地域の子どもたちをキャンプに連れて行ったり。谷さんにとって市民活動は「社会に貢献しているから素晴らしい」のではなく、生き方そのものだったと思います。消費者や会社員ではなく、市民として生きることの豊かさを気づかせてくれる人でした。

ちひろ: 職業やスペックを通してではなく、一人の市民としてその人を見ることの大切さが伝わりますね。

 【李】まさにそこです。誰もが市民として生きられる社会をどうつくるか。谷さんと出会い、その問いが私の研究テーマになりました。

市民的コモンズを形成する上では、谷さんみたいな人が多く必要になりますか?

【李】市民活動を「生き方」とする人が多いほうが市民社会も活発になりますが、市民として生きる意識を強調しすぎないことも大事かなと思います。意識のある人たちが頑張れば頑張るほど、意識していない人からすると「自分には関係ない」という感覚になってしまう。中心人物や市民活動に意味を見出そうとする人はもちろん必要ですが、それを全員で担う必要はありませんし、その役割も固定化する必要はないんです。

コモンズの考え方、暮らしの重なり合いという意味では、「楽しさ」が一番大事なのかもしれません。

これからの活動とコミュニティカフェ構想

これまでの研究を踏まえ、今後やりたいことはなんですか?

【李】コミュニティカフェを世田谷で始める目標があります。

それはまた、どうしてですか?

【李】若い頃は、自分の専門性を最大限に活かして研究や交流活動をしてきました。中国と日本のNPOをつなぐネットワークを作ったり、自然学校の仕組みを中国に持ち込んだりもしました。でも年を重ねるにつれて「本物感がない」と感じるようになったんです。コモンズも、概念の価値には賛同していても、自分の心からの実感とは少しずれていました。

そこから「コミュニティカフェ」という発想につながったのですか?

【李】はい。夫も「誰かが来てくれる老後がいいよね」と言うようになり、二人で考えるようになりました。カフェなら人が集まるし、居場所になる。逗子や葉山、諏訪なども候補にしましたが、最終的には世田谷・弦巻に決めました。通いやすいし、地域のネットワークも広がっている。「Cafe いっぷく楼」と名づけて、「地域共生の家」に登録し、コミュニティカフェとして運営したいと思っています。語るだけではなく、自分自身がコモンズをデザインする側に立ちたい。そう思うようになったんです。

最後に、李先生にとってコモンズを実践するとはどういうことでしょうか。

【李】これまでは研究者として概念を語ってきました。でも「語るだけじゃなくて、本物になりたい」と思うようになったんです。暮らしの重なり合いをつくる場を実際に運営し、そこで生まれる出会いや重なりを自分自身も体感する。それがこれからの目標です。コモンズを研究する立場から、コモンズを生きる立場へ。残りの時間をそこに注いでいきたいと思っています。

こもれび大学生記者・チヒロ

今回のお話を通して、「市民的コモンズ」が貨幣に頼らないもう一つの経済であることを学びました。人には「仕事のときの自分」や「家族といる自分」など様々な顔がありますが、職業や肩書きではなく、一人の市民として見てもらえる環境こそが大切だと感じました。私自身も一市民としての自覚を持ち、まずは地域の夏祭りのボランティアに参加してみたいと思います。

李妍焱(リ・ヤンヤン)さん

駒澤大学文学部社会学科 教授

中国・吉林省出身。吉林大学で日本語を学んだ後、1994年に来日し、2000年に東北大学で博士号を取得。2002年より駒澤大学で教鞭をとり、市民社会や市民的コモンズの研究に取り組む。学生からは“ヤンヤン先生”の愛称で親しまれ、日常の延長にある「暮らし」や「楽しさ」を大切にしたゼミを運営。2025年には新著『市民的コモンズとは何か』を出版(ミネルヴァ書房)