第2話

だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

話し手
40代男性
聞き手
伊賀原純子

生まれはどこだっけ?

 (笑)そっから? うん。生まれは、九州の福岡県福岡市。

どんなところ?

 いわゆる地方都市。

横浜とか?

 そんなに大きくない。ぜんぜん小さい。小さいけど、一応、九州ではいちばん大きい。

東京でいう世田谷区と台東区の違いみたいなもの、福岡はあるの?

 ああー。なんだろう、街全体が小さいから。どうなんだろう。一応、福岡って呼ばれるところと、博多って呼ばれるところと、分かれている感じはある。

 福岡市の中の博多区と中央区なんだけど。博多区は、昔ながらのいわゆる博多と呼ばれる、江戸時代の前からの続く、なんか古めかしいところが割と残ってるエリアで。

 川を挟んで中央区は、メインの新しい街というか、大きな街になってる。でもそれも川を挟んで隣り合っているから、すぐ近く。そんなに東京みたいにでかくない。

どっち側の人?

 僕はどっちでもなくて、もっと外れのサバービアなエリア。

 福岡って海に面してるから、海にも山にも。南は山で。海に向かって、こう、大きな街ができているって感じだから。でも、なんていうか東京みたいに、立川から新宿出るのに電車で30分みたいなことはぜんぜんなくて。ちっちゃいから。バスで30分とかで着いちゃうし。そうだね。ミニ東京みたいな感じ。

ぎゅっと。

 ぎゅっと詰まってる。

 で、福岡は電車があんまなくて。あるんだけど、あんまなくて。いまね、たぶん3本ぐらいしかない。バスが、めっちゃくちゃ幅を利かせている。

 基本はバス。とにかくバス。

そっか、それじゃあ高校まで?

 そう。高校卒業するまでいて、大学でこっちに出てきた。

たまたま東京だった?

 たまたま……そうだね。受かったのが東京の大学だったから、っていうだけか(笑)。

福岡とか九州の大学も受けてた?

 一応受けたけど。うん。あまりいたくなかった。

 福岡って九州でいちばん大きいから。そこに残るか、残るって手もぜんぜんあるんだけど。残らないという手を考えたときに、どっかに出ていかなきゃいけない。

 それが九州の他の県だったら福岡に行くっていう感じなんだろうけど、福岡にいたら、じゃあ次に出るとしたら、大阪か東京か、みたいな。選択肢がだいたいそんな感じになっていて。

 僕の感じ方でいうと、大阪を完全に飛び越して、東京を見てる感じ。

 (大阪は)なんか、こう、憧れている街ではないって、なっちゃう。

ちょっと、身の丈を超えてしまったというか

仲間?

 仲間とも違うかなー。あんまり気にしてないというか。

 でも関西は、逆に京都の大学を受けた。姉が京都の大学に行っていたから、そういう選択肢もあるなって。

 ちょうど実家が京都に引っ越すことになっていて。

 だからなんか重なっていたから。実家についていくとしても京都、みたいな感じになっていて。だから大学時代とかは京都に帰っていた。

東京は、最初どこに住んでいたんだっけ?

 最初は、国立。

 その頃とかぜんぜんさ、距離感とかわかんなくて。すげえ遠かったよね。だから。大学まで1時間。

1時間! なぜ国立だった?

 よくわかんなかったっていうのが本当に大きいんだけど(笑)。

 実家の引っ越しとも被っていたし。私立と国公立を受けたんだけど、一応受かっていた私立大学の入学受付の締め切りみたいなものがかなりギリギリで。

 で、結局、国公立の方は落ちて、その受かった私立の滑り止めの方に行くことにしましょうかってなって、じゃあ東京に行くなら家を探さなきゃみたいになって、でも、本当に1週間ぐらいしかなくって。

 そのときに吉祥寺の東横インみたいなところにしばらくいたの。受験生向けのプランがあって。ご飯もついていて自習室みたいな感じで勉強もできますよ、という感じの。試験のたびに福岡まで行って帰って大変だからね。

 だから、吉祥寺と中央線近辺は、毎日帰ってきていたから。なんとなく知ってる。

 それで、いよいよ東京に引っ越さなきゃ、引っ越すぞってなって、家探し。じゃあ、どこから探していいのかわかんないみたいな(笑)。

 なんとなくわかるのって吉祥寺だったから。吉祥寺から探そうってなって。不動産屋を巡りながら、中央線近辺で探していた。

 で、部屋の感じみたいなのを見ながら、だんだんだんだん中央線の奥の方に下っていって。

 で、国立に。ま、予算的にも部屋の広さ的にもまあまあ良さそうなところがあったから、もうここでいい、ここにしようって決めたの。

街は見た?

 うん。一橋(大学)を受けていたから。国立は良かったなっていう思い出はあって。

 いや、本当に距離感とかぜんぜんわかんなくて(笑)。これが東京なんだろうな、と思いながら。

実際、受かった私立大学に通うには、遠かった(笑)。

 遠かった(笑)。

 そこになんやかんや卒業までいて。さらに2年いた。だから6年いた。

へえ。割と。

 気に入ってたね。うん。友達もいっぱい増えたから。国立でできた友達は未だに仲良い子が多いよ。

じゃあ、逆になんで引っ越した?

 なんでだろう? なんで引っ越したんだろうな。

 そうそう。そのときは、たぶんバンドをやってて。それの絡みでそっちに行きやすい方がいいな、都心の方が便利だな、みたいな感じだったんだと思う。いま思えば。確か。

 大学時代に国立でできた友達も、就職したり、活動エリアがさ、国立じゃなくなってきてたから。ここに別にいなくてもいいか、みたいな感じになったの。

で、次が。

 明大前。4年間かな。やっぱり移動はしやすくなったよね。国立に比べて。

 新宿にも渋谷にも1本で出れるし。ただ明大前は当時は本当なんもなくて。明治大学があるから色々あんのかなと思ってたけど、本当なんもなくて。おもしろくなかった。

 で、明大前に4年住んで、次が学芸大学。祐天寺と学芸大のあいだくらい。そっちに4年、6年くらい住んでいたのかな。けっこう長く住んでいた。

 国立6年、明大4年、学大が6年、16年。

学芸大学に行ったのはなぜ? 明大前より外側なわけで。

 そうだね。うん。なんだろうね。わかんないけど、なんか生活レベルを上げてやろうみたいな感じがあったんじゃないかな(笑)。

 でも、五本木なんかに住まなきゃよかったなと、いま思えば。なんていうか、なんだろう。なんかやっぱり無駄にお金がかかるし。家賃もそうだし。うん、なんか普通にフリーランスでやってる人間には。ちょっと身の丈ではなかったのかもな、とは思う。

 もっと稼げていれば違うのかもしれないけど。当時としては、かつかつ、というわけでもないけど、なんか潤ってはいなかったね。

 街はすごく便利だったし。すごく面白い店とかいっぱいあっていい街だなとは思うけど。

 ちょっと身の丈を超えてしまったというか。こうでありたいみたいな願望が大きすぎたのかな、みたいな。そんな6年。

 で、駒沢に、結婚する直前くらいに引っ越したの。

あれはあれで、ハレなのかもしれない

なんかあんまり移動感がないよね。

 そうだね。うん。なんでそこにしたんだっけって感じなんだよね。よく憶えてないな(笑)。

 で、田都、田園都市線になった。当時、会社が渋谷で。なんかチャリで行けるみたいな感じだったから。そこらへんにしたんだと思うよ。

ということは、家賃はお安くなった?

 変わらずだったね。若干高いぐらいかと。

 まあ、2人で暮らす家賃だから。むしろ実質的に安くなった。

そっか。なんか駒沢というと緑が多いというイメージがある。

 そうだね、っていうか、僕が住んでた家は本当に30mくらいに駒沢公園があって。めっちゃ近くて。

 それはほんと未だに、あれは良かったねっていうぐらいの感じなんだけど。

 駒沢公園があって、北東側が駒沢大学駅。から対角な南西側。

駅から行くと、駒沢公園を越える感じ? いちばん遠い。

 そう。奥沢とかに近い。すごく遠いから、駅からはめっちゃ歩いた。20分弱ぐらい。公園の中をずっと。公園のランニングコースを歩いて。で、途中で出る、みたいな。

 とりあえず、公園が近かったっていうので決めたような気がする。

公園に近いのは、なんでいいと思ったの?

 うーん、そうだね。いや、やっぱり駒沢公園はでっかい木がいっぱいぽこぽこ生えていて。気持ちのいい公園だなっていうのがあったから。それが近いっていうのはいいねえとは思っていた。

 で、(スマホの地図アプリを指さして)このAってカフェが、いまもあんのかな。(スマホ地図アプリに店舗名載っているのを見て)あるね。このすぐ近くだったから。

 駅に行くには、この、ここを出て、246に行くか、この辺から公園に入っていけんのね。この中のランニングコースみたいなのをこうぐるーっと回って。にょろっと出る、みたいな。どう歩いても、15分から20分くらいはかかる。

公園、いろんなところから出入りできるんだ。

 公園は、出入り口だらけ。

部屋の場所は何階だったの?

 1階。1階は初めてだったし。なんていうのかな、外から覗かれないような、結構高い壁が、塀がついていて。あんまりこう外が見れるわけでもないし。あんまり部屋としていい感じではなかった。

 ただ、新築だったし、綺麗で便利っていう意味では。便利っていうか、公園に出るのに便利っていう意味では、すごく良かったけど。

 うーん。でもその後、別に新築に住もうって気がぜんぜんないから、別にまあいいかって感じかな(笑)。

そっか(笑)。

 新築で狭いぐらいなら、古くても広い方がいいやって感じ。

 とにかく、この側(スマホの地図アプリ画面指さしながら)なんもなくて。

 なんもないというか、要するに、生活するのに割と不便なんだよね。こう、駅の周りにスーパーがあったりするんだけど、すごく遠いからさ、ここまでこう重たい荷物を持っていったりするの嫌だし。

 あとさ、なんかおしゃれっぽいカフェとか、割と老舗のお店とかもいっぱいあるんだけど。そういうのって、生活してたら別にいらないじゃんって。

 なんかああいうのって、よそから来る人が行くところであって、中にいる人はそんなに必要ないなって感じじゃない?

ああ。

 なんか、日々行きたいとか、日々自分の生活の中に溶け込むようなところがそんなになかった。そういう意味で、なんもないって言っちゃう(笑)。

 「これが世田谷スタイルなのかな」みたいなのは思っていた。だから、そういうのって縁がないなと思って。

そういうのはあんまり求めてなかった。

 求めてなかったね。ぜんぜん。

(笑)え、なにを求めていた?

 いや、だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)。

(笑)

 言い方が悪いかもしれないけど、全部こう、浮わついてる感じだから。

 ちょっと高いハンバーガー屋さんとかね。コーヒー1杯500円(当時)みたいなカフェとか。そういうのって、普段の生活の中にはぜんぜん必要ないからさ、ハレばかりなんで。ケがない。

あんなに緑が多いのに。

 だからそれもそうなのかもしれない。あれはあれでハレなのかもしれない。

「この辺、住んでたんだよ、行ってみよう!」って、家の前まで行ってみたの

緑は緑でハレか。緑豊かな公園が。

 そうそう、ハレ要因です。

 住宅地の方に行ってみたら、昔ながらの八百屋さんがあったり、パン屋さんがあったりとか、割とそういうところはよかった。

 ただその、駒沢大学なんて割と有名な大学とかあるわりには、学生向けっぽいお店とかあんまない感じがする。

そっか。学生街的なものは?

 ない感じがするな。駅前にチェーン飲み屋とかはあったけど。安くておいしい定食屋とか、そういうのはぜんぜんだよね。

不思議だね。学生っぽい店とか好きな人?(笑)

 いや、別に学生っぽいのが好きってわけじゃない。そこまでではないにしても。

 うん、やっぱり、そのハレ感がすごすぎて(笑)。

(笑)

 なんか、さくっとご飯を食べに行って、まあ美味しかったねって帰って来られるような店がぽこぽこある感じじゃなかったから。

 ここ、すごくよく行ったね、みたいなお店はあんまない。住んでたのは3年、丸2年かな? 2015年の6月ぐらいまでかな。

 で、子どもが生まれたんだよ。駒沢にいるとき。

 いまのうちの上の子が6か月ぐらいまで、駒沢にいた。(住んでいる部屋は)一応3人ぐらいまでならオッケーかな、ぐらいの感じだったけど。

 まあ、わざわざここにいる必要はないよね、みたいな感じ。

 でもやっぱり公園が近かったのは、よかった。

 ベビーカーだし。なんか休みのたびに、ちょろっと歩いて公園まで行ってピクニックするみたいな、子どもと一緒にごろごろするみたいなのがすごくよかった。それは本当に良かった。結婚とか、子どもができたみたいな、こう、大きなイベントのときに駒沢にいたから。すごい思い出深いし。

 で、いつだろう。今年の春かな、正月かな。久々にその近くを車で通って。

へー。子どもと奥さんと車で。

 そう。家族と。「この辺、住んでたんだよ、行ってみよう!」ってなって、家の前まで行ってみたの。「ここだよ」って。車の中から「へー」みたいな感じで。別にそれ以上はないんだけど(笑)。

 まあなんか、一応東京生まれ。東京ではないな、生まれたのは埼玉の病院だけど、「東京に住んでたことあんだよー」みたいな感じで話をして。

当時住んでた建物は変わらず?

 変わらずだね。まだ10年。10年ぐらいかな、9年前ぐらいかな。

 なんかいまになって「またゆっくり行きたいね」「駒沢公園とか行きたいね」とか言って。「旅行的な感じで行くか」みたいな。どっか、このへん1泊して行くか、みたいなのは思ったりするけどね。うん。

いいねー。車で行くと、いま住んでるとこからどのぐらいなの?

 1時間ぐらい。(スマホの地図アプリを見ながら)駒沢公園……、うん、1時間。

 その後は埼玉県民なんで、最後の東京は駒沢って感じかな。

最後って言っちゃう?(笑)

 また住もうっていう気があんま起きないね。

 さっきも言ったけど、やっぱハレの街だからさ。疲れちゃうね。

 少なくとも23区に住むことはなかろうなぁ。

 住むんだったら、本当に八王子とか、その高尾とか。そっちの方には興味あるかな。ちょうどいい田舎ぐらいの感じ。

 うーん、なんかそうね。(駒沢は)ザ・世田谷って感じでよかったね。

世田谷って広いよね。

 広い。やっぱり昔から住んでいる人も多いし。なんか家がすごく古いのがドンドンドンってあるみたいなのはすごくあるし。

 東京に昔から住んでいる人がいるエリアなんだな、みたいな感じの。なんだろうね、僕の中ではすごく東京感がある場所ではあるよね。

それは明大前とかよりも?

 ぜんぜん。世田谷だから、だったのかもしれない。

……ほんとに。ほんとにわからなかったんだよね

 九州に帰る理由もなくなっちゃったから、帰ることはないかも。

 実家は福岡から京都に行って福岡に戻ったけど、僕はその間ずっと関東だし。

 で、福岡の実家はもう誰もいなくなっちゃったから。福岡に。僕に帰る場所はないので。

お姉ちゃんも?

 姉はいるけど、姉は別に嫁いでいるから。関係はない。

 でもまあ住むんだったら、福岡すごくいいなと思うけど。

なんか、話を聞いてて、福岡愛は感じました。

 愛はあんのかな? ぜんぜん思い入れないんだけどね。だから、その、18歳からさ、いままでいないからさ。

 基本的に住んでいないから。ぜんぜん知らないんだよ。逆に。

 ぜんぜん知らない。高校生までしかいないからさ。

 むしろ、お店とかぜんぜん知らないし。だから、むしろ帰省するたびに自分で調べて。ああ、こんなところがあるんだねみたいな感じで。調べないとわかんない。

 だから、旅行に行くところだ。うん。ぜんぜん、旅行。

実家は、もう売っちゃった感じ?

 うん。ない。

 でも旅行にはさ、その、街はコンパクトだからさ。

 なんか海でも山でもさくっと行けるから。そういう意味ではすごいいい。

海、近いんだ。

 近い。しかもめっちゃ綺麗。

 ふふふ(笑)。真っ青な。真っ青な海だよ。ちょっと行けば。全部が全部じゃないけど。

えっと、江ノ島とか三浦とか、そういう?

 もっと南の島っぽい。(スマホで浜辺の写真を見せる)

やば。すごいな。

 こんなこんなで。ちょっと都心から地下鉄30分ぐらいでこんなんだよ。

え、30分でこんなエメラルド。

 そうだよ。結構ビビるでしょ?

 福岡、こういうのがさくっと、都心からでもちょっと足を伸ばせばいけるみたいな感じのコンパクトさはすごくいい。

 なんか、すぐびゅっと都心に出てちょっと走ればすぐ海みたいな感じだから。そのコンパクト感がすごくいい。そういう住みやすさ、すごくあるなとはいまでも思うけど。

 いまは別に。いますぐ住みたいとはぜんぜん思わない。

 なんでだろう? めんどくさいからかな(笑)。

 知り合いがね、あんましいないしね。多少はいるけど。

東京の方が多い?

 いや、いるよ、ぜんぜんいるよ。

 (しばらく沈黙)

 ……ほんとに。ほんとにわからなかったんだよね。西も東もわからない(笑)。

 距離感もわからなくて。電車で生活、電車で移動するっていう生活をしたことがなかったから。電車で移動するっていうと、新幹線に乗るみたいな、旅行しかないから。

 何分乗ったらどのくらいの距離なのか、ほんとにわかんなかった。

 だから、「電車だから遠くまで行くでしょ?」みたいな感じなわけ。そういうもんなんだなあと。これが東京なのかなって思って。

 でも本当に国立に住めたのはラッキー。楽しい町だったし、本当にいい思い出がいっぱいあったし。

逆に、どこでもよくなっちゃった

でも、いまは実家がなくなっちゃったわけじゃん。

 うん。

それはどうなの?

 うん。僕も、姉も、実家を継いで、というかそのまま引き継いで住もうって気はさらさらなかったから。満場一致で売るかって感じで。

 まあ、18歳まで住んでたし。なんやかんや、最近は帰っていたから。

 思い出がない。思い出がないとは言わないが、思い出はない。

 それもあるし、なんだろうね、割となんか最後らへんはこう、家族仲がいまいち良くなかったから。

そうだったんだ。

 なんか、もうとっとと、綺麗さっぱりしたい。みたいなのは強かったかも。

 うん、割と最近だね。うん、さっきまでって感じだから。

 その、一昨年、父が亡くなって、去年母が亡くなって。実家はやっと売れて。これから、取り壊しみたいな感じだから。だからなんだろう、早くそれを終わりにしたい。

 来月再来月あたりに行って、最後の整理? 片付けをして、みたいなね。

 実家には、そりゃ思い出はないわけじゃぜんぜんないし、いっぱいあるけど、それを引き継いでどうこうしたいみたいなのは、ないかな。

 でも、本当に、なんだろう。

 福岡に行くイコール実家に帰省するみたいな感じでも、ぜんぜんなかったから最後。最後っていうか、もうここ20年ぐらい。

 実家には行くけど、泊まるところは別みたいな感じだったりしたから。ぜんぜん、そのなんだろう、思い入れがある感じではないんだよ。

じゃあ、これからも埼玉?

 わかんない。逆に僕は埼玉に、家族以外に個人的な縁もゆかりもないから。

奥様が?

 地元。

 そう。だから僕は別に「埼玉、最高。絶対いい!」とか、そんなに思ってないし(笑)。

 逆にどこでもよくなっちゃった。

仕事は、東京?

 うん、会社は東京。うん。でも家でしている。ほとんど関係ない。

 そう、そういうどこでもいいからどこでも働ける仕事をしてるみたいな感じはある。

 パソコンさえあればなんとかなる仕事だから。どこでもいいやって感じだね。

 それで、ここ数年、毎年夏はどっか別の町に住むのを、やってる。

 去年も北海道、今年も北海道。

 北海道の中でも場所はぜんぜん違うけど。うん、だいたいそこに1か月ぐらい、夏の間は、住む。

子どもも夏休みだし。

 そうそう。いまはとにかく暑いし、無理だから。関東。

 そういうのは許される。許されるっていうか、できる職種だし、仕事だし。

 チャンスがあるならいろんなとこに住んで、行ったことある場所を増やしたいな、みたいな感じ。「今年はどこにする?」みたいなのは、毎年話し合って。

 まあ、子どもの学校ぐらいじゃない? 縛られるのは。

 うん、そこはね、学校とか子どもの選択肢みたいなことを考えると、なんかやっぱりね、東京とかそこに近しいところにいるっていうのが選択肢という意味ではいちばん広いんだろうなとは思う。

 という意味ではね、どこでもいいってわけにはいかないのかなとは思うけど。

 ただまあ、その子どもの選択肢という意味でも、地方いろんなところに行ってみて、「ここに、こんなところがあるんだ」って知ってもらうのはいいことかなとは思っている。

めちゃくちゃわかる。

 いやほんと。やっぱり、そういうのもね、選択肢があるっていうのはいいことだし、そこだけかな。

 で、その移住者を募っている地方の都市が色々とサポートしてくれるから、そういうところに乗っかって、夏のプチ移住みたいなのをいまのとこやってる。

逆に、駒沢あたりに夏の間だけ移住とか(笑)。暑いか(笑)。

 暑いよー(笑)。子どもと外に出られないもの。

 でも、駒沢公園でピクニックしたのは、本当にいい思い出なんだよね。ピクニックっていうか、本当に公園で遊んだなーと思って。

 で、その夜な夜な(セミが)羽化するところを見に行ったり。見放題。うひょーみたいな。

 なんだろう。そう、都心の中にあって、ああいうちょっと自然と触れ合えるみたいなのがあったのはすごい良かったし。まあ、子どもと一緒にその、木陰でピクニックしたのはすごくいい思い出だし。

 桜も咲いたりして。それはすごくよかったかなー。あと、フリマやってたり、オクトーバーフェスとかやってたり。なんかそういうのにさくっと参加できる面白さはあったし。

うん。

 その、64年の東京オリンピックの、まあちょっとした遺構みたいな? 遺構じゃないけどさ、使われてるんだけど、そういう東京のレトロみたいなのに触られる場所だったみたいなのは、けっこう良かったかな。

生活史を聞いて:ミニインタビュー
伊賀原純子さん

「うんうん、そっか」って、こんな形で聞けたのもよかったな

話し手はどんな人?

伊賀原 もともと仕事仲間。ウェブデザインの仕事をしてる方で、飲み友達でもあり、みたいな感じ。7年ぶりぐらいに会って。話にも出てきたように、駒沢とかその近辺にポツポツと住んでいたのは知っていたので、「ちょうどいいな」と思って。

参加してどうでした?

伊賀原 何回か「こもれびスタジオ」で皆さんとお会いしたのは、本当に貴重な体験だった。「生活史とは」みたいな説明があって。私は以前ライターをしていたので、そのときの仕草とも違うな、みたいな感じもありました。人の話を聞いて書くのはもちろん好きで、でも生活の話を聞いて書くというのはまた違う体験なんだなっていうのを、皆さんと一緒にじわじわと感じていました。

 生い立ちから聞くことってなかなかないじゃないですか。 作り込まない、誘導しない、断定も取っ払って、話し手が話しやすいように純粋にそこに委ねていくっていうのは面白いな、と思いつつ「できるのかな」みたいな感じもあった。自分は結構商業的な分野で書いていたから。

 あと、いろんな人が「書きたい」と思ってるんだなぁと。

 駒沢に住んでる人やゆかりのある人も多くて、「こういう方々なんだな」っていうのも面白かった。「駒沢の人っていう感じだな」みたいな。純粋に興味があった。

伊賀原さんは東京の東の方に住んでいる。

伊賀原 そうです。生まれもいわゆる下町で。高校からちょっと武蔵野に通うようになったけど。

どんなイメージがあった?

伊賀原 やっぱり公園。公園があるなって。駒沢大学出身の友だちもいるので「通ってたとこだな」って。あとなんだろう。世田谷っていう、すごく大きな区の住宅地。話し手から駒沢の話がいろいろと出てきたときに、「やっぱそういうところあるんだね」みたいな感じで、駒沢のことをすごく考えながら聞いていたな。

 彼とは会ってなかった7年の間にまあまあお互いいろいろあったので、人生の転換的なところも端々に感じられて、「うんうん、そっか」ってこんな形で聞けたのもよかったな。「やっぱり気が合う人だな」と思ったし、いつもみたいに飲んでじゃなくて、だらだらなんとなく話を聞けて。改めて「面白い人だな」って思った。

 むこう結構緊張してたとは思うので、そんな中よく頑張ってくれました。ありがとうございます、って感じですね。(笑)