第37話

「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

話し手
40代男性
聞き手
尾崎博一

 昨日ね、超余談ですけど。僕、占いとか信じてないんですけど。あ、存在は信じてるんですけど。自分には必要ないと思って。考えるのが好きで人に尋ねるのはもったいないと思ってるタイプだから。

 でも、人として信頼できる友人が、手を観れる人を連れてきてくれて、「もうめっちゃ思考の人だ」って言われて。

はい

 「めんどくさい」とも言われて、やっぱ気持ちよかったんですよ。嫌じゃなくって、やっぱそうだよねって思ったんですよね。ずっと思考してるのを自覚はあったんだけど、そういう人にそういう方面から言われたときに、まあ結構スッキリしたっていうか。

 僕は人を信用しないんですよ、はっきり言っちゃうと。でも、信用してないんじゃなくて、自分を信用してるだけなんですよ。自分を信用してるから、あんまり人を必要としてなくって、考えたり悩んだりすることに対して、全部自分で自己決定をしてしまうので。

 要は他人に依存しないっていう意味では、他人を信用してない。

決定できるし、決定したいみたいな。

 そうなんですよね。そういうカルマみたいなのを自分でつくり込んじゃってるから。でも、それがある種自分の人生とか人間関係にも影響が出てるなみたいなのをセッションで言われてないけど、自己反省のようなもので思いついたっていうか。だからいまこうなってるね、僕。っていうのを思いました。

それはもう、物心ついた頃からそういう性質なんですか。

 そうですね、それはもう、疑いもなくそうです。

 一応ね、環境依存だと思ってたんですよ。僕、父親がいなくて、死別なんですけど、4歳だったんですね。兄が5歳で年子。母親は専業主婦だったんだけど、父が他界してから急に金稼がなきゃいけないみたいなサバイバルゲームになって。育児放棄じゃないんですよ。でも働かなきゃいけないから、僕らは犠牲にはなってないんですけど、

ある種放置されるじゃないですか。家に帰っても自分で鍵で帰ってくるみたいな感じで。

 自分で遊びをつくんなきゃいけないんだなっていうのを後に学んでいくんですよ。隣のあいつんちにはファミコンがあるんだけど、うちにはファミコンが落ちてこないんだっていうのをなんか知ってくわけですよ。状況的に。

 で、そこで昔の僕を褒めたいのは、不満を言っていじけたりとか、そういうんじゃないってことですね。腹くくって幼いなりに状況を把握してファミコンは落ちてこないんだと思ったらファミコンではないなにかをやるしかないんだなって勝手に思い込んで、遊びをつくったりし始めたんですよね。

 それがいちばんアクセスがしやすいのは、頭の中で妄想とか考えるとかの訓練にそっからなり始めたんじゃないかなって思ってて。かつ、そんな環境だから、あまり親になにかを相談するっていうのも人ほどやってなくって。で、自分で決めていくんですね。

 自分で学んでっていうよりは、自分で「あ、そういうもんなんですね、この世界は」

 だから選んでんのか選んでないのかっていうと、選ばされてると思ったんですけど。

 (占いの)話に戻すと、「最初から最後までそういう人です」って言われたんです。

 ずっと現世ではっていう限定をつけられましたけど、「最初から最後まで『思考の人です』」と。

自分のめんどくささとたぶん似すぎてて、わかるっていうか

すごいですね。言い切られるんですね。

 言われましたね。なんか、まあ気持ちは良かったですね。ああ、そうだねって思いました。ずっとやってること変わってない。動かしてる手の先は変わってますけど、やってることは一緒で。

 あの、村上春樹、読みます? 村上春樹の「国境の南、太陽の西」って物語があって。

 その中で、一人っ子のハジメさんという人がジャズバーを始めるんです。青山で。都会的なジャズバーを。で、そのうち飽きちゃうんですけどで、それを彼が「空中庭園」っていう言葉を使って、「僕の空中庭園は終わってしまった」みたいな。一生懸命その、「僕が築き上げたジャズバー」がですね、「もう僕の中で情熱が失われた」みたいな表現が出てきて。

 その本は小説なんですけど、ビジネス書のように僕の中では捉えていて。

 村上春樹もジャズバーをかつて実際経営していて、主人公と同じような状況にあり、それを例えば恋人のような人に人の雇い方を語ってみたり、美味しいカクテルってどういうものかっていうのを語ってみたりするんですよ。

 それがいまで言うほぼ経営哲学みたいな話なんです。美とはなにか、みたいな。例えば美味しいとはなにか。みたいなのを、すごくなんか芯を食った語り方をしていて。

 だから僕の中では例えば僕は本屋をやってるとしたら、美味しいカクテルとはなにか、みたいなのを面白い本とはなにか、みたいなのに例えると結構ハマるなとかってそういう風に読んでたんですよ。

 結構僕はそれこそ空中庭園のように、いろんな妄想をしながら、試行錯誤ああではないか、こうではないかっていうのをずーっと続けて遊んでるっていう。

 空中庭園っていうのは、自分の頭の中のお城をずっと磨いたり増築したりデコレーションしたりしているような作業で。そんなのがいちばん面白い。

空中庭園っていうことばを発したとき、いい表情でしたね。
 あ、本当ですか。楽しいんすよ。

 で、僕が好きな人たちってみんなその空中庭園持ってるんですよ。なんとなく「ああ、この人は空中庭園持ってるな」みたいなのが共通項としてある。単純に言うと「好きなものがある」ってことなんだけど、ちょっと違うんです。空中庭園があるって、それを自分の場所で自分のものにして、それを自分のためにやっている。

 僕はその(村上春樹の登場人物の)めんどくささが、自分のめんどくささとたぶん似すぎてて、わかるっていうか、わかってはいないのかもしんないですけど、そういう風に考えてる自分をあちらに見ちゃったんですよね。物語の中に、自分だったらこうやるみたいなことが、もうすでにそこに存在してたから。もう10代で読んじゃったんで、探しに行っちゃうところがある。

 イマジナリーなメンターっていうか、それが固有の人じゃなくて村上春樹の本に出てくる主人公的な人物がメンターみたいになってる。

 ほとんど読めるものは読んだんじゃないですかね。暇だったんで図書館とか行って。すごかったですね。いちばん自分が変わったんじゃないですかね、語彙も増えるし変わるし。パソコンでいうとなんか違うOSをインストールするぐらいだったと思うんですよね。

 RPGだと思ってるんで。人生って。

クリアはあるんですか?

 ステージチェンジはあるんじゃないですかね。

 クリアは、まあ、あるとしたら終了ですよね、たぶん。

 だからロールプレイングゲームのクリアとは違いますけど。エンディングがというか。

 でも、たぶんエンドロール見れないやつなんだろうなっていう風に。そう思ってますかね。うん。これ、答えを持っているわけじゃなくて、いま思いつきで喋ってます。

あ、僕、間違えないね、みたいな自信みたいなものが

 僕、思考の話しましたけど。客体が強いっていうか、客観視が強いっていうか、この主眼であんまり生きてないんです。

 RPGのスクロール。自分が、自分の背中なのか、自分の頭頂部なのかを見てるのが主眼に近いので、そういうRPGっぽくなってるかもしれないですね。

 そのメインチャンネルがこっちで、サブチャンネルがこっちって感じ。なんでなんだろうな。こっち(主観)の方がダイナミックじゃないですか。当たり前だけど。でもこっち(客観)を選んでるんでしょうね。

これは幼少期のさっきお話いただいたところに通じるんですかね

 も、ある気がしますね。ちょっと安全のために俯瞰、客観してるってとこもあるかもしれない。外敵の存在を。けっこう子供のときから悪く言えばかっこつけで、よく言えばちゃんとしてたから。

 クラスに40人いたら、自分はどこに座っているかということをなんとなく認知して、誰があそこにいてなにか喋るやつとか、ずっと黙ってるやつとか、なんか面白いことを常にしようとしてるやつとか、登場人物がいてけっこう自覚してたんですよ。

 クラスの場合はけっこう自己防衛が強くて。サッカーやったときに自己防衛じゃない方法を見つけたっていうか、自分が活躍できる方法として活かせる。目の前でワークしていくから。実践ができたのがすごい面白かったですね。立体的に認知するのが向いてたのか、面白かったのか。それが空気読む、とも繋がっていく気がしますし。

 もうこんな雰囲気だよね。だったらこうしたら上がるし、ああしたらこうなるから、どっちがいい。いや、じゃあこうでしょ、ほらこうだった。みたいなのができていた気がします。

できたし、得意なんですね。

 得意なんじゃないですかね。誰とも争うつもりはないですけど、うまくできる気がするかな。

高校の中の教室のRPGだったのが、村上春樹に出会って、自分で決められるっていう風に気づいて感じですか

 はい。うん、自分で決められることは知ってた。

 なんかね、自信あったんですよね。自信がついたのはもうちょっと後なんですけどね。20代後半ぐらいで気づいたっていうか。あ、僕、間違えないね、みたいな自信みたいなものが。

急に、わかった?

 すごい下品なことを言うと、小学校のときってみんな馬鹿だなと思ってたんですよ。なんでみんなわかんないんだろうって思って。これしたらダサい。ほらダサいじゃん。なんでわかんないの。とか、あれしたら怒られる。ほら怒られた。なんでわかんないの。とか。ていうのが結構目の前で起こってて。その場の空気っていうのを察してたからっていうのもたぶんあるんでしょうね。

 で、だんだん社会に出たりとかしていくうちで、人が評価したり評価しなかったりする中でも、良くないことですけど正解を見つけるのうまかったんですよ。

 いまこの行動した方がいいな、いまあそこ、あれがないから持ってったら喜ばれるとかがまあまあ努力せずにできてたんで、その辺りから結構見えてるね、君は。って。自己評価が始まってった気がします。

 なんか自慢の話になってません? 大丈夫ですか。

大丈夫です。

 へへへ(笑)

仕事の話か人生の話しか暇な奴はしないっていうのに気がついて

きっぱりというか、はっきりしてるんだなっていうのをちょっと羨ましく思って聞いてます。

 はっきりしましたね。それはどっからかなあ。でもそれがすごい気持ちよくって。これでいいんだって思ったんですよ。その辺りから。

 自己肯定感みたいな言葉がいまあるけど、そこで自己肯定感みたいなのが結構チャージっていうか、充電100%みたいな感じになった感覚はあるかもしれない。

 いわゆるこう、メインストリームを歩いたことがないんで、人生で。大学受験もしてないし。大学行ってないから、そういう就活もしてないし。

で、そのまま路頭に迷ったっていうか、ドロップアウトしたんで。

 ずっと旅してたんすよ。人が大学行ってるときに。でも一生この旅をしてるわけにはいかないんだなっていうのに気づいて。

 面白いのがそういう旅ってそれこそ昔の言い方で言うと、自分探しとか、あるいはいかに金を使わずにその街に居続けるかみたいな人しかいないから暇なんですよね。暇なんで喋るじゃないですか。

 そしたら、まあ、僕がそういう旅をしてた頃って、出会う人たちって大学休学してる人とか、あるいは仕事を一回辞めた人とかっていう人が多かったんですよ。出会う人、いろんな国の人たちでも話すのってだいたい仕事の話なんですよね。

 仕事の話か人生の話しか暇な奴はしないっていうのに気がついて。僕、高校出てすぐそういうステージに行っちゃったから、その話の引き出しがないんですよ。「仕事とは」もわかってないし「人生とは」もわかってない。自分が話そうと思ったら、なんも出てこないなってっていう感覚になり「働こう」って思ったんです。

 働きたくなったのは、話すことができるかもっていう、基本なんかネタ集めが動機っちゃあ動機なんですよ。

ネタが集まりそうっていう感覚で選ぶ。

 そう、だから東京でしょって思って。高校を出たのは鹿児島県なんですけど、働くならもう東京一択だったんで。目的は「東京で働く!」みたいな感じで東京に来ました。でもぜんぜん、なにをするのも2年も続かないみたいなジョブホッパーしてましたね。

広告の仕事もされてたんですよね

 してましたね。グラフィックデザイン事務所みたいなところにいたり、映像の制作会社みたいなとこにもいたりしてましたね。

 最初はグラフィックデザインをやりたかったんです。面白そうなことをホッピングしてて。でも気が付いたらそういうのを経験してたから、自分がやってきたことをかき集めて、広告。当時一人広告代理店って言い方をしてたんですけど、割と色々できたから。いまはそういう人多いけど。僕がやり始めた頃って割と専門に振るのが当たり前なんですけど、僕はあれこれできたから、おっきい企業のクライアントとかじゃなくて、町場の飲食店とかショップとかの予算感の仕事なら取れるだろうなと思って。広告といっても、看板もつくれば新聞の折り込みもつくるみたいなのをやって独立したんです。

ああ。東京っぽいですね。

 そう、東京。でも東京っぽいの好きなんですよね。どうやら。あの薄っぺら感、軽い感じ。

村上春樹の東京っぽい、、

 ですね。まあ彼の場合はもう兵庫を抹消してますからね。いまはそうでもない。兵庫出身、神戸、神戸高校ですよね、確かね。それこそノルウェイの森がそのままで。神戸の高校を出て、高校時代の思い出を抹消するために東京の大学へ出てくるみたいな設定で。

 (僕も)高校ぐらいのときはもう東京に憧れすぎてる。憧れすぎて原宿の地図が頭の中に入ってる。竹下通り渡ったらムラサキスポーツがあって、その裏にはどうやら裏原宿という場所があるらしい(笑)。初めて高校2年ぐらいのときに原宿行ったときに、当時はそんな語彙もないですけど、「邂逅」って言葉あるじゃないですか。なんか会いたかったものとの機会を果たすみたいな。本当に竹下通りを抜けてムラサキスポーツから先の道に入ったときに、こう、謎の高揚感がありましたね。「いまいる!!!」みたいな。

 いまはグーグルマップとかありますけど、当時はなくって妄想の世界が現実世界で上書きされる。平面で見てた写真のここをちゃんと見る(笑)。「ここ、こうなってたんだ!」みたいなのをすごく覚えてます。

自分で言うのもなんなんですが、一筋縄じゃないのかもしれない

 (占い師が)僕の手を観てくれたときに、

「手はすごいウェルカムなんですけど。ドアをすぐ開けてくれたんです。でも、ドア開けてくれたんだけど、そっからなにしていいかわかんないです」って言われて。

 で、どういうことかっていうと、いろんな表現あったんですけど、最初に言ってくれたのは、わたしの手を部屋だとすると入口は開放的ですごくベリーウェルカムだったんですって。で、呼んだら「はい」って答えるんですって。向こうでドア開けてるんですよ。でも、ここに行けないと。

 最初はきょとんとしたけど、どんどん説明されていくうちに、あ、そうなんですね。そうだなっていう。一旦。承知しましたね。

──へえ、

 なにが言いたかったっていうと、僕の空中庭園もたぶんそうだと思います。お庭も。だから、ややこしいんです。

 自分で言うのもなんなんですが、一筋縄じゃないのかもしれない。どんな庭なんだろうってちょっと考えてみましたよ。自分の庭。その立て付けのややこしさみたいな。距離は遠くなく、そこにいるのに。

そこから案内もしてもらえない。

 (笑)そう、問われたら答えてるんだから。

それも、答える側も答えようとしているわけだから…

もうすでにそこは、だいぶウェルカム。

 そう、でも、自分語りをしない、みたいな。

「いや、実はさ」みたいな「いや、こういうのでマジで悩んでて」みたいなことを一切本当にしないんで。冗談レベルでしないんで。それが極端ですよっていうことなんですね。「なに悩んでる?」って聞かれたら答えるかもしんないけど、「実はこれで悩んでるんです」って、こう、先行しない。後攻はする。

 そういう風に思ったことなかったんですけど、話しながらいま整理がつきました。

その空中庭園の中にもう一つのお家、山梨はある感じですか。別の空中庭園があるんですか?

 もうそれは枯れちゃったかもしんないです。

気が移ってますね。この1、2年でずっと「やる気のない物件探し」っていうのをやってて。月に1、2本を千葉とか栃木とか群馬とかぐらいの物件探しをしてて。目標がないんですよ。こういうお店をしたいって決めてるわけじゃなくて、ただ物件を見に行ってる感じで。

 見て、「ああ、ここだったらこういうのできるな」みたいなのを結構やってるんですよね。

 要は、なんかもう本当、動機で言う最初の上澄みみたいな。

 なんか新しいことを起こしたいみたいな。でもなにか決まっているわけじゃない。なにをしようではなく街と場所とを見て、自分がなにを思いつくんだろう? みたいなのをやってる。

 でもなんか楽しいんですよ。それも空中庭園的行為で、街に行って場所を見て、ここでこういうことをやったら楽しいなとか、じゃあここにこういう棚をつくろうとか、カフェやったらいいかもねとかっていうのがたぶんたのしくて。で、物件行ったら、街の評判のいいカフェに行ったりとかして、「あ、こういう人来てんだ」ていうのを想像して楽しむっていう形を続けて。

 いまちょっと話しながら整理したのは、やるまでがいちばん楽しいと思っちゃってるのかなー。

 だからたぶん、要はつくる。どんな車がいいか、何色がいいか、棚はどう造作しようか、どういう本を並べようか、どういう屋号にしようかっていう、その過程がいちばん僕はおいしいんでしょうね。こんなこと言ったら語弊がありますけど、いちばんおいしいとこがたぶんそこで、そっからは業務になっちゃってるのかな。

 形になってくるじゃないですか。自分のつけた名前を人が口にしてくれたりするとかって結構感動的じゃないですか。

 それこそ自分のかけた音楽を誰かがいいと思ってくれるとかって、すごいじゃないですか。それを考えると、やっぱ楽しいんですよね。なんか、あたらしいことをやりたい。すごい簡単なことを言うと、ただ、なにかあたらしいことをやりたいんだ。そしておそらく定期的にやりたいんだと思います。

 そうだ、ちょっとセラピー的にいまわかりました。なにかをやりたい。

空中庭園、少し見させてもらえた気がします。

どうやったら美味しいクリームになるんだろう、チェリー以外になにがあるかとかを考えるのが好きで

 そういうワークショップがあってもいいかもしれない。

 心療内科の話。箱庭療法。あれはどちらかというと自分がなにを思ってるか、あるいはなにに傷ついてるかを知るための行為だと思うんですけど、そのメソッドを心の療養じゃなくも使える。自己認知とかに使えそうだなっていうのを思いましたね。

「あなたの空中庭園を話してください」みたいな感じですか。

 そう。それがそのまま「あなたは誰ですか。」みたいな話にもできそうだなって。

 あとは仮に自分がガーデナーだったらどの行為が楽しいか。みたいなのも面白いですよね。

うんうんうんうん。

 要はそうですね。道具選びを楽しむ人もいればひたすら更地にするのがたのしいって人もいるかもしれないし。

確かに。そういう意味では空中庭園を育てるのも好きだけど、違う知らない土地を見つけに行ってる人なんですね。

 そうっすね。

ただつくっていくのとは違う。

 異なる空中庭園なのか、異なるゾーンなのかわかんないんですけども。

 開拓がなんか好きな気がしますね。

自分の愛する空中庭園を持ちつつ。

 すごい贅沢。ってか欲深いですね。

いいですね。

 うん、そうかもしんない。

それがどこかに。どこかわかんないけど、探してるのもたのしいし。

 はい。

「見つけた!」って言ってちょっとつくっていくのもめっちゃ楽しいし。

 はい。

それは仕事なんですかね? 遊びなんですかね?

 遊びじゃないですか。遊びだと思います。なにも考えてないですそのときって。

 例えばお金とか時間とか考えてないです。お金があるってわけじゃないんですけど、もっと違うことを優先してる気がしますね。当然お金がなきゃできないことはもちろんあるんですけど、人力でできるのは人力でしようよとかって改善していくだろうし、お金とかで妥協することはたぶんないという。気持ちとかを優先する、かな。

 また占いの話なんですけど言われて気持ちよくて嬉しかったのが、「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた。どういうこと? ってなるじゃないですか。

 「ものすごい美味しいクリームをつくれるし、つくることが好きな人で、それは例えばクリームソーダみたいな話で。お好み焼きでもいいし、なんでもいいんです」って。で、「『はい、クリームソーダです』って出して去ってく人なんです。『美味しかったですか?』も尋ねないし、『ありがとうございます』って言われたら、『また来てくださいね』も言わない人です」って言われて、最後にこう言語化された。

(携帯のメモを探して)

「………ハッピーエンドを繰り返す人」

なんかそこ、2つが繋がんなかったです。

 ええっと、クリームソーダを出すことで人に喜ばれるのをひたすらやってるっていうことらしいです。リアクションとかはまったくいらない。

うんうん。腑に落ちました?

 落ちました。けっこうセッションして落ちました。うん。

 でもそれってさっきの話で言うと、考えるのが好き、つくるのが好きの話と繋がってきて、どうやったら美味しいクリームになるんだろう。本当に緑だろうかとか、チェリー以外になにがあるかとかを考えるのが好きで。

 で、考えてつくって、ちゃんと試作もするし試食もするから、もう自信持ってるんですよ。美味しかった? って聞く必要がない。たぶんね。

知ってるから。

 そう、美味しいんだって。だから別に気に入らなくてもいいし、まずいって言われたら「まあそう」みたいな感じなんです。

 で、確かにってなってましたね。

それが「ハッピーエンドを繰り返す」。めっちゃいいですね、その言葉。

 メモりましたね。

ゆかいですね。

 ゆかいですよね。そうなんですよ。なんかで使おうと思ってましたから。

 「ハッピーエンドを繰り返す」

生活史を聞いて:ミニインタビュー                尾崎博一さん

けど、始まってすぐそんなことは気にならなくなって。そのときの会話や言葉が生まれている感じで

 最初に関心を持ったのは、コロナが始まった頃。京都のカフェの店主と彼が、週イチで2時間ぐらいのインスタライブを始めていて。

 もう、本当に尽きることなく話されていて。

 お店は知っていたけどまだ行けていなかった。でもそれで、人としても興味を持って。

 言葉が溢れる感じ。

 それは今回お話をうかがっても実感した。一つの問いに対する瞬発力がすごい。話し慣れているのも本人の特性も、両方あるのかもしれないけど。どういうことなんだろう? って。

 私は聞き役の方が心地いい。話をそんなにしたくないというか、慣れてない、とずっと思っていたんです。

 でも彼の店のイベントに参加して。それぞれが問いを持ち寄って、車座で語り合う場で。知らない人同士だけど、すごく雰囲気が良くて。

 そのとき彼が「自分の話をみんなしたいもんなんだよね」って当然のように言っていた。

聞いてみて、どうでした?

 インタビューをたくさん受けている人なので、鉄板ネタがスルスル出てくるんじゃないか。

 でもそうじゃないものを聞けるといいなと、すごく構えて臨んだんです。

 その場で出てくる、素の言葉を聞きたい。それにはどうしたらいいんだろう? って、すごい考えていた。

 けど、始まってすぐそんなことは気にならなくなって。

 そのときの会話や言葉が生まれている感じで。

 歳がすごく近いことがわかって。個人事業主という境遇も近い。でもこれまでやられてきたことの進み方がまったく違う。そんな人の話を興味深く聞いていた。

 自分と違う。違うっていうか、面白いなって。

 すごく心配して行ったけど、楽しんじゃって。それも含めて不思議な時間でした。