第20話

お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言うお客さんって、すごいなとずっと思ってた

話し手
60代女性
聞き手
薮下佳代

もともと、お生まれってどちらなんですか?

 えっとね、埼玉の川口のほう。赤羽の次。だから自分は関東圏内だし東京の隣だし、真ん中に立ってる気ではいたんですけど。こっちの母なんかに比べたら「あら、東北ね」って言われて(笑)。川を越えると東北みたいなイメージがあって。あ、そういうもんなのかと。川口で生まれて、で、ここに嫁に来た感じ。

 ずっと引っ越ししたこともなくって。自営業の家で、職人の娘なんですよ。板金屋って言って、いまはもう瓦屋根だけど昔はトタン屋根で、そのトタン職人の父と洋裁をする母の子で生まれて。

 27の誕生日に結婚式を挙げたので、27まで川口にいてって感じなのかしら。誕生日だと忘れないし、いいかな? って。

 もともと◯◯ゼミナールって、本当に小さい会社だったんですよ。第一期の採用で、向こうは四大生で、私が短大だったので、2つ違いで同期入社して。いまは大きくなってるけど、昔は南浦和の小さいところが本部だったんです。所属は経理で、お子さんが月謝を、当時はほぼ現金か引き落としだけど、現金で来たのを数えて……そういう業務だった。で、知り合って、たまたま縁があって。

職場結婚。

 そうそう。ふふふ(笑)。私、早生まれなんで、19で社会人になって。歳を取ってきて振り返ること多くなったけど、ちょっと恥ずかしいです(笑)。

 一回ね、南浦和に鰻屋があって、入社の前かな? 鰻をご馳走になる会があったんです。食事会みたいな。そのとき、風邪を引いてたらしいんだけど、鰻が大好物なんですよ。だからもう腕まくりしてきた感じで、すごい人だなと思って。具合悪いのに鰻のために来るんだみたいな印象を受けて(笑)。ははは。

 同期会みたいなのがあって、職場違ったりしたけど、社員旅行があったりとか。

結婚して世田谷に。

 結婚と同時に。引っ越しの経験もないからね。なんかね、都民になるって感覚はなくて。

 世田谷線はびっくりしたの。(電車が)来たときに、運転手さんにこうやって(手を上げて)定期を見せてたの。みんながこうやって見せて入ってて当時。ピッの前のときだからね。うわ〜と思ったけど、でもあのおかげで雰囲気が、なんか(電車に)救われてる感じありますね。なんとなく。

叔母とかは、桐のタンスを持たせたかったんだって

 川口はバス停までが、当たり前だけど、10分ぐらいかかるんですよ。そのバス停から駅に出るにも、やっぱり15〜20分かかるんです。東京の人と地方の人の感覚の違いで、10分歩くってのは普通で。だけど、夫にしてみたら、駒沢までは歩けない。歩けないっていうか、遠い。いまは息子も当たり前に駒沢に歩いてるけど、昔は自転車なら行くけどみたいな感じ。東京の人は、5、6分ってのが歩くっていうか。実家はバス停に行くにもまず10分かかるんだから、それが当たり前の感覚だったけど、それはやっぱり埼玉県民と東京都民の違いがあったみたい。

引っ越す前、世田谷のイメージってなんかありました? 

 みんな「すごいね」って言うじゃない? だいたい、世田谷区っていうと「ああ、すごい!」って。ほんとにうちはアパートだったし、まぁ地名はそうだけど、こんな小っちゃい家ですよって言って(笑)。

 叔母とかは、桐のタンスを持たせたかったんだって。でもうちの母も私もいらないっつったんだけど、いや持たせたいって。当たり前に100万ぐらいして、いらないけどそんなに持たせたいなら、まあ持ってくかと。いまも一応あるんだけど。

 叔母は、世田谷のお母さんに見られて恥ずかしくないようにって。見ないですよ。見ないけど恥ずかしくないように、着なくてもいいから着物を持っていきなさいと。叔母がもう着ないものが入ってたりしますよ。そういうイメージは叔母たちとか親戚はあったのかもしれないね。いっぱい詰めて持ってきさいって。いま思えば。喪服とかも、夫の紋のをつくってくれたけど、着ないですよね。

え? 着なかったんですか?

 着ない。だって喪服だよ? 着ないよね。だっていま、夫が亡くなったからって、ドラマなら喪服のお奥さんはいるけどさ。もちろん自分で着れる程があるならあれなのかもしれないけど、私着れないし。それどころじゃないよね、きっと。

 (桐ダンスに)入ってます。親たちはイメージ的にあったのかもしれないね。もちろんそういう家ではないんだけど、ぜんぜん。

Sさん(夫)は、ここのご出身?

 ここで生まれて育ってきて。結婚したときは(店)の上が空いてたので、そこで2人で。そのときは「店をやりたいんだ」みたいな話をしてて。まだ塾の室長とかやってたけど、やりたいんだって。

 私は自営業の娘なわけだから、サラリーマンとか会社員とかにもこだわりがなかった。自営業って大変なんだけど、実際ね。自営業の娘で育ってるから、なんとかなんのかな? ぐらいな気持ちだった。

寒いときって熱いの食べるじゃないですか。そうすると結局「水ください」って言われる(笑)

 やっぱり職人だから、雨の日は休みで外仕事できないし、どんぶり勘定っていうか、きちんとサラリーマンっていうのを体感してなかったから。

そのときはSさん(夫)のお父さんがまだお店をやってたとき?

 そうそう。五反田に◯◯があって。母の兄がやってたから、そこでそば職人として、義父はそば打ったり、天ぷら揚げたりしてて。
 ここはまだ駐車場だった。結婚して……一年目? 2年目に始まった。

 それまで、いまはもうないんですけど、祐天寺に◯◯って◯◯の遠い親戚なんですけど、そこに手伝いに行ったりしてて。私も結婚したときは、土日は手伝いに行ってた。バイトみたいな感じで。
 そこで祐天寺のおばさんとかに「こんなにネギはつけなくていいのよ」とか。

 ほら、昔の蕎麦屋だから、注文をやってたんですよ。「花番」って言うんですけど。注文聞くのも、いちいち初めは知らないから「きつねうどん」とか全部書くわけ。ど素人だから。でもそんなのは「きつねの『き』だけ、たぬきなら『た』でいいのよ」とか。そういうのはなんとなく教わった感じかな。
 ここも誰に教わったわけじゃなくて、祐天寺のおばさんから言われて、そこで感じたものをど素人でやってるだけなんで(笑)。

 それで子どもが生まれて、彼が1歳になったときに(お店を)始めたから。ちょうど31になって。いま、土日、洗い場だけやってるんです。バイトだけど。いちばん威張ってます(笑)。

そのときからお店は変わらず?

 中は変わってるけど、前はこっちが入口で蕎麦屋だった。蕎麦屋になって、うどん屋になって。蕎麦屋は15年やって。ちょうどうどん屋も15年だから。

 ほんとに紆余曲折、いろいろありましたよ。みなさん、いいお客さんでした。嫌なこともあったけど、基本的にはここに来る人はみんな、お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言うお客さんって、すごいなとずっと思ってた。

お茶の話で思い出しましたけど、いつも「今日暑いな」とか「今日ちょっと肌寒くなったな」とかって思う日に、こまめにお茶の温度を変えてくださるじゃないですか。

 たまたま季節のあれで……。それは給湯器みたいなスイッチで、寒くなったなとか暑くなったなでやってるだけだから。

 蕎麦屋さんってのは、蕎麦の味を引き立たせるために、水を出すみたい。
 蕎麦屋のときだってたぶん、ちゃんと記憶にないけど、寒くなればあったかいお茶だったけど……。

 でも不思議なんですけど、寒くなったからって熱いお茶出すと、待ってる間は熱いお茶でよくても、だいたい寒いときって熱いの食べるじゃないですか。そうすると結局「水ください」って言われる(笑)。

中途半端な人生で、ごめんなさいって感じですよ

 で、暑いと逆で、冷たいお茶を出すと、入ってきたときは暑いからいいんだけど、冷たいの飲んで冷たいの食べると寒くなっちゃうから「あったかいお茶ください」ってこともある。

 普通に自分流でやってただけだからこうした方がよかった、こっちがいいのかしらと思ったり、変えたりはしてたかもしれないけど……。

 自分の店だから「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」って言えるんだと思う。よそに行ったら言えないかもしれないと思って。この「いらっしゃいませ」って言葉も、自分の店だからこそ「いらっしゃいませ」って出るけど、雇われてたりしたらできるかなって思ってる。

人を迎えるときの気持ちが違う?

 あんまり、そんなにちゃんと考えてないからわかんないけど……精一杯やってるだけで。

おひとりで目が届く範囲の広さで。

 ね。だからすごくね、同じような夢を見ることがあって。夢の中で、自分のお店なんだけど、100人単位ぐらいの部屋にいきなりダーッて入ってきたりすると、普通は順番通りに(注文を)聞くじゃないですか。でも、もう(人が多すぎて)なにがなんだか……みたいな夢はよく見ます(笑)。心理的になんかあるんだろうなと思うけど、そういう夢はほんとによく見る。

 ええ? どっから注文? みたいな(笑)。それでわ〜って来るわけだから手当たり聞いてて、(待ちくたびれた)お客様が帰っちゃったりとか。リアルですよ。夢だけど。

いつも外に(お客さんが)並んでますもんね。

 ありがたくってね。すごい待たせることも苦痛なのね。悪いなって、待たせてごめんなさいってずっと思ってるの。暑かったり寒かったりするし。

 でも、知り合いのご婦人に「待つってのはわかって来てるんだから、そんなの気にすることないんじゃない? ここは待つお店なのをわかって来てんだから」って言われて。すこ〜し気分が抜けたり。2、3年前かな、やっと。

 それまで、ほんとに気にしてたのね。悪いなぁって。

変わらず30年……長くないですか30年って。

 なにしろ、私は真面目に生きてきただけで。とくになにというわけでは……。

お子さんがいらっしゃって、土日もお店を開けるのって大変でした?

 いま思うけど、全部、中途半端だったんだろうなって思う(笑)。読み聞かせとかね、寝かしつけの絵本をってこともできなかったし。寝かしつければ一緒に寝ちゃってたし。読み聞かせなんて、もうもうアップアップでできなかったし。だからって十分、お店の対応ができたかなって、たぶんできなかっただろうし。中途半端な人生でごめんなさいって感じですよ。

でも常に後ろめたい気持ちはあって。夫は一緒にいるからいいもんじゃないとか、よく言ってたけど

 当時は昼も夜もやってたからね。おんぶして(厨房の)中にいたりもしたから。よくできましたよね。ふふふ(笑)。

お店をやってる間、お子さんたちはお家に2人で?

 2人でいたり、土日遊べるような子と遊んでたり。
 上の子は1歳で感じてたかわかんないけど、そこが敷居なんですけど、店にはあんまり出てきたりしなかった。下の子は、夜ちょうどお店やってるとき間、子は子でお腹を空かしてるわけで。「お腹空いた〜!」って叫んだりしたときもあるし。自分の子をお腹空かせといて、お店のお客さんにああでこうではないわよねって思ったり。

 下の子に「私とお客さん、どっちが大事なの?」なんて作詞作曲の歌を歌われたり(笑)。ふふふ。下の方がアピールしてたのかな。上は男の子だし、一切なにも言ってこなかったけど。それぞれがいろいろ思ってるんじゃないんですか。聞いたことないけど。

渾身の曲を……。

 そうそう(笑)。歌詞はね、探すとどっかにあると思うけど、思い出にちょっと取っとこうと思って。だけど、親としては別に隣にいるし、見えるしみたいな感覚はあるけど、やっぱりそれは親と子で……あったんじゃないんですかね(笑)。

 私も自営業の子だけど、飲食の子ではないから、その気持ちはもちろんわからないし。細かくは聞いたことはない。
 でも、常に後ろめたい気持ちはあって。夫は一緒にいるからいいもんじゃないとかよく言ってたけど、当時。一般的な接し方はできてなかっただろうし、子どもには言ってないんですけどね。

30周年を振り返ったりすることってあるんですか、Sさん(夫)と。

 いや、なんかね。いつだか25周年のときは、庭で出店を出して焼きトウモロコシやったり。25年って中途半端だよなと思いながらも、本人はやるって言ったらやる人なんで。ああだこうだ言ってもやる人なんで、「あ、そうですか」ってやって。そのあと、コロナになったのね。

私なんか、丸くない。逆に四角く、角が立ってるような気がする(笑)

 だから、30周年ってのも、あんまりピンと来てなくって。2、3週間前に「今年30周年なんだよ」って言われて。「ああ」みたいな感じ。別に、とりあえず延長線なだけで。
 コロナで随分、世界観とか価値観も変わったけど、とりあえずなんとかやってこれたから。それはありがたい。

 ここ4人掛け(のテーブル)だったんだけど、やっぱり4人にすると狭く感じて増やせなくって、そのまんま。
 距離感、変わった感じしません? コロナになってから。

 もうコロナも5類になったから(戻しても)いいかなと思ったんだけど、なんか感じ方が、ちょっとあれかな? って。どっちみち、早く座ったからって、そんな早く(料理が)出るわけじゃないからね。ま、いっかってね。

 最近、おかげさまで開けた瞬間に埋まっちゃうから。やっぱり渋滞が起きちゃうというか。なんか悪いなと思いながら。
 (開店は)11時半なんだけど、早い人だと10時半から待ってくださったりするの。だから、もちろん11時半より前には開けるようにしてる。ありがたい話なんですけど。
 なんかね、並んでる人にも断りたくないの、私は。

でも、1日に打てるうどんの数は決まってるから。

 開けてる時間以外、ほぼ仕込みしてるからね。休んでるようでないですよね。

おふたりを見てると、働き者のSさん(夫)と物静かなMさんが正反対のように見えて不思議で。

 一緒に動いてたら、たぶんぶつかるんでしょうね。うまく行ってるように見せてるだけだから(笑)。
 年取ると丸くなるっていうけど、そういうことないと思う。私なんか丸くない。逆に四角く、角が立ってるような気がする(笑)。

歳を取って気になることが増えた?

 娘に「ママがいちばん正しいわけじゃないからね」って言われて。「ああそう、そうですね」と思って。自分の基準で考えちゃうから。「うんうん。はいはい」って聞いて(笑)。やっぱり自分が基準で考えちゃう、だんだん歳取るとね。

息子さんがいまアルバイトしてるってことは、いずれはお店を?

 やっぱり自営業は大変ですよ。会社員でね、ボーナスもらうほうがって気はします。会社員だって大変だと思いますけど、いただくお金とね、自分たちで稼ぐお金は、やっぱり違う気がする。

自営ってコツコツ、毎日の積み重ねでお客さんがいて……。

 私は補助。まぁ、運ぶだけだけどね(笑)。

 こっち(厨房を)向いてるときにすごい怒ってたりするから。なんか気に入らないことがあると睨んでたり。そういうときもある(笑)。
 ただ、お客さんの目の前でみっともない姿はいけないと思ってる。うまく行ってるように見せてるだけ(笑)。

 ……むしろ30代とかはあんまり記憶がないから、なにしろその場その場でできることで。
 いまもそうだけど、その場その場できることをやってるわけ。目の前に。ふふふ(笑)。

生活史を聞いて:ミニインタビュー
薮下佳代さん

でも、その彼女のことが知りたかった

人気店のようだけど、気負いのない方ですね。

 あまり自分からお話をされないというか、お話し好きなご主人とは対照的に、いつも静かで落ち着いた印象で。当日も、ずっと「自分のことを話すのは得意じゃない」とおっしゃっていて。
 でもその彼女のことが知りたかった。

 いっとき、毎週のように通っていたんです。常連になると、「毎度」みたいな感じになりがちじゃないですか。「また来てくれたんだな」みたいな。
 でもそういう素振りをされないんです。私だけでなくどのお客さんにも、こう馴れ馴れしくない。でもきちっとされている。どのお客さんも分け隔てなく、同じ気持ちよさで接客してくれる。すごく心地よくて。そういうお店ってあまりないと思う。

彼女の話を聞いてみたかったのは?

 別の仕事でご主人のお話をきく機会があって。お店をやりたかったのは彼の方で、奥さんは家業としてお手伝いされていることは、そこでわかっていたんです。

 私はこれまで、「自分がやりたくて始めた」店主さんを沢山取材していて。
 その方たちは語るものをいろいろ持っている。
 でももしかしたら、家業としてやってはいるけれど、実際はどんなふうに思っていらっしゃるんだろう。どんなふうに思っていらっしゃるんだろう。表で(ご自分のことを)話さない、聞かれる機会のない方にお話を聞きたいなと思ったんですね。

「駒沢の生活史」そのものは、体験としてどうでした?

 自分が住んでいるエリアというのもあるし、すごく愛着があるわけじゃないけどもう10年以上も住んでいるので、「その場所ね。知ってる知ってる」みたいな。想像しやすいというのかな。
 同じ東京でも、たとえば◯◯や◯◯区だとあまりピンと来ない話が、この辺の話だということに近さを感じるし、人と人の近さも感じるし。すごくいい。

 あと聞き手として参加してる方たちも。
 商業的な動機はないじゃないですか。みんなやりたくて参加している。話していても「うんうん、そうだよね」と耳を傾け合う時間がすごく貴重だった。あんなふうに率直に語り合える場ってない。

──しがらんでいないものね。

 (笑)かといって友人というわけでもなく、どんな仕事をされているのかもよくわからないけど、互いに共通の経験を語り合える場がすごく貴重だったな。

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