第22話

けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

話し手
20代女性
聞き手
杉本 丞

 お母さんは、なんだろう。いい意味でドライなタイプ。もちろん愛情は注いで育ててくれたけどね。だから、なんだろうな。「宿題やんなさい」とかも、あんまり言われなかったし。「あなたが必要だと思うならやりなさい」って言うタイプだった。そう言われると、なんかやべっていう気持ちになって、自主的にやってたかな〜。

 だから、本当に適当だったんだと思う。で、逆にお父さんは、教育熱心なおばあちゃんに育てられた人だったから、習い事もやらせたほうがいいとか、門限にうるさいタイプ。

 でも、勉強に関しては、お父さんも成績表を見せろっていうタイプじゃなかったね。というか、別にお姉ちゃんも私もまあそんなに勉強が苦手なタイプじゃなかったし、成績はそんなに悪くなかったから、はい(手を雑に差し出す)みたいな感じで見せてたかな。

 お母さんに成績表を見せても、なんか「すご〜い!」とかもないし。「次のテストで〇〇点とったらWii買ってもらえるんだ」って友達もいて羨ましいなって思ってた。だから一回それをお母さんに言ったことがあって。「〇〇ちゃんは、テストで100点取ったら、DSのソフト買ってもらうんだって」、みたいな。そしたら「知らないわよそんなの、うちはうちだから」って感じで(笑)。

 いい点数取ってきても、別に、ま、すごいねぐらいな感じ。さらっとした人だったかな。

尊敬してたし、そんなになんか、やってやってとはあんまり言わなかったかなあ

 キャラ弁つくってくれるようなお母さんもいるじゃん? そういうかわいいお弁当をつくってくれるお母さんに対して、うちはほんと、まっ茶色なお弁当だったから。

そぼろとか。

 そう、色合いを気にせずに、とりあえずもう昨日の残りと、みたいな。もちろんつくってくれるだけでありがたいことなんだけどね。なんか、そういう、なんだろうね、あんま見た目にこだわらないタイプだった、うん。

 なんか、「そんなこと必要ないだろみたいな、ピカチュウのかまぼこなんて買わなくていいだろ」みたいな感じのタイプだったから、友だちが羨ましいって言ったことはあるし。もっと可愛いお弁当つくってほしいとかも言ってたし。

 部活の試合の応援も、本当はもっと来てほしかったなあって思う気持ちもあったけど、でも、別に、なんだろうね…。私が中学生になったころに、お母さん側のおじいちゃんが認知症になっちゃって、その介護で本当に忙しかったから。それを見てたら、別にキャラ弁つくってなんて言えないぐらい。すごいなお母さんって尊敬してたし、そんなになんか、やってやってとはあんまり言わなかったかなあって感じ。

ちょっと言いづらい状況になった。

 そうそうそう、言いづらかったかもしれない。まあでも、本当、なに不自由なくやらせてもらったなあとは思うかな。恵まれてたなって思う。

 家族も仲いいほうだと思うし。そうね。うん。私、2つ上のお姉ちゃんがいるんだけど、タイプもぜんぜん違うから、よく親と喧嘩してるのを見てたんだよね。

 お姉ちゃんの反抗期がもうすごかった。それこそ、大学生のころは本当にもう毎晩のようにお父さんとバトルしてたから、喧嘩するの本当に嫌だなって思って。喧嘩はやめようっていう仲裁係だったかもしれない。だから私、あんま反抗しなかった。けっこうずっと、あの自分で言うのもなんだけど、いい子でいた自信はある。

もうずっと?

 うん、ずうっといい子でいたかもしれない、親にとっては。だし、私もけっこう親に喜んでもらいたいというか、親に自慢したいから頑張るみたいなところもあったから。

夢に見てた仕事だったけど、私、この仕事向いてないってずっと思ってた

 たとえば、その部活もさ。頑張って、「すごいね」って言われたいとか。あとは、学校の先生になりたいって思ってたのね、高校生ぐらいから。それを親に言ったら、すごく「え、めっちゃいいじゃん」みたいな感じで言われて。

 親がこんなに喜んでくれるんだったら、普通に興味のある分野だったし、私は先生になればいいやって思って。だから、そっから、なんだろう。ほかにわき目も触れずに、それをずっと目指してきちゃった。

 でも、先生として働くことがきつくなって転職して。そこで初めて、親がこれがいいって言ったものをずっと選んできちゃった人生だったなって、気づいたかな。別に親に強要されたこともないんだけど。勝手に勝手に、いい子でいなきゃいけないって思ってたのはあるかな〜。初めての挫折をそこでした気がする。

けっこう大きかった?

 けっこうでかかった。だから、自分のなかで「えっ、こんなに自分ってできないやつだったんだ!」みたいになっちゃったのが、社会人1年目だったかも。

 学校ではほかの先生から、「一生懸命頑張ってるね!」「期待してるぞ」みたいな感じで言ってもらえるんだけど。でも、なんか私としては自分のことを認められなくて。

 楽しいし、夢に見てた仕事だったけど、私この仕事向いてないってずっと思ってたし、もっと向いてる人っているなあって思っちゃったんだよね。学校で一緒に働いてる先輩とか同期を見てて。

 もう趣味みたいに授業づくりを考えてる人がいて。たとえば、学校の先生が使える、教材づくりのための教育センターみたいなところがあって。私は一回も行ったことなかったんだけど、同期の子とかは土日もそこで教材づくりしたり、絵本を探してきて、「これ読ませてあげるんだよ〜!」って言ったりしてて。

 私は絶対プライベートの時間は友達や家族に会いたいし、いや、ダメだ! と思って。

自分をどんどん苦しめちゃって。「はっ、ダメだ」みたいになっちゃったのが(笑)

 仕事とプライベートで分けるんじゃなくて、趣味のようにずっと考えていられるような領域まで来ないと、きついなあって思ったんだよね。

 私も、もっと生徒にこうしてあげたいなとか、こんな授業してあげたいっていう理想はめっちゃ高いんだけど、なかなか時間も足りなくて。
 もうちょっとできたらよかったのに〜! って毎日自己嫌悪してたのね。自分で自分をどんどん苦しめちゃって。はっ、ダメだ、みたいになっちゃったのが(笑)、社会人1年目だったかなっていう、暗黒時代だったと思う。

暗黒時代。

 暗黒。うーん、けっこう、あの、ヤな奴だったと思う。

 すごい、なんだろう、先生の仕事以外をしてる人をなんかすごい見下してたなって思うし、友だちと会っても「いいよなお前ら、土日ちゃんと休めてさ」、みたいな。私なんかずっと仕事してるよとか、心の底で思っちゃってる自分もすごく嫌で。

 先生の仕事は夢だったし、すごく好きだったけど、どんどん嫌いになっちゃいそうで。そうなるのも嫌だったから。10キロぐらい痩せたし、肌荒れもひどかったし、もうなにしてもなんか元気になれなくて。

 お姉ちゃんが1年目で転職をして、すごく楽しそうに働いているのを見てたから、転職ってありなんだって思って。
 たまたまお姉ちゃんが求人広告を取り扱う仕事をしてたのね。それで私の自己分析とか転職の相談とか、色々手伝ってくれて。「ほかの仕事も見てみれば? 免許はあるんだし、やりたかったらまた戻ればいいじゃん」って。それでたしかにと思って。転職してよかったって感じ。そこで、友達家族と楽しく過ごすのが私のプライオリティ1位ってことに、気づいたかもしれない。

いつからお姉さんと距離が縮まったのかな。

 そうだねー……。大学生になってからめっちゃ仲良くなってお姉ちゃんと。お父さんが門限を大事にする人だったから。お姉ちゃんが大学生になっても、門限が10時半ぐらいだったのね。早いでしょ、バイトもできないし! それでお姉ちゃんが「そんなの無理だよ!」って言ってバチバチしてて。

 で、私も大学に入学してさ、「さすがに大学生になってもその時間じゃ無理だよ」ってお父さんに言ったんだよね。お姉ちゃんが門限交渉してもあんま信用がないわけよ。「グレてる側の大学生してるだろお前は」っていう見方なんだよね、お父さん的には。でも私はずっといい子ちゃんでいたから、私でも帰れないなら伸ばすか、みたいな。

それまではね、けっこうやんちゃなことしてたし、本当くそ野郎だなと思ってたし

 お姉ちゃんとは、そういう共通の利害があったよね。それから、たとえばお姉ちゃんが門限に間に合わないときは、お父さんをお風呂にうながして、「いまお父さんお風呂入ってるから、帰ってきな」(ひっそり声で)みたいな。同じ大学生の立場になって、タッグを組めるようになったかな。

 そこから恋愛相談もできるようになったかもしれない。あとは下北沢に一緒に行って、お洋服買ったりして。大学生になってから、そうだね、仲良くなって。

 で、そう社会人になって、私が先生の仕事がきつくて病みかけてるときに、お姉ちゃんが、「あんたちょっと精神やばいから。いま、自分は病んでないと思ってるかもしんないけど、一回、その鬱ですよっていう診断書を持って、校長に出してこい」と。「それで、お前は休職を取れ」と言ってくれたのね。

 自分一人だったら絶対できなかったけど、お姉ちゃんがめっちゃ強く言ってくれて。それでゆっくり休むことができたし、お姉ちゃんまじでありがとうって感じかな。

ちょっと見方がかわった?

 そうだね………。

 うーん、そうだね…………。

 それまではね、けっこうやんちゃなことしてたし、本当くそ野郎だなと思ってたし。

 高校のときなんてさ、自分が一生懸命部活やってんのにさ、あっちはもう帰宅部みたいな感じで好き勝手に遊んでて。ちょっとなんか…見下すわけではないけど、こんなやつには負けたくない。大学もお姉ちゃんより偏差値の高い大学に行ってやる! って感じだったかな。

 大学生のときにさ、お姉が勝手なことばかり言ってるから、お父さんが手をあげたときがあったのよ。ビンタしたか、蹴りを入れたか。初めてそういうシーンをみたのね。

ずっと反抗的だったけど、自分の意志で人生を取捨選択してるところがかっこいいなって思ってて

 で、それで私が、もうほんとにドラマみたいに、「もうやめて!」みたいな、「お姉ちゃんも悪いけど、手を出すのはいちばん悪い」みたいなことを言って。けっこうお姉ちゃんを守ってあげたこともあって。なんかこう、そこで姉妹の絆的なものが生まれたかもしれない。お姉もそれで、前より私のことを大事にしてくれるようになったなって。

 前うちに遊びに来てくれたことあったじゃん? あの家からさ、いまお姉たち、歩いて5分のとこに住んでんの。

引っ越してきたの?

 そうそう。もともと尾山台に住んでて。お家を買いたいっていう話で不動産屋さんに相談したら、たまたまうちの近くの物件を紹介されたらしくて。まあ、「妹たちも住んでるし住むか」、みたいな感じになって。だからお姉とは毎週会ってる(笑)。

そうなんだ。

 先週は一緒に実家に帰って、浴衣来てお出かけして。夜は実家でご飯食べて、お姉の旦那が迎えに来て、一緒に帰るみたいな。お姉の旦那がボドゲ好きだから、お姉ん家に行ってゲームとかもよくしてるかな。

 互いの旦那がいたらゲームの話しかしないけど、相談したいときは、「お姉ちょっと今日空いてる?」みたいな感じで連絡とって、ふたりだけで喋ることもあって。

 旦那には相談しないけど、お姉には相談することもけっこうあるんだよね。転職とか、仕事の悩みとか、大事な相談もまずはお姉に話しちゃう。だから旦那には、けっこうシスコンだと思われてる節はある(笑)。

 お姉はずっと反抗的だったけど、自分の意志で人生を取捨選択してるところがかっこいいなって思ってて。私は社会人になるまで、まわりの目で選んでたところもあったから。やりたくないことはしない、やりたいと思ったことはすぐ行動するのはいいなって伝えてて。

 逆に私は地道に努力することはそこまで苦じゃなくて、それはお姉からもいいねって。互いにない部分を羨ましく思ってたり。抽象的な考え方の話とかも、お姉とはよくしてるかな。

 けっこういまは相談相手って感じ。お姉がいちばんの。

生活史を聞いて:ミニインタビュー
杉本 丞さん

「この人になら、なんでも話したいな」とか「こういう話もしたいな」と思われたい

 話し手の家族の話に興味を持って、そこを聞いていったけど、ちょっと狭めちゃったかな? って。今回の生活史に限らず、取材中に話し手から「これで大丈夫ですか?」と尋ねられると、弱い。

 今回は友達だったから「大丈夫だよ」と言いましたけど、「そう思わせてしまった時点でどうなのか?」という疑問が残ってしまうんですよね。

 でも普段の取材よりは向き合えたかな。

 高校の陸上部からの友達です。長いけど、あらためて話すようになったのは社会人になってから。お互い1社目を辞めて無職になった期間があって、そこらへんから重なっていった。どちらもマラソン大会に出場していて、駒沢公園でしていたランニングが2024年の共通点。「駒沢の生活史」を知ったとき、もう「彼女だな」と思って。

 このプロジェクトは自分の場合、やっぱり夏のワークショップ(「生活史の聞き方」)が面白かった。

 話の〝内容や情報〟に関心を寄せるのと、〝その人自身〟に関心を向けて聞く、二つの聞き方をつづけて試したじゃないですか。個人的に、その二つで、聞く感覚がまったく違っていて。その人に関心を向けて聞く方が面白い。

話し手にとってでなく、聞き手としても。

 そうです。感覚としてすごく気持ちがいい。疲れないというか。

 相手の人にちゃんと関心を向けてコミュニケーションを取れるのが、自分には大事だな。苦しくない。考えずに聞けるというか。取材のときとか、やっぱり「薪をくべつづける」辛さはあって。

「では次の質問です」「次の質問です」みたいな。

 (笑)「この人になら、なんでも話したいな」とか「こういう話もしたいな」と思われたい。

 生活史のプロジェクトでもそこら辺が楽しかったし、当日その友達に聞かせてもらったときも、彼女がふと思い出して聞かせてくれたところがやっぱり嬉しかった。

 未来の話でいくと、そういうことで人の役に立てないかな。なにかできないかなと最近思っています。