ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)
- 話し手
- 70代女性
- 聞き手
- 佐倉みゆき
こちらの店先で、以前「初雪かずら」の小さな鉢植えを見かけて、すごく気に入って、買わせていただいたんです。そのとき、その名前の由来を教えてくださって、今回お話をうかがいたいと、真っ先にお顔が思い浮かんだんですよ。
いや…他の人に話聞きに行った方がいいよ。私なんて、なんてことないから。
では、その、なんてことないお話を…ハートのままに…。
ハート、真っ黒よ(笑)。
(笑)お生まれはどちらなんですか?
大田区…「矢口の渡し」ってね、知ってます? 「矢切の渡し」じゃないよ。「矢口の渡し」ね。
多摩川…の川沿いの家です。その頃の多摩川の、うちの辺は「多摩川大橋」っていうのがすぐそばにあって。「第二京浜国道」。だからまあ、もう氾濫するような土手ではない、ちゃんとした土手ね。
きょうだいは4人で、いちばん上が男で、あと女、3人。
すぐ上でもけっこう…6歳違ってたから。だから、一緒に遊ぶっていう感じではないよね。
その頃の遊びっていうと…
そばの神社で…缶蹴りとか、そんなことしてたんじゃないの?
あんまり思い出せなくなっちゃってね(笑)。
親の親戚がけっこう近くにいたから、いとこが…いとこが、うん、いましたね。
で、その辺に遊びに行ったりとか。自分んちは商売をしてたから。
どんなご商売だったんですか?
洋服の修理を。
じゃ、ミシンとかで。
そうそう、そうなの。だから、いつだったか墓地に行ったらね。「あれ? どこの家の人?」って知らないお父さんが言うからさ、「いや、どこそこで洋服直してる店の…」とか言うと「あ、ミシン屋さん? あそこの娘さんかー!」なんてね。
うんうん。
昔はね、そんな…屋号なんてないじゃない? で、「あのミシン屋さんの…」みたいな感じで。そうそう、皆さんに、そうやって知ってもらってたみたいよ。
あの子が通ったんだから大丈夫だろって。意外とすんなり入っちゃった
いまはもうみんな、安いのが売ってるからあれだけど、昔はほら、洋服だって修理して、大事に…ね。ワイシャツだって、洗濯屋さんが持ってきて「襟を直してくれ」とかさ。取り替えるのよ。襟って、黒くなっちゃうじゃない? …そんな仕事してましたね、夫婦で、親は。
お手伝いされてた?
ぜんぜん。私はいちばん下だから、そんなことできない。いちばん上の姉は洋裁をちょっと習ったから、洋服とか、私たちのをつくってくれたりしたけど。

親にはほんと、私たち、あんまりかまってもらったっていう記憶がないよね。…貧乏だったし…固定収入がなかったからさ。
そこから、近くの地元の小学校行って、中学校行って、都立の学校行って、それで就職して。
…事務です。うん、「◯◯硝子」っつってね。いまはなくなっちゃったと思うんですけど、ガラスとか瓶のガラスをつくってた会社ですね。そこの本社で、事務をしてました。
なんか、うちの高校が…ああいう就職って代々、同じ学校から取るのね。で、あの子が通ったんだから大丈夫だろって。意外とすんなり入っちゃった。
新橋…に本社がありました。
その頃の新橋って、どんな感じだったんでしょうね。
飲み屋さんがありましたね。嫌いじゃなかったから、よく部長なんかに、連れてってもらいました。サラリーマンの街だもんね。
そこから、こちらの界隈にはどうして?
ここら辺ね、どうして来たんだろう…。
その前に……もうそのだいぶ前に、うちの旦那とも知り合ってたんで。
結婚した当時、うちの旦那はサラリーマンだったんだけど、なんか、サラリーマン…嫌になったのかな。
ちょうど花屋の…募集してたんで、花屋に勤めだしたの。それも、たまたま引っ越して、2か所、種類が違うところに。
一つは横浜の桜木町で…パーティーとか、そういうのを請け負うようなお店だったんです。
もう1軒、東京に来て入った花屋は、お寺さんのお仕事をするような。
だからぜんぜん違う、両方の仕事を覚えられて。それで、年齢も年齢だから、独立しようかっていうことで。
花は………ね。花は、いいもんだからね
最初、アパートの一室を借りてやってたんだけど、けっこうその辺、大会社の社長さんのお家とかあって、そういう人たちに可愛がられて。いまはみんなマンションになっちゃったけど(笑)。みんなどうしちゃったかね。
…で、私たちも、立ち退きだ、なんだあって。いま、となり町でやってます、夫が。
じゃあ、旦那さんはとなり町で、お母さんはこちらで。
そうです。そこはお店だけで、住むとこがなかったんで、ここで住みながら、じゃあ「どうせなら売るか」って。
いいですね。
よくはないけどね(笑)。なんにもしない方が楽だよ(笑)。
ステキなお花ばっかりですけど。
花は…ね。花は、いいもんだからね。
こちらは旦那さんが仕入れて。
そう、仕入れて。買ってくるんです。市場があります。
昔はもっと、いろんなところに小さいのがあったけど、だんだん減って。
大きいとこなら、ちょっと行けば大田区の大田市場。でもだいたい近いところで。
これは…ドライフラワー?
売れ残ったのを、吊るしてるの(笑)。
これも売っていらっしゃるんですか?
売ってますよ。中にはちょっと変わったのがあるよね。
ホウズキなんかも、やるとかわいい、意外とね。
ホウズキ、色がキレイですね。
うん、今年のと、昨年のと、おととしのと、だんだん、こう…色が変わってくる。
いろんな大きさの鉢植えもありますけど、こういうのも市場で。
そう。植木の市場もあるし、花の…切り花の市場もあるよ、曜日によってね。
いまは、夏…あんまり…売れません。春に植えちゃって、ずっと秋ぐらいまで持つような花ばっかり。庭に…植えてるようなのはね。だからあんまりないんですね、いまは。
…あの、…おいくつなんですか?
もうすぐ77。
ぜんぜん見えないですね!(笑)
(笑)なんか出さなきゃいけないの? ふふふ…! もうすぐ喜寿です、来年ね。
お砂糖、こないだから無いのに、どうして気が付かなかったんだろう
こんなヨレヨレになると思わなかった。いやほんと、…足の具合が悪くて、2週間ぐらい入院したことがあるんですよ、今年の春。
そしたらね、ベッドから、歩かせてもらえないのね。リハビリはするんだけど、リハビリなんて車椅子に乗って、ちょっとそこに行って、手足の先を動かすぐらいだからさ。
そしたら、歩けなくなっちゃうのね! もうそのまんま、いまもヨタヨタよ。
しっかり立っていらっしゃいます。
いやいや、歩くのも遅くなっちゃうしさ…年相応です。年取るってこんなことなんだなと思うね。
親もやっぱり、大変だったんだろうなって、いまになると思う。
背中も丸くなるし。なにやんのも鈍くなるし…。「お前、さっきと同じこと言ってるよ。覚えてないの?」とか、いつも言われてますよ(笑)。
あー(笑)。ご家族でお住まいなんですか?
もう旦那だけ。娘たちは結婚して、それぞれ。
2人とも女なんだけど、上の娘は(旦那さんが)長男だから、両親と同居。…って言っても別所帯だけどね。二所帯に建て直したもんだから、一生懸命働いてます(笑)。
もう一人はね、千葉で百姓してる。新規の人たちを受け入れてくれるところがあったんですね。旦那もそういうのが好みだったらしくて、友達と自分たちで起ち上げて。いまはまあ、夫婦でやってんだけどね。でも、地元のお百姓さんがみんな良くしてくださるみたいで…なんとかやってます。
いいですね。…この辺では、どんなところに行かれるんですか?
朝、ちょっとコンビニに行くぐらいがせいぜい。あとは日曜日とか、ちょっと早めに店閉めて。私が荷物も持てないし、ヨタヨタしてるから、夕飯を兼ねながら、お惣菜を買ったり、お米買ったり、野菜買ったり、そういうことをしてます。
それは旦那さまと。
そうそうそう。大したもん、買わないんだよね(笑)。でもダメなの、忘れちゃうのよ。ちゃんとメモしとかなきゃいけないと思うんだけどさ。昨日も「あ!」って思ったのは、お砂糖、こないだから無いのに、どうして気が付かなかったんだろうって。朝、コンビニにしょうがないから買いに行って。
姉はけっこう、面倒見てくれてたから
この(店の)前の通りも、…昔は商店街だったんだよね。お肉屋さんがあったり、お魚屋さんがあったり。いまはもう、なにもなくなっちゃったけど。まあ、コンビニに行けば、雑多なものはあるけどさ。
…そんなとこです。たいした話じゃなくてごめんね。
とんでもない!「忘れられない思い出」って、なにかありますか?
忘れられないねぇ…。…子供の頃は多摩川だったから、花火大会がありましたね。
あと、そうねぇ、やっぱり、姉が50いくつで死んだのは……やっぱり……ショックだったわね。
あぁ…何番目のお姉さま?
いちばん上の…。うん、上の兄と姉はもう死んじゃってんのね。
まあ年齢的にもね。でも姉は…癌で…ちょっと、大変だったの。
私も癌やったんだけど。…もうやっぱり…年取るとこんなもんなのね、体って! たまたま私も早く見つかって。乳癌と、腸の癌が見つかって。
具合が悪くて、ちょっと個人の病院に行ったら、「すぐ、大きい病院に行きなさい」って。で、病院に行ったら「すぐ、医療センターに行きなさい」って(笑)。
すぐに処置してくださったんですね。
うん! そうなのね。だけど頭の方は治らなかった(笑)。顔もね(笑)。
(笑)…その…お姉さんのとき、やっぱり悲しかったのは…?
そうですね。…ずっと母も、家にいたけど、仕事してたからね。…貧乏だったから。…姉はけっこう、面倒見てくれてたから。
この間、もう一人の、生きている方の姉のご主人が、やっぱり1ヶ月ぐらい前に亡くなったんだけど、その人が、昔みんなで集まったときに、ビデオ撮っててくれたらしいの。「みんな若くて面白いから、今度見ようよ」って、言われてんだけど、時間がなくてなかなかね…。
「そんなのやる時間、ないよ」っつって。文句ばっか言われてます(笑)
そんな…ビデオなんてね、昔はなかなか、自分ちには持ってないから。
いまは、みんな持ってるけどね。携帯だってパチパチとれるけど。
さっきも「お前、携帯の使い方くらい覚えろよ」って言われて。
…覚えられない。頭が回らない。いま、教室があるから、それに行った方がいいのかな(笑)。とか思うけど。
(電話が入る)
あの…さっき教えてくださった多摩川の花火とか、お姉さんとの楽しかった思い出、もう少しだけ伺っていいですか?
思い出ねぇ。これっていうのは…ないねぇ。
あのー、姉が高校の友達と出かけるときに、私がほら、6歳も下だから、私も連れてってくれたわね(笑)。みんなで「向ヶ丘遊園」に、姉の同級生たちと学校を卒業してから、私を…一人だけコブとしてくっつけて、連れてってもらった。親がそういうとこ、どこも行かなかったから、なんか不憫に思ったんじゃない?
あとは、子どものときは「多摩川園」って、あってね、目蒲線に。
駅のまん前に、夏はお化け屋敷ができて。秋になると、菊花展やったり。小さいとこだったけどね。そこが娯楽といや、娯楽なのかな、その辺の。電車で1本だったから、何度か連れてってもらった記憶がありますね。
あとは、たわいもない遊びをしてましたね、近所の子たちと。もう、思い出せない。…かけっことか、かくれんぼとかしてたんじゃないの? 缶蹴りだとか。
あの頃、みんな、どっちかっつうと貧しいから、誰かのうちに行くとかじゃなくて、外で、みんなで遊んでたね。
お姉さん、どんな性格の方だったんですか?
性格は、きつかった…わね。洋裁も習って、講師もしていたし、忙しかったから、それでちょっと人に頼まれるとプリプリしてたんじゃないの。
でも、姉は…けっこう癌の闘病、大変でした。かわいそうでした。川崎の病院で、よくお見舞いに行って。
両親は、90近くまで長生きしたのよ。だから、親はかわいそうだったよね。
やっぱりさ、子供が先に死ぬって言うのはね。でも、しょうがない。
いま、会ってるでしょ、向こうで。
お話をうかがい始めてからいままで、ずーっと立ちっぱなしで。いつもこうやって、立っていらっしゃるんですか?
いや、お客さんが来れば。普段は、中に入っていろんな用をしてるから。
家事もありますもんね。
そうなんです。だからうちの旦那に、「私だって用があるんだからね! 忙しいんだからね!」って言ってあげるんだけど、わかんないんだよね。「あれは、もう終わってるのかよ?」って聞かれて「そんなのやる時間、ないよ」っつって。文句ばっか(笑)。言われてます。
仲良くいらしてくださいね、ずっと。
ふふっ。刃傷沙汰、にならないようにね(笑)。
(笑)それにしてもここ、冷房がちゃんと効いてて、涼しくて。
花のため、ね。こっち、家の中の方は…もう暖房よ(笑)。
生活史を聞いて:ミニインタビュー
佐倉みゆきさん
読み終わった後は2人でシーンとして、お店の外を見ていて
引っ越してきた6年前に、いつもと違う駅から歩いて帰ったら、「普通のお家の外に沢山鉢植えが並んでるな」「あれ。お花屋さん?」と思うようなお店があって。お花売ってます、という感じはぜんぜんない(笑)。でも、佇まいがとってもいいんです。
あるとき気になった鉢植えがあって、「ください」と飛び込んで。そうしたら、「ハツユキカズラ」「新芽が白いからこういう名前なのよ」とお母さんが教えてくださった。以来ずっと私の心に住んでいた方なんです。
でもあちらからすると、いきなり来て、「生活史のプロジェクトでお話を聞きたい」とか言われてびっくりされたと思う。「私なんかいいから他の人に行った方がいい」と何度も何度も言われて。「お母さんとちょっとだけお話ししたのがずっと心に残っていて」と精一杯伝えて。
そしたら最後、本当に渋々「じゃあいまここで世間話程度なら」と言ってくださったんですね。
「はいっ!」って取り出して(レコーダ−)。「用意はしてきたので!」と。
でも、案の定お話はなめらかでなく、「もうあんまり覚えてないのよ」とおっしゃることもあって。これは、質問していくしかない…みたいな。
講座で「相手が漕ぐ舟に乗っていればいい」と聞いたものの、ご本人が漕がないから(笑)。
素敵な素敵な舟なんですけど「最初は私が漕がなきゃ」みたいな。
でも、ずっと沈黙になったり、途中で電話が入ったり(笑)。なんとか繋いで30分聞けた。「ありがとうございました」と心から言って、家に帰ってバーッと起こしたら、お母さんの人生がしっかり浮かび上がるお話を伺えていた。笑いを誘う言葉もあり、すごく人柄も出ている。「短いけど、いいお話伺えたな」と思いました。
ただ今度は、テープ起こし原稿の確認にうかがうときも、「やっぱりやめとくわ」って言われるんじゃないか? と。
常にその危険を感じつつ。
最終稿のときも「やっぱりやめとくわ」と言われるんじゃないか? って、最後までドキドキしましたね。「メールとか持ってない」とおっしゃっていたから、私がお店で読み上げて。「(笑)」とかも全部クチで言って(笑)。
じーっと耳を傾けてくれて。
「うんうん」「恥ずかしいね」と言いながら、最後までちゃんと付き合ってくださって。
読み終わった後はなんか二人でシーンとして、お店の外を見ていて。
ホッとする一方、ちょっとずつ積み重ねてきた二人の時間が一回ここで終わり、というのがすごい寂しくて。
「お母さんのお話聞けて、私本当よかった」と言っちゃったんですね。そしたら「こっちも」と。「聞いてもらってる人がいると、いろいろ思い出すものね」と言ってくださって。
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