第29話

塾すら近所だからさ、全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの

話し手
50代女性
聞き手
瀬戸潤子

さて、お生まれはどちらでしたっけ?

 三軒茶屋。まさに駒沢・三軒茶屋、この辺りです。うちの母が里帰りで。岡山に里帰り出産していて本当に生まれた瞬間は岡山。

 基本的には里帰り出産の後、またこっちに戻って、30…もう40年近くです。

 じゃあ駒沢三茶、この辺でずっと過ごしてきた感じ?

 そう。この辺でずっと。

 ただ、私、小学校が三茶の私立小で、周りのお友達で近所の子はいなかったのよ。

 うちの小学校はもう結構、まあ近場の子もいたけど、みんなけっこう電車乗って通学してて。そのいわゆる近所で、友達と遊ぶみたいなことは、あんまりなかったな。

 唯一、たまたま近所にいた子が一人いて。その子とは遊んでたけど、他の子とはあんまりなんかなくて。みんな電車でお家帰っちゃうから。

 一人遊びも多かったし、その一人だけ近くにいた子と低学年のときはお互いの家に行ったり。確か、公園行ったりとか。

 いいね。

 でもそれもやっぱりその子しかいなかったから、みんなで何時集合とかの公園で遊ぶとかいう経験はない。

 その子がね、神社の近くだったから。神社とその横のちょっとした遊び場みたいな、ブランコとか一個あるみたいな感じのスペースでその子とちょっと遊んでいた記憶がある。

 たぶん小学生ってもうちょっときっと近所の子とか集まれるじゃん。そういうのちょっとね、羨ましかったな。

 小学校中学年、高学年とかなにしてたの?

 本当なにしてたんだろう?

 でもまあ習い事に行ってたりとかはしたし、バレエとかやってたよ。

 たぶん…いや本当に、けっこう家にいる時間の方が多かったんじゃないかな、私は。あんまり覚えてないよね、あの頃のこと。なにしてたんだろ?

 けっこう時間はあったはずで、小学校も学童とか行ってないから。うん、それこそ13時に帰宅するっていう。

 通ってた小学校って土曜日もなかったんじゃないかな。あんま土曜日に学校行った記憶ないんだよね。だから土日も時間あったはずだし。

 あ、そうだ、ファミコンとかはあったよ。

なんか時代を感じる! ファミコンか、いいね!

 たぶん小学校低学年はファミコンしてたよ。なにやってたんだろうな…。セーラームーンだ! セーラームーン。

従順だったな。たぶん人生でいちばん勉強したと思う

セーラームーンのゲームは、RPG的な?

 そうだね、なんかもう、もっと単純な感じ?

 セーラーなんとかを選んで、なんかの敵を倒していって。各ステージのボスみたいなキャラがいて、それを倒したらクリアみたいな。

 もしかしたら小学校の真ん中、小学校3年生4年生ぐらいはゲームやってたのかもねえ。

めっちゃいいね。

 うん、でもたぶん私、5年生からは中学受験の塾に行ってたよ。たぶん、そこからは忙しかった。

 私立の小学校だったから、周りはあんまり中学受験する子がいなかったんだけどね。

中学受験か。それは忙しいね。

 本当だよね。いま自分が親になって思うよね。大変だった。大変だったんだろうなって。小学生はそんなさ、なんかたぶんそういうもんだと思って、やってたんだと思うけどさ。

 そうねえ。中学受験の塾ってどこ行ってたの?

 うちはもうこの近所の。いまもあるよ。あの世田谷通りのとこ。あそこに私が行ってたからね。まだあるってすごいよね。

 塾すら近所だからさ、全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの。

 そうそう、5年生からはたぶん忙しくて。うん、たぶん、塾が忙しかったんじゃないかな。

 学校から帰って、私服に着替えてから行って。そうだね、夜まで行って塾行ってご飯みたいな感じだったな。

 たぶん自習的なのもあったはずだから結構行ってたんじゃないかな? 最後の方は。うん、たぶんね。

 帰りの寄り道とかってどこ行ってた?

 いやでも、そのとき小学生だったし。だからもう普通にそのまま帰ってた。従順だったな。
 たぶん人生でいちばん勉強したと思う。

なんなら三茶のキャロットタワーがいちばん栄えてて。平和でしょ、平和

それで中学受験して、それで初めてこの近所から…。

 そう。そうよ。やっと三茶駒沢エリアから外に出て。でも行くところは、世田谷線で降りればいいから無茶苦茶近い。

 そうだ、学校の中でも、家がスーパーに近い方だったな。

となると、世田谷区は出てない?

 出てない、出てない。ぜんぜん出てない。

 それで中学校の近くもほぼなにもないからさ、通学も立ち寄る場所もとくになくて。従順に行って帰って。なんなら三茶のキャロットタワーがいちばん栄えてて。平和でしょ、平和。

部活はなにかやってたの?

 バドミントンやってた。なんか正直友達が行ったから入っただけで、バドミントン自体別にまあそんな好きじゃなくって。

 もうね、先輩に怒られない程度にやってて。だから中学で辞めちゃった。最後まで別にとくにうまくならなかったな。

 高校入ったら、ちょっと塾とか始まるじゃん。大学受験の。だから結構バタバタしてたかな。

 高校時代って塾以外は放課後、なにしてたの?

 部活の仲良かった子も一緒に辞めたんだよね。だから帰宅部仲間みたいな。

 あ、ルーズソックス、履かれてました?

 あーハイソックスでした。でもね、ルーズソックス、まだルーズソックス、ぜんぜんあったよ。

あの、すごい長いやつね。

 あったあった。マジで長いやつ。そうでもなんか、私は家的にも、まあ高校生になったらいいみたいな感じがあったんだけども。

 高校生になったら、ちょっとハイソックスブーム、そっちになっちゃったんだよね。

 学校指定が白だったの。だから、白しかダメだったんだけど、本当はたぶん紺色が良かったよね。

 なんかちょっとさ、ワンポイントついてるやつとかね。

 それそれ! だから、もしかしたら学校が終わったらキャロットタワーで履き替えるとかはあったかもしれないな。

でも私は、109には怖くて入れなかったな

じゃあ高校時代、遊ぶって言ったら…。

 三茶! もう私の青春は全部このエリアよ。あ、ただ塾が渋谷だったの。だから、そのとき、たぶんプリクラとか流行ってたから渋谷でプリクラ撮ってたな。センター街とかで。

 ついにご近所エリアから出たね。

 出た出た出た! そうだよね。でも私は109には怖くて入れなかったな。

じゃあちょっと渋谷で遊びつつ。その高校から大学受験してストレートで大学行ったんだっけ?

 うん、国際教養学部行って。そのときは新設の学部だったから校舎がまだ立ってなくて。それでなんかキャンパスのちょっと外れにあったんだけど。

 なんか本当に、勉強は私はしなかったんだけど、国際教養学部ってひとつの分野を深くというよりは、色んな分野を広く浅くな学部で。色んな先生がいて、興味あるのをちょいちょい取って行くみたいな感じで。

そうなんだね、サークルとかも入ってたの?

 私はもう本当、帰宅部そのまんまっていう感じで。入らなかったの。周りに入らない子も結構いて。というのも、大学2年生で絶対留学をする学部だったんだよ。必修で全員行くの、だから単位が全部、振替られるんだよね。

 2年の夏から行くんだけど、だから結構サークル活動の中でいい時期、1年間いないんだよね。

それまでのものはたぶん、自分になかったんだろうね

 なんかそれがわかってるから、周りもサークル入ってない子がほかの学部に比べたら多かった。なんならサークルによってはその大事な時期がいないからちょっとご遠慮いただけると…みたいなとこもあったな。

留学どこいったの?

 ロンドン。なんか私、英語圏が良かったのよ。まず英語圏がいいんだったら、まあアメリカかイギリスになるじゃん。

 しかしあんまり、アメリカに興味がなかった。どっちかっていうとヨーロッパに行ってみたかったんだよね。

 だからまあイギリスにして。いや、楽しかったね、それがいちばん。日本の大学で過ごした日はぜんぜん覚えてないくらい、その一年は良かったよ。

なにが楽しかった?

 まあ、まずさ、初めて三茶駒沢エリア以外に住んだのよ。大学も実家から行ってたからさ。寮みたいなところで、一人暮らしではなかったんだけど。

 旅行もさ、やっぱりヨーロッパだからすぐいけるじゃん、隣の国に。普通に週末にパリとか行けるからさ。電車で。それは本当に楽しかった。

色々行ったの?

 いや、もうたぶん、ほぼヨーロッパは周ったんだよね。そうそうそう、帰る前に、一ヶ月ぐらい周遊したんだよ。なんかそれはね、楽しかったねえ。

いちばん好きだったのはどこ?

 全部よかったけど、うわ! なんかめっちゃ景色綺麗だな! と思ったのはフィンランド。
 いやあ、帰ってきたくなかった。で、1年留学して、帰ってきたら、割合すぐ就職活動みたいな感じで。

またロンドンに戻ろうとか思わなかった?

 そうだね、ぜんぜん戻ってもよかったけど。なんか、ならなかったね。普通に日本の企業に入っちゃったからさ。

 ぜんぜん戻りたくないとかはなかったけど、まあ、でも戻るには結構な覚悟と動機が必要じゃん。それまでのものはたぶん自分になかったんだろうね。

このへんで、お互い可愛いおばあちゃん、いいね。駒沢公園、ゆっくり散歩したりね

日本で就職して、その後フリーランス?

 そう、何回か転職してその間に結婚して妊娠出産して。子どもが生まれてから、まあ、ぜんぜん寝なくてさ。

 寝かしつけゾンビが爆誕して、ゾンビ爆誕と共にコロナ来たのよ。そのタイミングだったし、産休育休中の後に退職したんだよね。

 結果としては良かったかもしれないけど、育休最初の1年、保育園全部落ちたんだよね。

 それで2年まで育休取ろうってなって、2年目で、いまフリーランスでやってるねんねの勉強を始めたんだったかな。

それで、ここのご近所エリアで活動を始めたんだね。

 そう。この先もしばらくずっとこの辺にいるんだろうなって思うよね。それこそ駒沢のさ、あそこ再開発したらちょっとまた雰囲気変わるよね。そしたらさ、結構駒沢の方までも行くこと増えそう。

 仕事もまあフリーランスで行ける限りはさ、まあ、もう会社に戻ることは私の中ではないと思っていて。この辺、フリーの人、普通に多いし。

 そうそう、これも結構ありがたいというか、そんな珍しがられないというか、なんかね。居心地が悪くないというのはあるかな?

だんだん、子供の手も離れていくじゃん。

 そう離れていくからさ、そうね、うーん。
 友達と遊ぶ方が楽しくなったりするよね。親のことなんてかまってくれなくなっちゃうよ。

 確かにそれを思うと、趣味もなんか始めるみたいな気持ちはちょっとある。ちょっと視野に入るよね。
 なんか周りも始めるじゃん。みんな自分磨き始めて、やっぱメンテナンスにもお金がかかるようになるよね。

わかる。最終的には可愛らしいおばあちゃんに向けてね。

 それはそうだね。このへんで、お互い可愛いおばあちゃん、いいね。駒沢公園、ゆっくり散歩したりね。

生活史を聞いて:ミニインタビュー                瀬戸潤子さん

住んで、そこで人生を過ごしてきていると、似た要素が搭載されるのかも

 ここ3年ぐらいで急に仲良くなった友人で、非常に気が合うものの、バックグラウンドとか知らなかったので。

 もともとは私が彼女のお客様で、そこからなぜかお友達になった。何度も飲みに行って。二人ともすごい喋る。すごい盛り上がる、けど知らないなっていう。

 「なるほど。彼女のこういう側面はこういうところから来てるんだ」って、答え合わせのような時間でした。今後も仲良くしていくんだろうな、という予感が深まった。より「この人信用できるな」「大丈夫だ」って。

どういうところから?

 なんでですかね……生育歴が似ている。私も世田谷区で生まれ育って、彼女も本当に隣の地域で「きっとどこかですれ違ってたね」みたいな。でもお互いぜんぜん違う人生を歩んでいて、学校もぜんぜん違ったけど、なんか属性が似ている。

 地域の特性ってやっぱりあるのかな。そこに住んで、そこで人生を過ごしてきていると、似た要素が搭載されるのかも。二人とも駒沢周辺でずっと生きてきて……話に出てくる景色が私にも身に覚えがあった。「駒沢公園のあそこで遊んだよね」とか「夏はあそこの中央図書館行ったよね」とか。

同時代のCMとか以上に、街の記憶を共有している。

 そうそうそう。たとえばうちの夫は同世代だけど、石川県の能登島の出身でぜんぜん重ならない(笑)。世田谷区で生まれ育った私の小学校時代の体験と、目の前が海で裏が山、みたいな環境で育った彼とは「それやったよね」という思い出に、重なるものが一つもないんですよね。

 同じ地域で育った、同世代の、大人になってからできたお友達と話す方が親和性があった。自分事になる感じがありましたね。すごく面白かった。

そういう人が彼女の他にもこの同じ界隈に。

 そうそうそう、いっぱいいるんだと思って。「二子玉がさ」とか「昔はあんなバスロータリーしかなかったのにさ」とか、同じ温度感で出来るのが面白い。

 (沿線では)駒沢が最後の良心、みたいなところがあって(笑)。私が覚えている限り駅前はほとんど変わってないんですよね。ドトールとか、高校生のときずっと勉強してた。駒沢公園なんてぜんぜん変わんないし。

 でもだから今回の「駅前にビルが建つ」っていう一連の流れはかなりの大ニュースというか、本当にガラッと変わるんだろうなって予感がある。それこそ三茶の駅前にキャロットタワーができたときの驚き、あるいは二子玉にライズができたときの驚き、みたいな感覚があります。