第11話

まかない食い放題!生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

話し手
50代男性
聞き手
川上修生

 なんでも儲かったけどね、昭和の時代はね。うーん。昭和っていい時代だったのよ。1985年までは。中曽根首相になるまでは。その話をしたいなぁ。いいの? その話で。

もちろんです。

 うん。やっぱりどこでこうなっちゃったかっていうね。だからその昭和期の、頑張ればこう…独り立ちできるとか、儲かるっていうのも我々世代だと知ってるのよ。俺なんかとくに知ってんの。そういうね、おばさんおじさんね。まわりの番頭さんを見てるから。うん…それがね…うん。

なるほど。

 そういうね、だから世の中もね、やっぱ明るかったし、やっぱり……うん、助け合ってたよね、気持ち的にね。「俺もここまで独り立ちしたから、お前も頑張れよ」と。なんかそういうね、相乗効果があったんだけど。

はいはいはい。

 うーん、俺、斜めから見るタイプだからあれなんだけど。いまはね、やっぱり人をね、蹴落とさないと、座席数が少ないから。絶対的な椅子の数が少ないから。もう足引っ張って引きずり下ろさないとその椅子に座れないのよ。独り立ちという椅子にね。

 なんならその椅子に座ったら、あとはこうその椅子を取りに来る奴らをもうもう蹴落とさなきゃいけない、みたいな。うん、もう嫌な言い方しちゃうとそういうのもあるのよ。

言わんとしてることはよくわかります。

 表面上は良くなったよ。なんかこうね、うん、「24時間テレビです」とか「助け合いましょう」とか、うん。弱者救済とかあるけど、内面がどうかなっつうのあんのよ。うーん。

その辺もじゃあ、やっぱりその幼少期のご経験というか。

 そうそうそう。

周りのご家族含めて、見てきた光景? 風景? とのギャップで、余計にそう思うっていうことですね。

 うん。あの頃は…やっぱりそうだよね…。それを取り戻したいのよ。あの…昭和40年代から50年代前半のね。あの感じをね。日本のね。ええ。

俺、自分で言うのもなんだけど、きっちりやってたから

なんか、そのときに思い浮かぶ光景というか風景とかってありますか? 取り戻したいって言ったときに。

 心なんだよね。心と、やっぱ、あと政治というかね。うーん、だからまあまあまあ、国会議員、総理大臣とかもそうだし。あのー、企業のトップもそうだし、官僚もそうなんだけど。変わっちゃったんだよね。「変えさせられた」っていうのが正解なんだけど。

なるほど。

 ねぇ…。そこはちょっとじゃあ置いときましょう。ちょっとまた、ちょっと外れて陰謀論に入ってっちゃうんで(笑)。また別の、別の機会にね。

裏トークとして(笑)。

 そっちはそっちで大事なんだけど。うん、そこがでも根っこではあるんだけど。なかなか…。

話が繋がってるのはよくわかります。そんな風に思い始めたのは、いつぐらいからというか。

 ああ、分岐点はね、15年前にこの家業を継いでここに来たんですよ。15年前に。そこからだよね。

なるほどなるほど。

 それまではやっぱり俺も…この社会の荒波というか…の中でもがき苦しんでたからね。だからわかんのよ。

なるほど。

 わかるんですよ、そのー、同調圧力とか、社会の中での自分の立ち位置との、そのせめぎ合いというか。

うんうんうん。

 うん…あとは結構ブラック労働みたいな。いやいや、やっぱ飲食業だったんでね。うん、寝るか働いてるかの、うん。長時間労働。単なる長時間労働じゃなくて、内容も濃い忙しい長時間労働だからね。

 「料理の鉄人」を見ちゃって、うん。じゃあ料理屋でもね、飲み屋でもやりたいな、なんて思いながら。脱サラしてね。うん。エリートサラリーマンを3年で辞めて。

そうだったんですか。

 うん、そうそう。そうなんですよ。エリートサラリーマンを辞めて。飲食に入って。ブラック労働まで経験するというね。でも結果を出さなきゃというね、見えない圧力ね。うん。「いや結果出さねえと」っていう見えない圧力の中、働いたね。

じゃあ学校を出られてエリートサラリーマンさん? で、その後に飲食業をやって?

 そうそうそうそう。(飲食業は)10年ちょっとだよね。40までやったんでね。そう、ここに来たのが40歳。

なるほどなるほど。

 それから15年で、いま55ね。

割とその、わかりやすい節目ですね。

 そうそうそうそう。そうなのそうなの。うん、節目としては。

そうだったんですか。飲食業はどちらで?

 最初1発目はね、やっぱりね、いきなり個人経営みたいのは無理だから、大きな居酒屋グループで。

居酒屋チェーンですか。

 これがまた厳しいんだ。いやでも当時は給料良かったよ。本当に。

良さそうですよね。なんかちらっと聞いたりしますけど。

 すっごい良かった…大変だったけど。で、店も(どんどん新しく)オープンオープンだから。オープンして、オープンヘルプっつうのも行ったしね。そう、精鋭が集められんの。オープンヘルプって。新店だから。

失敗できないですもんね。軌道に乗せるために。

 そうそうそう。新店だから。そういうの呼ばれたりして行ってね。こう、もう朝から晩まで。新店はきついのよ。で、幹部みたいなのが来るから。

はいはいはい。

 幹部みたいなの来るのよ。うん。部長・課長・係長っていうのが幹部なんだけど。

見てるわけですね。しっかりと。

 小指ねえの、小指。

(笑)

 一人、あれなんつったかな…。だから小指ねえの。いやだからそんなような感じ。だから怖いよ! おっかないんだよ! ぜんぜん、ぶん殴りとかもあったから。
 いやこうなんつうの、なんか気合入ってなかったり、変な態度とってるやつとかは。いやまぁ、多少水商売もあるからね。周りからもなんかこう…あったりもするから。小指がない人もいたのよ。

(笑)幹部で。

 幹部で幹部で。うん。そうだな。本当に、いやでもいい経験だった。きつかったけど。

きっと大変だったでしょうね。

 うーん、すげえ大変。いや、いい加減にやれば、もうちょっと違うんだけど、きっちりやってたからね。俺、自分で言うのもなんだけど、きっちりやってたから。

なんか伝わってきます。

 要領よく、なんかもう抜いて、適当にやってる人たちもいるのよ。社員でもね。

はいはいはいはい。

 きっちりやってたから。うーん。

そうですね。それなんか伝わってきます。独立されたんでしたっけ? 居酒屋チェーンで働かれたあと?

 あー、その後ね、やっぱちょっと頭打ちなんで。ノウハウそこで得た後に、ちょっとこう板前系のね。

おー、はいはい。

 はい、板前系のそっちの技術を学ぶという意味で、ちょっとステップアップしてったのよ。(居酒屋チェーンだと)料理的な腕が、いまひとつ学べないということで。どんどんどんどん、こうステップアップしてた、店をね。

握りじゃないんだよ! 握りじゃないの! 握りじゃない、鉄火巻き

 最終的には、築地の仲買人の人がやってるお店に行ったから。あそこは食材がね、マグロ屋さんと近海物っていうのが合体したオーナーの店だったんで、マグロもね、生の本マグロ来んのよ。

ほー。冷凍してないってことですよね。

 うまいのよ! これが! いま、大間のマグロとかあるじゃん? くんのよ。まかないで、いちばんうまいとこ食っちゃうの。

ハハハ(笑)。

 食い放題食い放題! まかない食い放題! うん、生マグロのね、本マグロはほんと美味しいの。

いやぁもう、お顔で伝わってきます! いやもう。

 いや、本当にうまいの! いや、で、外落ちって言って。皮の方のところも、こうやってこうやって、スプーンでこう、きゅきゅきゅってして。中落ちつって、中骨も送ってくんのよ。それをスプーンでこう取って、こうタッパー入れといて。

うわー! たまりませんね。

 そう。だから大トロっていっても、こういうじゃばらのとこもあれば、カマの近くのサッシの入ったところもあるし。

 そう、でも赤身が好きなんだよな。天パって言って、こう4等分にこう下ろすと、こう三角形になんの、山みたいな、マグロって。ほら、なるでしょ。上を跳ねるのよ。そこのね、赤身がうまいの! 赤身が好きなの。

うまそう…ただもんじゃないですね。

 で、究極のマグロの食べ方は鉄火巻き。

おー。

 海苔もいい海苔ね。いい海苔と、酢飯とマグロとわさびのハーモニー。

たまりませんね(笑)。

 握りじゃないんだよ! 握りじゃないの! 握りじゃない、鉄火巻き。

なるほど。

 うん、とろたくでもいいよ。たくあんとか入れたり。ちょっとアレンジもしていいんだけど、でも海苔があった方がいいの。

香りが鼻に最初について。

 そう、海苔があった方がうまいの。それ最近ぜんぜん食べてないのよ。

それまで食べてたんですか?

 もうばっくばっく食ってた。

ハハハ(笑)。

 いやほんとね、あれでマグロのうまさを知ったのよ。

それだけでも働く意欲が。

 あ、いや、ぜんぜん、ぜんぜんもう! 今日なに食おうかなとか。うん。

普段食べれないですよね。

 食べれない! 食べれない! そのマグロは…ほんと高級店に行かないと出ないの。意外に、意外にちょっとした高級店とか有名店でも、なかなかマグロって良いの使ってないのよ。

なるほど。

 うん。なかなか。

あ、そこまで(のレベルのマグロに)いかないというか。

 そうそうそう、また上客じゃないと出てこないしね。

やっぱりちょっと特別なというか。

 そう、そうなの。

いいところは自分たちのまわりでというか。

 うん。だから、美味しい寿司を食べる法則ってのがあって。高級店とか有名店に行くんじゃなくて、馴染みの店を持てと。

はいはいはい。

 うん。馴染みの店を持てと。っていう理論をいま押し付けてんの。

なるほど。確かにそっちの方が、仲良くなれば、一見さんには出てこないものというか、それ以上のサービスを出してあげたいなって…。

 そうそうそう。(いまの仕事でも)ほらちょっと調子悪かったら、ね、無料でちょっと直してあげたりもすんだけど。いきなり来てさ! 他で買ったもの持ってきて、ああでもないこうでもないってやついるのよ! ちょっと話が戻るけど(笑)。そこが日本が衰退した理由なんだけど。

 他のお店、ネットで買っといて、「無料で直してください」とか、ありえないようなこと言う人が多いのよ。それが悪いとか、相手に対して失礼とかっていう感覚がないんだよね。相手に対する、だからその、さっきも言ったけど、わびさび的なね、うん。

はいはいはい。

 うん。でもあれだったら言い方とか対応とかあるから、「すいません。他で買ったんですけども…」とかさ。

一言ってことですね。

 そうですそうです。そういうなんかね、そういうのがないんだよね。うん、もうなんか愚痴ばっかになっちゃうんだけど(笑)。

そうそうそう。「うんっ! ちょっ! すいませーんっっ!」って

 なんか、自分がちゃんとそうしてんのかっていうのもあるんだけど、俺はでも、そうしようとは思ってるから。そういうね、そういうときは、うん。

そうですよね。

 あんのよ、そういうのがね。

すごい、マグロから急にそちらの方に(笑)。

 そう! マグロの理論もこの…同じ商売だから。同じ商売だから。そうそうそうそう。いきなり来てね、「いちばんうまいとこのマグロ食わせろ」とかさ。

言えないですね(笑)。

 しかも「できるだけ安く!」みたいなさ。そういう部分のさ…。

とてもわかりやすい例えでした。あぁ、いやでも面白いですね。板前のご経験と完全にいまも根っこのところっていうか、ずっと繋がってて。

 うん、もちろん商売ですから、イコールですよ。ええ。あとこう相対だからね。お客さんとの。

はいはいはいはい。

 イコールですよ、ほんとにね。いやほんとにそうだよな…。

そのマグロの鉄火巻のこと話されてるときのお顔、お写真で撮らせていただきたいぐらい(笑)。

 いまでも鉄火巻きを自分でつくって食べたいもの。

自分で。手で巻くしぐさが(笑)。

 そう、マキスでね、マキスでこう四角く巻くのがね、こう、もう、うん、シャリもこう伸ばしてね。こう伸ばして置いて、こう。

いやそれもう、それは文字で表現できないのがちょっと残念なぐらい。

 挿し絵、挿し絵ないの?(笑)  挿し絵、書けないの?(笑)

(挿し絵については)なにも聞いてないです(笑)。でも、もしそういう話が出れば、私はその鉄火巻きを巻いてるところを(笑)。

 そうですか。いやいいんですよ。だからね…。

じゃあその板前さんやられた後に…こちら?

 そうそうそうそう。やっぱりね、あとその板前ってほんと重労働なのよ。

あ、そこでも、やっぱり。

 で、若いときって、歳を取る概念がないんだよね。

はいはいはい。

 いつまでも若いというよりかは、あんまりその、歳を取って気力体力が落ちるっていう、その感じがない。

リアルに実感できない。

 うん。で、やってると、これ当時40ぐらいね、40手前ぐらいのときに「50、60になって同じようにできんのかな」ってね。

なるほど。

 ま、できるんだろうけど。なんて思ってたときに、やっぱ親父も高齢化してね。「店どうしようか」みたいな感じだったから。

なるほど。

 そう。いやでも、こう店に戻ってきて、あの視野とか思考が広がったよね。戻ったね。うん、マインドが…もう戻った。

それまではやっぱ、相当お忙しかったし。

 忙しいね忙しいね。追われてたね。うん、もう明日の仕込みとか。ああ、食材管理とかもうずっと考えてたから。朝行ってあれやって、うん、あれやりながらこれやってみたいな。うん。

およそ20年。

 そう。もう頭の中でやること組み立てて。もう書いてる暇もないのよ。うんうん。これやってこれやってって書いた方がいいんだけど、その時間すら惜しまれるから。

 で、ほら、火にかけて時間かかるものは火にかけながら、こっちで仕込みして、みたいな。その最後、一緒に全部出来上がるっていうのをこう組み立ててやるから、料理ってね。並行してできるものはどんどん火にかけてかけてって、やって。

オーダーはどんどん入るし。

 そうそうそう。オーダーもそう、オーダーもね。そう、1個1個完成してじゃなくて、並行してオーダーもやんなきゃいけないから。なんならホールがやられてたらちょっと出て、こうちょっと接客しながら。で、洗いもんがやられてたら洗いもんもやってみたいな。うん。やってたね。

「すいません、まだですか?」とかもあるわけですよね。

 そうそうそう。「うんっ!ちょっ!すいませーんっっ!」って、忙しさアピールだよ。

ハハハハハ(笑)。

 「いや、うんっちょっ!すいませーんっっ!」みたいなね(笑)。いや、うん、ちゃんとやってますよ! みたいな(笑)。

本物のやつですね(笑) 。いやもう、いまのも挿し絵にしたいような(笑)。

 そうですよ(笑)。

もうここが厨房に見えます(笑)。

 そうそう、もうね、全部やんなきゃいけない。全部やらなきゃ。だから目を光らしといてね。うん、やられてるとこがあるかないかって。

 でももう何人もいないのよ。ホール一人、中一人みたいなね。でも見ながら、頃合い見ながら。やっぱりやられちゃうところが出てくるんで。うん。

そうかそうか。そうですよね。

 それはまたちょっと話が飛ぶけど、戦国時代の合戦をイメージして。やっぱこの左翼が押し込まれたらそっちをもう返してみたいな。中央突破してきたらそこを押し返してみたいな。うん、でも精神的な余裕もないといけないから、ちょっと休めるときは休んで回復させてみたいな。

はいはいはい。

 その塩梅。ぶちっと切れないようにね。気持ちが切れないように。切れたらもう終わっちゃうんで切れないように、こう押し返して、戻して、いやもうもう、この繰り返し。

もう大将、軍師みたいな感じですね。

 そうね。うんそうなの。合戦よ。

なんか、それで疲弊しちゃうんだよね。限界点が来るからやっぱり

どこもかしこも順調なわけないですもんね。

 そうです。そうそうそう。

とても、もうなんとなく、すごい視野が広いなっていう風に思ってたんですけど、そういうとこもやっぱりあるわけですね。

 そうですよ。うんうん。だから周りで俺以外に働いてる人の顔色も見ながらね。顔色も見ながら、「お前ちょっと休め」と。もう縦横無尽に俺が働いて。回復したら「よし戻れ」みたいな。本当にね。

そのときはやっぱりリーダー的なポジションといいますか。

 そうね、最後ね。最後ね、最後。かといってフラットなのよ、その店。

いいですね。

 よくないの。やっぱピラミッドでやんないとあれなんだけど。若いのもいたし、あのお姉さんみたいなのもいたんだけど。で、そのオーナーみたいなのが「フラットでやろうや」と。

オーナーがそういうタイプだったんですね。

 フラットっていうのが、いちばん良くないの。その飲食業で。

なるほど。

 おもいっくそ働くやつと、なんもしねえやつが生まれちゃうの。フラットって。だから俺が一人でやってたのよ。

大変だ(笑)。

 フラットって危ないのよ。「みんなでやろうぜ」って言葉はいいんだけど。

なるほど。

 かと言って、じゃあ仕切ってやり出すとその人間関係が崩壊するから。うーん。そういうの全部やっちゃうタイプなのよ。一人でやる、やりたいの俺。うん。

はいはいはい。

 上杉謙信タイプなのよ。

なるほど。

 一人なのよ。トップダウンで一人しかいないの、彼は。上杉謙信。だから若かりし頃、家臣と揉めて、あの出奔って言って、(家臣が)もう俺は辞めるつっていなくなっちゃったりしたんだけど。その気持ちもわかんだけど。

 全部パッと見て、上杉謙信は全部、指示出しすんのよ。だからそんなに大きな(組織)、無理なのよ。あの織田信長みたいに、柴田勝家軍団とか秀吉軍団とか明智光秀軍団みたいなのはできないのよ。自分で、自分軍団だけで働くから。

自分の目が届くとこだけで。

 そうそうそうそうそう。そうなんですよ。そういう意味で謙信タイプ。謙信タイプなので、ある意味人を使えないタイプなんで。

そういうことですか。なるほどなるほど。

 人を使えない。だからサラリーマンも無理だし。いまここに来て一人で、ほぼ一人でね。お袋とか親父とかいるけど。で、水を得た魚になったわけですよ。

なるほどなるほど。

 一人社会実験で。うん。だから、うん、もう2店舗3店舗にしようとか、社員を入れようとかそんなんじゃないの。もう一人でこうやってやるのが好きなのよ。

なるほど。板前時代は、でも、まわりの人の分もやっちゃうからしんどかったし。

 うん。やんねえ奴いんのよ。で、(しょうがないから自分が)やりだすと「はい、それあんたの仕事ね」みたいになんのよ。

わかる気がします(笑)。

 だからみんな触らないのよ。

はいはいはいはい。

 それ、自分のものになっちゃうからっていう。そうそうそうそう。でも店を回したいからさ。うん。「おめえやんねえんなら俺がやる!」みたいになっちゃうのよ。うん。ねぇ。

いやわかりやすい例えで。

 なんかそれで疲弊しちゃうんだよね。限界点が来るからやっぱり。体力でも気持ちでも限界点来るのよ。やっぱりね。うんそこだよね。

頑張りすぎちゃう。

 なんかそういうと、嫌なやつばっかだと思われちゃうとあれだけど…でもそうでもないんだけど、まあまあでも難しいよね。難しいとこだよね。

仕事の中ですもんね。

 難しいとこなのよ。いろんな人がいる、いろんな思いを持ってる人がいるから。

なんかめちゃくちゃ思い出されてるようなお顔されてますね。

 そうだね。うん。うんうん、思い出してんのよ、いまね。うん、あったなと思って。いまがこの平和なだけにね。うーん、いまが平和なだけに。うんいや、当時きつかったなっていうのがあってね。

 まあ、だな。そうだよな…。もっとみんながみんなけっこう楽に生活できると思うんだよねー。できてたのよ。まあまあ、それがちょっと陰謀論になっちゃうからあれなんだけど。

昔が良かったみたいなとこに繋がるわけですよね。みんなが普通の商売やって、ちゃんと暮らせて。家も建ててとか。

 そうです。そう。そういうことです。そうなの。単なる「良かったな」じゃなくって、明らかに変わっちゃってんのよね。だからその単なるそういうあれじゃなくて。この間も言ったかもしんないけど、俺、地図見んの好きなのよ、古い地図。

私も好きです、結構。はい。

 そうするとやっぱ昭和のときって、至るところに社宅が建ってたのよ。そこにだって社宅があったし。でっかい社宅があったり。なんなら建築のなんとか組って聞いたことないような、そういう建物とかも。銀行系とか生命会社系はもう至るとこにあったけど。

多かったんですね。

変わりようもね、変わりようも。うん

 多い。いや多い。社宅は多かった。だって社宅に入れば、そんないきなりさ、もう40年ローンでさ、マンション買わなくてもいいんじゃん。40年ローンで。

ちょっとずつ貯めて。

 うーん、あれはけっこうプレッシャーになってると思うのよ。そんな40年でローンを組んじゃった人は。イコール40年働かなきゃなんないってことでしょ。その企業で。

そういうことですね。

 うん、だから、そういうわけなんですよ。だから社宅がどんどん潰されちゃて。

はいはいはい。

 それは言ったら、1997年の金融ビッグバンなんだけど。うん、なんか、ポコポコ社宅を全部売って。で、民間のマンションになっちゃって。「いやマンション買え」と。30年ローン40年ローンで。それで社畜になっちゃったのよ、みんな。

うーん、そういうことですね。

 またそれがさ、いいことだとされてさ、「いや俺は独り立ちしてマンション買いました!」みたいな「若くしてマンション買ってます!」みたいなさ。「はい、家庭持ってマンション買ってます!」っていう。

 確かに幸せなのよ、俺それ否定しないのよ。ぜんぜん否定しないんだけど。ぜんぜん否定しない、それでいいんだ、それでいいんだとは思うんだけど…。

はいはいはい。

 ちょっと考えれば、昔は社宅があって、ね、社宅に入ってなんなら退職金のときにどうしようかな? みたいなね。実家の家を建て替えるか、とかさ。あ、でも自分の子供と二世帯住宅にするか、とかさ。それがいま、いきなりやっぱマンションが乗っかってくるもん。みんなけっこう買ってるもんね、このへんの人ね。

そうですか。

 やっぱりポコポコ立ってるしね。

逆に言うと、買わざるを得ないっていうことですよね? 社宅もなくなったし。

 そうそうそうそう。そういうね、やっぱそういうね、言ったら大企業的なとこに入った人たちがね。

社宅がこの辺り多かったけど、なくなってるのにも、そういった背景っていうか、それで変わってるってことですよね。

 そうです。もう社宅だらけよ、本当。うーん、なんかいま改革とか言って、新しいことやろうとしてるけど、昭和のあのときに戻したいのよ。うん、できる限りね。

あのときっていうのは…その…。

 1985年以前にね。中曽根政権以前に戻したいのよ。

なるほど。その辺が節目。

 うん、そこからガラッと変わったのよ。

おいくつだったんですか?

 ん? 16だから、高1高2ぐらい。そのへん。うん、簡単に言えば、(節目は)たぶんそれよりちょっと先だけど。国鉄がJRになったときから。

ああ。

 あれも、あれぐらいから世の中が変わった。

その辺はたぶん私が生まれたときぐらい。

 若いね!

いやいやいや(笑)。

 だからその国鉄がJRになったときから変わったし。それ以前はストライキもあったし、デモもあったのよ。うん、デモって、みんな提灯ぶら下げて、夜歩くのが。あれ境目になくなったの。

へー。この辺りでもあったんですか?

 来たよ! 俺、世田谷通りに住んでたんだけど、そこに「なんとか反対!」みたいな。

あんまりいまじゃイメージつかない。

 うん。デモ行進みたいなのがあったのよ。たぶんそれ(警察に)申請して、何時から何時みたいな。夜、提灯みたいの持って、大人たちがゾロゾロ歩いてたのは見たのよ。子供の頃はね。

へえー。

 あと、中学生だった1985年以前までは、ほら、5月1日メーデーっていうのがあって。

はいはいはい、そうですね。いまでも。

 その日は学校があるから渋谷行くと、もうヘルメット被って、サングラスした左寄りの人たちがたくさんいて。で、バスに金網がついてる機動隊とかがいたもん。やってたの、5月1日に。

はいはいはい。

 それも1985年を境になくなったのよ。

じゃ、高校生になって、それこそ渋谷に行かれてる途中ぐらいから。

 なくなったんだよ。ない。なくなったの。ストもなくなったし。私鉄国鉄JRのストもなくなったの。

へえー。いやでも、本当、渋谷に通われてたからこそできた経験みたいなところありますよね。

 そうなんです、そう。メーデーはそうなの。びっくりした。本当に。中1のときは。5月1日だけ、わっさわさしてて、人が。うん。機動隊もいて。

ただならぬ雰囲気が。

 そうそうそうそう。

中学校も渋谷だったんですね。じゃあ割と長い間ここから渋谷まで通われてた?

 そうそうそうそう。渋谷がね、あのー、ソウルタウンなの。渋谷のあれもあるのよ。

聞きたいですね。

 変わりようもね、変わりようも。うん。

ぜんぜん話していただいて大丈夫です。

 うんうん、それはまた今度にしましょうか。渋谷も色々そういうのあってね。

生活史を聞いて:ミニインタビュー
川上修生さん

「感情の行き先を見つけた」という感じは勝手ながらしました

どういうわけで参加されたんですか?

 知り合いがいてその方が駒沢出身だった。草野球チームの創設者なんですけど、チラチラ聞く限りいろんな経験をされてきた節もあって。でも突っ込んで聞くことはなかったので「これはいい機会だ」と。

 けど交渉は不調に終わり、今回の方に出会った感じです。
 駒沢で個人で営まれている。私はお店を一度利用した程度で、昔からではなくて。でも、話し手探しに難航していたので、直接行って直談判して。

お店という窓から社会を見てきた方。

 そうですそうです。とくに10年前にお店に戻ってから、それこそ世の中や社会に対して思うことがいろいろ出てきたみたいで。
 きっと色々話したかったんだと思う。そういうことを。

 でも一人でお店を回されているので、たぶん日常的にそういうことを話す人がいないところに、急に私が現れた。「感情の行き先を見つけた」という感じは勝手ながらしました。

「いいところに来た」みたいな。

 そういった話は聞きたいとこっちも思っていたので、偶然ですけど、いいマッチングになったと思います。

 最初は(生活史の)「生活」という言葉に、「おだやかな暮らし」というか「取り留めのないことや、日常の身近でありふれたこと」というイメージがあったんです。
 ただ読んでいただいたように、今回の私の話し手の方は、世の中について思うところや、不満もいろいろある。

 「それも含めて生活だな」と思って。やっぱり、誰しもがこう暮らしてるわけではない。いろんな感情を含めての生活史になったかな、という気はしていて。それは良かったな。
 いろんな思いを持って生きている方がいるんだなということを再確認できた。

 (聞き取りに入る前の)3回のワークショップにも、いろんな方が参加されていて面白かった。仕事も年齢も多様で。そういった人たちが一同に介していろんな話をする機会ってそう多くない。視野が広がった、と言うと変ですけど楽しかった。

 その方々がどういう人に話を聞いて、どういう生活史をつくったのか、とても楽しみになったので、やっぱり参加者同士の多少の交流があること自体が、楽しさを増幅させるところもあると思う。
 それは参加者として、今回「面白いな」と思ったところですね。

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