第12話

ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、じゃあ、○円くださいって言って(笑)

話し手
30代男性
聞き手
白石ツネリ

生まれはどこだっけ。

 杉並。幼稚園には行かずに児童館に連れていかれてたけど、全部は覚えてないかな。4歳ぐらいまではそういう生活だったはずなんだよな。行ったり行かなかったり。

 5歳のときに神戸(の祖母の家)に預けられたんだよ。で、神戸のなんとかって幼稚園に行ってて。
 あのとき、S(妹)はかわいそうだったな。まだオムツもちゃんと取れてないのに、ばあちゃんに預けられて。

 ばあちゃんもさ、従兄弟ふたりいてさ、俺とSの面倒も見なきゃいけないから大変だったと思うんだよね、ひとりで。だからSはよくおしっこ漏らして怒られてたな。

 怒られたって言ってもばあちゃんもあれだよ、「なにやってんの!」とか言ってんじゃなくて、「またやっちゃったの」って、そういう感じだけど。

 俺は3歳のときにも神戸に預けられてる。Sは生まれたばっかり。俺だけ預けられてた。なんか親父が事故って北関東のどっかの病院行ってて。俺だけ神戸に行って。

へえ。

 その後、理由は覚えてないけど、たぶん母親の精神状態がよくなかったから、なんか知らんけど、俺とS、二人とも預けて。虐待くさかったから、親父が引き離したのかもしれないし。なんで預けられてたのか、理由はわからんけど。

 (東京に)戻ってきて、今度はその近くの幼稚園に通ってて、それもたぶん短かかった。「保護者参観行く」って言ってたのにあいつら来なくって、めっちゃ泣いた記憶がある。恨みつらみしか覚えてない(笑)。

 あと母親がダウンして、なんか変な保育園に一時預けられてたときもあったし、夜7時ぐらいまで親父迎えに来ないしさ。


心細い幼少期だった。

 6歳の夏休みに埼玉に引っ越して、新しい幼稚園に行った。そのまま近所の小学校に行って、世田谷の小学校に引っ越した。

 でもさ、面白いのがさ、社会人になって新卒の子が入ってきて、「僕、〇〇幼稚園行ってました」とか。K(息子)がこの春まで同じ幼稚園に行ってた子が引っ越して、「いま〇〇幼稚園に通ってるんだよ」とか。(みんな同じ幼稚園に行ってて)変なとこ繋がるんだなって。


ほんとだね。Aくんは小さいとき、なにして遊んでた?

 S(妹)と二人で、公園とかよく行った。紙芝居をしてるおじさんがいて。あとは家の前でローラースケートして遊んだりとか。

でも、俺が小さいころ、毎日怯えて生きてたでしょ

なんか偉人の伝記とか読んでたんでしょ。

 あれ、めっちゃよかったよ。日本の歴史と中国の歴史と。死ぬほど読んでた。あれで日本史(の成績)とか強かった。本って大事だよね。



Kくん(息子)たちにも読ませてる?

 いや、ぜんぜん本読まないね、あいつら。でも一時期ビビったの、YouTubeばっか見てたからさ。イギリスのBBCがやってるナンバーブロックっていう、教育番組があるの。
それをずっと見てたら掛け算まで覚え始めてさ、5歳くらいのとき。いままったくできないけど。


すごいね。やっぱり吸収が。

 出てくのも早いよ。いまもうポケモンの名前で頭いっぱい。昔は150匹だったけど、いま1500匹ぐらいいるからね(笑)。一生懸命ずっとポケモンの図鑑見てる。


 まあ自ら子育てしてると、いかに異常な幼少期だったかはすごいわかる。K(息子)なんて俺と離れて寝たこと、いま6歳前だけど、ほんとに一日しかない。

 人に預けられたこともないし。幼稚園のお泊まり保育で初めて親と離れて。

 めちゃくちゃ甘えん坊だけど……別にいいかな。未だにご飯食べさせてって言ってくるし。「お肉固くて食べれない」とか言って、おえってやるんだけど、「吐くんじゃないよ」って怒りそうになるんだけど。

 あんまり怒りすぎると、S(妹)が肉捨てて(親に)バチくそに怒られてたの思い出して嫌な気持ちになるから、このへんでやめようと思うんだよね。

子育てしてて、自分の幼少期をよく思い出す。


 いや、思い出しはしないけど……いや思い出す、うーん……。なんだろうな。あんま意識はしてないけどな。


 でも、俺の小さいころ、毎日怯えて生きてたでしょ。悲しいことをずっと覚えてて嫌だったなとか。心の半分ぐらいはずっとそれで占められてる状態で生きてきてる。

 (子どもたちは)そういうのがないといいなと思う。たとえば、悪いことして怒られちゃったりとか、行儀悪くて怒られちゃったりしたことを悲しいって覚えてて、傷つけてないといいなって。

そうだね。Aくんはさ、幼少期将来の夢とかあった?

 あれだな、ちっちゃい頃、いちばん最初に思った。社長になるんだって。
小1か小2くらい。そのあと芸能人って一瞬言ったことがあって、そのあとはもうとくになんもなくて、中学のときにITのベンチャー。

あるとき、働こうと思って。なんかこう、楽して儲かるやつ

 高校生のときは頭バグってたからミュージシャンって言ってる時期あったけど、それ以外は社長になりたいからベンチャーとかだったな。



実際なったしね。中学から思ってたんだ。

 パソコン触って、ウェブサイトつくったりしてたし。ネットでだけじゃなく、本で読んだり、いろいろやって試してた。フォトショップもイラストレーターもあのとき覚えた。
親父が使いもしないのに誰かに借りてきて家に置いてあったから。なんか本見ながらやって覚えたのはいまだに使うときある。だから、いまの仕事してる。

 当時ベンチャーブームでさ。ちょうど2000年ってITバブル。一瞬で出世するみたいなのが流行ってた時期だったから、いいなと思って。


 やることなかったのかな。わかんないけど。

いまの仕事に繋がってるんだね。

 うん。いまは出社しないで、半分くらい家にいる。今日も家から来た。お客さんとこ行ったり、会議やるときは出社したりとか。めちゃくちゃいいよ。子どもと過ごす時間も多いし。

 休憩中、子どものポケモンを捕まえてる。(子どもが)習い事から帰ってきたら、「ただいまーパパなに捕まえたー?」って。
「今日はあんま捕まえてないよ」って。



高校卒業してさ、しばらくアルバイトしてから就職したじゃん。

 あるとき働こうと思って、なんかこう、楽して儲かるやつ。楽して儲かるっているのは、なるべく自分の持ってるスキルのなかで、金が稼げる額が多いものがいいと思った。



 フォトショップ、イラレ、html。フォトショップ、イラレはいくつか落ちたんだよね。やっぱりそんなスキルなかったりして。html書く方で最初は受かって、そこで働き始めたら、なんていうか、運がよかった。
 ITの道で、ものの考え方次第で色々稼ぎ方があるってわかった。自分で(htmlを)書かなくても。



コーダーみたいなやつ。

 そうそう。これを作業として評価されるときに、正確に大量に仕事がこなせれば評価されるかっていうのを定量的に見れない。だって俺が書いたhtmlでいくら稼ぎ出したかわからないわけでしょ。

「年収いくら欲しいですか」って言われたから、◯万って言ってみたら「わかりました」って

 定量的な目標を定めることができない、いかにビジネスに繋がるのかわからないと思って。そのときに、もう単純にこういうことやってても一生そうなんだろうなと思って。企画、事業開発にスキルの成長を持ってったというか。



そこで働いてるときに、そういうことを考え始めたんだ。

 まあ、それも偶然だ。後から言語化して考えてただけかもしれないけど。ぼやっと、どうやったら金稼げるだろうなって。



で、もうちょっとビジネスとして広げられるようなところにと思って転職した。

 でも、そこは、そんなに大して考えてない。給料が上がるところ。
最初働き始めた頃、◯万ぐらいしかなかった。で、半年に一回ずつ、なんか、2万とか4万ずつぐらい上がって。

 仲良くしてた上司が転職して、人を募集してるって聞いて、そこを受けた。3年ぐらいいたのかな。そこでまた給料がまったく上がらなくなって、年収ベースで1000円しか上がらない。ふざけんじゃないよと思って。

 また別の上司が独立するって言って。でも仕事なくって、一応途中まで払ってもらってたんだけど、給料下がったからやめようと思って。



 で、また今度は、法人のウェブサイトをつくる会社に年収◯万提示されて。そこって本物のITじゃん。俺がやってたのはITって言えなかったから。
 やったぞって思って頑張ってたら、今度仲良くしてた上司が別の会社に転職した。「受けてみたら? 受かると思うよ」って言われて、受けて、受かって。「年収いくら欲しいですか」って言われたから、◯万って言ってみたら「わかりました」って。

いきなり。

 でもITとはいえ外資だから、製品のこと、なにも考えさせてくれないの。アメリカでつくったものを売るだけ、仕様だけ覚えろみたいな感じで。自分たちでお客さんのためにこうしたほうがいいって言うのはまったく反映できないわけ。こんなん無理って。

 そしたら一つ前の会社が戻って来いって言うから、じゃあ◯万くださいって言って(笑)。

妥協し始めてる、自分に

根本には稼ぎたいっていうのがあるけどさ、ちゃんとやりたいこともあったんだね。

 もちろん。でも、いちばんではないけど。いまもやりたいって思うことをできてるわけじゃないよ。もう年齢も年齢になってきたし、そこを突き詰めると、マジで一人で独立してめちゃくちゃリスクおかすしかないからさ。妥協し始めてる、自分に。

在宅で、子どもたちとの時間あって、お金もらえてて。

 うん。……わかんない、いまはそんな感じだけど。子どもたちはこれからもっと金がいるから。この間マンション売って、負債とかもほぼ全部返した。だいぶ経済的には良好な状態だった。それこそ私立行きたいとか言ったら大変だから。そういうのを考えると、もっと稼がないとなって。難しい。いくらあっても足りない。

うん。

 昔から家がああだったからさ、金を稼ぐことに対する執着がやっぱりちょっとあった。
あと、昔からすごい競争心が強かったからさ。頑張ったら稼げるみたいなのと、なんかゲーム感覚でちょうどよかった。いくら稼げるかっていうことよりも、人より頑張って自分に社会的な価値があるかを数字として見られたら面白いなっていう感じかな。


 でも、やっぱり後悔するなって思うのは、せっかく日比谷高校行ったのに、そこでおしまいにしちゃって、その後勉強しなかったから。もっと勉強してやっとけば倍は稼げたかもしれないな、みたいな。

 できなかったかもしれないし、できたかもしれない。わかんない。でもそれは…まあできなかったかな。でもいまのパートナーと結婚できたのは(大学に)行かなかったからってのもあるだろうし。



いまだに、大学行ってればとか考える。

 行ってたら違ったのかもしれないなと思うけれども。たとえそうだったとしても、俺の精神性ってその場その場で自分の好きなことしか結局やらないからさ。こうなるってわかってたとしても、別になにかしたかって言ったらしてないと思うんだよ。

 当時はギターやりたかったし。練習してうまくなるの楽しくて、ひとりでやってるだけだったから、そんなことしても本来的意味ないんだけどさ。そういうこともわかってよかったと思うんだけどね。



さっき、自分に妥協し始めてるって言ってたね。

 俺は人に指図されるのが嫌いだから。なるべくそうじゃない環境にいたい。でも俺ももう慣れてきちゃったしさ、ずっとサラリーマンやってると。

なんの確証もないんだけど「きっとうまくいく」って、謎のおみくじみたいなこと言ってる(笑)

 ある程度のポジションまで行くと、そこまでガミガミ言われなくなってきて、そう考えるといま楽っちゃ楽だなって。
 でもそういうことを考え始めると、人間堕落していくからね。

ちょっと自分が緩んだなみたいな、あるんだ。

 ある。
 これからのキャリアプラン、40歳になった後のキャリアプランってすごい難しいと思って。親会社に行くのか、いまのままやるか、もっとちゃんとしたベンチャーってやり直すのか、自分で事業起こすのか、4つ選択肢がある。どこに行くのが面白いんだろうなっていうのは……。

 うまく政治みたいなものにゆるりと乗っかってどうなのかって見てるけどさ。
 さっき言ったみたいにこれまでさ、俗物的な「こっちの方がお金儲かるからこっち行こう」ってことでしか選んできてないから。

そういうのってさ、誰かに話したりするの。

 いっさい誰にも相談しない。ひとりだけ相談するのはN(パートナー)だね。ただ、別に意見求めてるんじゃなくって。「いいんじゃない」って言うか、「微妙じゃない」って言うか聞きたくて。結婚した理由でもあるんだけど、Nが「良い」って言うと大抵金が儲かるの。金運がすごいから。

 だからこういう風にしようと思ったときに「いいんじゃない」ってNが言ったら、「たぶんいい気がする」みたいな。
別になんの確証もないんだけど、きっとうまくいくって、謎のおみくじみたいなこと言ってる(笑)。


 (自分の)母親と反対の世界でいるやつだからさ。性格とか。反面教師的に信頼がおける。俺は母さんの性格だいぶ継いでるからさ。色々とコミュ障だったり、嫌なこと言っちゃったり。(パートナーがいれば)これをプラスにしてくれるだろうと思える。

嫌なことを言っちゃうこともあるんだね。

 そんなことは言い訳にしてもしょうがないからさ。それでも、友達やってくれてるやつもいるし、長いこと。

 少ないながら友人と仲良くやって……金稼ぐことにこだわってきた(笑)
。それは大事ですよ。一生懸命働いて、一生懸命お金を稼ぐのって人の営みとして大事ですよ。

生活史を聞いて:ミニインタビュー
白石ツネリさん

もうそこは、掘り返すのをあきらめました(笑)

 いま同じ地域なので、当日は焼肉屋に行きました。

その香りはしなかったな。

 本当ですか(笑)。「話」だけで行く勇気がなく。食べてる方が、話しやすい気がして。「気まずいけど待ちたいな」ってときにちょっと食べていたりできて。

焼肉が功を奏したかどうかはともかく(笑)。

 普段はインタビューの仕事をしているんです。けどやっぱりどこかで、自分が欲しいストーリーを求めながら聞いていたと思う。「記事になることを聞き出さなければ」と、質問も「これを聞かなきゃ」とガチガチに用意していくし、「話の舵をとらなきゃ」と考えながら聞いている。
 「その人のことを知りたくて聞く」というのを大切にしてなかったなって。

 その一点だけで聞くことを経験できた。「話がどこに行ってもいいからただ聞く」というのをやってみて楽しかった。気負わずに、「ただこの人のことを知るぞ」って。

 (話し手は最初)緊張はしていました。「なにも話すことないよ」「なに話していいかわかんないよ」という感じで。「駒沢の生活史」だから、駒沢に住んでいた頃の出来事を話さなきゃと思っていたみたい。「人生のなにを話してくれてもいいよ」と伝えました。

 駒沢の前は用賀あたりに住んでいたとか、あのとき友達だった誰々を憶えているとか、そういう話はしてくれる。けどなかなか自分については語りたがらない感じがあった。

 生まれがどこか、今回初めて聞いたんです。転々としていたことや、どんなことを考えて生きていたとか、こんなに話してもらうことはなかった。彼が自分の家族をすごく信頼していると聞けたのは、いちばん嬉しくて。安心した。

何年ぶり。

 二人っきりは本当に10年ぶりぐらい。

(その方は)駒沢に何年くらい。

 高2の頃から6〜7年。大学には進学しなかったので、フリーターみたいな感じで。

駒沢の話は、なに一つ出てきませんでしたね(笑)。

 「本当にろくな思い出がない」とだけ言って。もうそこは掘り返すのをあきらめました(笑)。

別れ際の雰囲気は?

 いい感じです。「またね」って、笑いながら帰っていったので。