第38話

さあ東京行くぞって出てきたやつは大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

話し手
?代女性
聞き手
辰口健介

 生まれはね、博多っ子なんです。高校まで博多にいて、大学からこっちで。で、住み着いてしまったっていう感じです。

大学から駒沢?

 大学は駒沢じゃなくて都内なんですけど、結婚をして本当に渋谷のど真ん中に借りちゃったんですよね。で、それからちょっと仕事全部投げて、世界一周しちゃおうって出ちゃって、帰ってきてもう一回渋谷に住もうとしたら、1年ぐらいしか経ってないんですけど、とてもとても変わっていて。で、子供を産みたいと思ったんで、渋谷で子供を産んで育てるのは大変なことだと思って、池尻、三軒茶屋とこう下ってきて、ここに落ち着いて。で、40年ですね。

40年。なんかいまの話だけで、いろんなことが…。

 ぜんぜん。ほぼ無計画な人生ですよね。いまもそうだけど。あの頃もうバブルが終わって…いないか。どうにかなるよ、って感じでしたね。

 大学を現役で入って、普通に出て、22、3ですよね。で、丸3年。25のときに、もうその1年前に結婚してたんで、てか、その旅行のために結婚したっていうのもあるんですけど。パスポート同じ方が便利だよねって。本当に便利でした。夫婦っていうだけで、ただのカップルじゃなくて、いろんなとこで優遇じゃないけど、やってくれたので。25、6のときですね、帰ってきても仕事もまだあるだろうと。たった1年ですけどね。

どんな経緯でその旅行に行こうと?

 沢木耕太郎っていう作家、あの人の真似しちゃったんですね、きっと。深夜特急のあれを。最初に沢木耕太郎を知ったのはやっぱ深夜特急だったので。じゃあそのルートで行ってみようか、みたいなことですよね。アジア横断とか。

 ちょうどそのときに、庄野真代っていう歌手もいて。彼女もね、行ったんですよ、アジア。みんな行ってんじゃんとか思って。私、就職先が旅行会社だったんですね。人の旅行を色々計画してると、いやー、人のやっててもつまんない、自分が行きたいと思って。で、たまたま夫も旅行会社に勤めていたんで、そこらへん気が合って、って感じです。

 イスラム圏とか旅行してるうちに大家族を色々見るわけですよ。そうしたら、結婚して子供がいっぱいいるっていうのは自然なことなんだなと思えてきて。じゃあ私も欲しいなと思って。あーつくりましょう、ってできたんですね。で、その当時は船の上、もしくはマドリードに行けばタダで出産できるぜっていう情報が入ったんですよ。

 よし、行こうと思って、マドリードまで頑張って行こうと思ったんですけど、初めての妊娠で、すっごいつわりひどくて。途中で産もうとも思ったんですけど、でも本当に初めてのことで、もう気弱になってしまって。いや、一旦帰る、帰ろうと、日本に帰って産もうってことで帰ってきたんですけどね。それで家を探すので、だんだんと田園都市線のこっちに来たっていう感じです。

だから、旅してたいっていう火はずっとくすぶってるっていうか

 だから一周できなかったわけですよ。マドリードの手前、ギリシャにまず行って、で、帰ってきたんで。その後、細切れに子供連れてアフリカ行ったりとかはしましたけど、一周は本当にしてなくて。まだ残りの人生で元気だったら行かなきゃね、っていうところです。ぜんぜんね、南米大陸も足踏み入れてないし。

 …そっからずっと駒沢で、三軒茶屋も行ったりしてるんですけど、子供2人産んで。下の子が小学1年までずっとうちにいたんですよ、専業主婦。で、それから、ぼちぼち仕事しながら、でも家庭を優先的に、っていう感じですね。

そのときはどんなふうに思ってました?

 そうですね、子供を育てる、っていうのは結構大変なことで、自分たちの楽しみも2番目だなと思って。で、上の子は4年生なんで、下が2年生のときに、ちょっと連れてってあげたいと思ったんですね。だから、3学期に入ってすぐ、1ヶ月半ぐらい休んで、アフリカに行ったんですね。そしたら下の子はそうでもなかったんですけど、上の子がその間にちょっと算数がわかんなくなっちゃって。校長先生もびっくりされて、ごめんなさいみたいな感じではあったんですけど。

 だから、旅してたいっていう火はずっとくすぶってるっていうか、いまでもそうですけど。でも、そのことに関して子供たちはめちゃくちゃ覚えてるわけじゃないし、行ってよかったっていうことでもないから、それはそれでいいかと。「お母さんが行きたかったから行ったんだよね」ぐらいで。

連れてってあげたいって気持ちも。

 そうそうそう、もちろん。アフリカなんてのはやっぱり、ね、そんなに見れるとこじゃないじゃないですか。あなたたち、動物園、動物園って言ってるけど、こっから行ったのよっていうこと教えたかったんですね。それから、動物園に行く足が遠のいてしまったんだけど、「かわいそう」とか言って。

 でも、学校の先生は1ヶ月半2ヶ月近くも休むから、「なにか宗教の団体ですか」ってすごい言われました。違います、って。で、駒沢小学校、中学、2人とも行って、それぞれ都立の高校行って、で、大学行かせて、っていう感じですね。下の子が1年生のときまでですから、10年ぐらいうちにいましたね。

また仕事をするというのは、ご自身でそうしたいと思って?

 そうです。もう10年も空いてるし、以前やってたような仕事はできないと思ったので、知り合いのアルバイトとか、そういう感じですよね。それで、近所のお蕎麦屋さん、ラーメン屋さんのパートをしていたら、事務になって、経理、総務などをやることになって、それで、30年近く、ちょうど1年前まで勤めたんですね。

社長の指示で私が3人に告げました。それはね、つらかった

同じところで30年近く。長いですね。

 長いですよね。飲食店と不動産をやってる社長だったんですが、よくしてくださって。いわゆる私と同じように事務やってる人間は、一人2人ぐらいしかいなくて、ずっとやらせてもらったんですよ。

 だから、その間、お姑さんと同居して介護とかあったんですけど、それもその社長の好意でこう抜けてね、病院連れてったりとかも色々させてもらったので続いたと思います。で、ちょうど1年前の2月に退職をしたんですよ。ちょっと本当にポンコツだなって自分を感じてきたので。

どういうことですか。

 ちょっとしたミスが出てきたんですね。65歳定年っていうのは理にかなったことなんだなって。70過ぎてもバシバシやってらっしゃる方もいらっしゃるし、人それぞれだと思いますけど、なんかちょっと辛いなと思ってやめましたね。でも楽しかったですね。

 お蕎麦屋さんの経理が主だったので、経理の他に事務もやってはいたんだけども、売り上げアップのために色々意見を出し合って、みたいな。だから、ちょっとしたアイデアが本当に売り上げに結びつくっていうのは、皆さん仕事してたらそうだろうけど、それは楽しかったですね。

 …ちなみに、お仕事はどんな職種を?

人事関連なんですけど、関心のある領域なので長くやってますね。

 それはよかったですね。人事って聞くと本当に大変そうとしか頭に浮かばないから。

人事の仕事にも触れる機会はありましたか。

 人事、私だからやらされたのかなっていうのはあって。昔でいう肩たたきって言うんですか、飲食店を最初から立ち上げてくれた方とかがいらして。私が勤めたのは30年ですけど、15年ぐらいすると本当にもう高齢化していくわけですよね。

 そこで、景気も悪くなってきて、お給料を減らしたい、もしくは退職なさるなら……みたいな。そんな嫌な話もしなきゃいけないのは、人事としてつらかったかなと思います。社長の指示で私が3人に告げました。それはね、つらかった。

 一時期、役員に登記してもらったんだけど、ちょっと雲行きが悪くなってきたから、役員から外してもらったんです。当時は取締役みたいな感じで、社長のパートナーって言ってくれたんだけど、いやー、人事関係は辛いなと思って。若い人を採用するのは本当に楽しいんですけど。

 …30年働いたうちの後半っていうか、最後の10年ぐらいは仕事楽しくてやってるのかなあ、っていうのはありましたよね。体力的なのもあるし、なんかやっぱりコロナでやられたかな。コロナには勝てなかったなあ。

急になんか自分の視界が開けてきちゃう

 …だからいまはもう本当にのんびり。もう1年になるんで、ちょっとのんびりしすぎちゃってんですけどね。だから、息子が私に言ったんですよ。「お母さん暇でしょ」って。確かにそうだねって、6月ぐらいに。本当は息子がね、やりたかったんですよ。彼は映像の仕事をしていて、で、いろんな人に聞いたり、話をしてるんだけど、自分は駒沢に住んでないし、夏はずっとなんかロケが入ってるから。で、「お母さんやる?」みたいな。

 とりあえず話聞いてみようと思って。で、ここで最初に集まったときに、そんな難しいことではないのかなと思って、やってみようと思いましたね。でも生活史っていうジャンルがよくわからなかったんですけど。でも、話を聞いて、そういうことかと。で、プロジェクトっていうからには、駒沢で頑張ってる人たちを応援できるのかな、と思ったけど、生活史ってそんなにね、ピンポイントで応援するとか、そういうんじゃないですよね。だから、娘の友達にインタビューしたんですけど。

実際にプロジェクトをやってみてどうでしたか。

 昔だったら、はいはいはい!って言って、ここにバーッて溶け込んだろうなと思いますけど、でもいまはこう端で皆さんを見てて、頑張れーって感じですよね。

昔の自分といまの自分になにか違いみたいなものを。

 そうそうそうそう。私みたいな、いわゆる九州博多から、さあ東京行くぞって出てきたやつは大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ。やっぱ違うんですよね。で、東京に住んでる同級生からも「まあまあ落ち着いて」って言われるくらいの(笑)。男子も女子もそうなんです。

 一旗あげようじゃなくて、錦を持っては帰らないけども、九州から東京に出たんだから次は海外しかないっていう。急になんか自分の視界が開けてきちゃうんですね。そんなこと思い出してもしょうがないんですけど、そういうことだと思います。

ちなみに子供の頃はどんな感じでしたか?

 子供の頃は、つまんない真面目な子だったと思います。先生の言うこともばっちり守るし、いわゆる優等生だったと思います。中学もまあまあそうかな。勉強頑張って、部活頑張って、っていう感じですよね。

 言うの恥ずかしいんですけど、体操部だったんですよ。そうやって高校も体操やって、体育大学か教育大学に行くかっていう話もあったんだけど、いや、このまま体操だけやっててもバカになるぞと思って、東京の面白そうな大学行きます、って感じです。やっぱりティーンエイジャー、17、8ぐらいでなんか視野が開けたのかな。

どこでもね、楽しいかな。その点、夫と気が合うのはよかったです

自然に東京行こうって思われたのか、結構悩んだりされたのか。

 いや、それがね、悩めばよかったんですよ。というのは、兄がもうすでに2年前に東京の大学に来ていて。で、父はけっこう昔に亡くなったんで母が一人残されるわけです。それに関して当時の私は一人置いてってごめんねっていう気持ちもぜんぜんなくて、本当に自分だけのことしか考えてなかったと思います。行きたいんだからって。「地元の大学に行けばいいじゃない」っていうのは、いや、あの大学に行きたいから。私はね、ラグビーが好きなんだからね、あの大学行くしかないのよって。

 そこの大学で同じクラスメイトだったいまの夫と知り合って。で、夫と趣味は合ったんですけど違ったのは、彼は昆虫採集をやってたんですね。ちょうちょね。そうすると、日本のみならず、他のところのも欲しいわけですよ。で、「今度インドにちょうちょ取り行くんだけど行く?」っていうから、行ってみようかなと思って(笑)。そっからですね。ちょうちょも取ったこともなかったんですけど、まあ取れば楽しいし。

 …だから東京じゃなくてもよかったのかもしれないんですけどね。そのときは本当に知らなかったですね。大阪っていうのも別に考えもしなかったし、東京しか知らなかったですよね。こういう話をしてると、もう年取ったなっていう感じです。

 …子供が駒沢で学校に行っている間はPTAの仕事もさせてもらったし。PTAの仕事をすると、地域の人ともよく話しますよね。で、仕事上、商店街のこともやりましたし。なんかここら辺はちょっとみんな知ってる人ばっかりみたいなところがあります。

ご自身にとって駒沢はどんな町ですか。

 駒沢公園があって、世田谷マダムがどうのこうのとか、色々ね、テレビでは言いますけど、そういうのはぜんぜん感じなくて。昔からいらっしゃる方とか地主さんの方がいっぱいいて、いいとこだなと思いますね。別にもう発展はしなくていいので。急行も止まんなくていい(笑)。

お話を伺ってると実行力がすごい。世界一周とか、経営者の右腕みたいな結構大変なことでも迷ったりせずに、すっと動かれる印象で。

 よくよく考えると、できなかったのになぜ引き受けたの、って自分に言ってますけど。でも、どうにかなるやって思えばなんでもできますよね。

 でも、67歳ですからね。いま、夫の母は、ちょうど1年前に亡くなったんですけど、私の母が、まだ施設にいて94歳だし、衰えてきてて、それを見送らないことには、ちょっと動けないのかなと思って。ちゃんと見送ったら、2人でどこ行く? っていうのは話してますけどね。お母さんの死ぬのを待ってるとか言われるんですけど。

 老後がこんなに大変なことも、やっぱり若いときからぜんぜん考えてないし、若いときから考えてちゃんとお家を買ってるかって買ってないし。そういうのはいかんいかんと思います。

 まだ夫も働いてますからいいんですけど、老人ホーム代もけっこうかかるんだなと。私たちがバックパッカーやってたときとやっぱり状況がぜんぜん違ってるわけですから。円安ですし。でも、どこでもね、楽しいかな。その点、夫と気が合うのはよかったです。友達にも言われます。「結婚した甲斐があったね。そうじゃない夫婦もいるんだよ」って言われて。

これから行きたいところは。

 南米の方に行ってないので。ウユニ塩湖とかマチュピチュさえも行ってない。テオティワカンとか。北米は一応行ったので、南米ですよね。だから、体力のあるうちに行きたいんですけどね。昔みたいに20kgのリュックは背負えないにしても、自分の荷物は自分で持ちたいから。

 国内の方は本当に2人とも疎くて。例えば温泉とか行ってもぜんぜんわかんないんですよ。たぶんじっとしてらんない、飽きちゃうだろうなと思って。やっぱ海外行った方が、英語を話すにしても言葉が通じなかったりとか、トラブルがあったりとかしないとつまんない。あと、宿もめちゃくちゃの方がいいよねって。

学生運動だけはやめてくれ、しそうな勢いだぞって言われた

小さい頃はまじめで優等生だった女の子が、そういうトラブルを楽しめるっていう。

 高校のときも、実は東京のこの大学を受けたいんだ。で、そこに受かったので行きます、って春休みの3月に先生に言ったときに、「お願いだからお前、学生運動だけはやめてくれって、しそうな勢いだぞ」って言われた。でも、ぜんぜん興味なかったし。

先生は、そのエネルギーとか思いの強さみたいなものを感じられたんですね。

 そうなんですよ。そのときは運動部もやってて、インターハイ、国体にも出たんですよ。だけど、もう3年になる手前で一切辞めたんですよ。勉強に集中しますって言って。呆れられましたけど。でも、最初から進学クラスに入っていながら運動部に入ったのもおかしかったし。で、インターハイまで行ったのにスパッとやめて、体育大学の推薦も止めるみたいな。「お前はなにやってんだって。急にラグビー観たいとか言いやがって」みたいな。

 博多もいいとこだったんだろうけど、ここにずっといたくもないっていうか、東京に行きたいなと思いましたね。いまでこそね、ときたま博多帰る、って言っても、もう家はないんだけど、友だちに会ったりして、とっても楽しいですよね。

 なんかこうやって話してると、夫の影響もすごい受けてきてるんだと改めて思いました。どうにかなる、っていうところ。以前は、彼のそのいい加減なところが…とか思ったんです。でも振り返ってみると、結局私もそういう影響を受けてるんだなと思いますね。

お話を伺って、ご自身の中にあるコアみたいなものを感じます。

 見えちゃうんですよね。皆さんあると思うんですよね。それが、見えちゃって身動きできないんだ。皆さんあると思うんですよね。自分について話してると、出てくると思うんです。私も日頃はこんな考えてないけど、こうやって話してると、そうだった、っていう昔の感じは湧き出てきますからね。不思議なものですよね、だから、おもしろい。

生活史を聞いて:ミニインタビュー                辰口健介さん

「私はもう普通の人なんで、とくにお話できることなんて」とおっしゃっていて。それでこの話か!と(笑)

 このプロジェクトで初めてご一緒した、なにも知らない方で。

 「私はもう普通の人なんで、とくにお話できることなんて」とおっしゃっていて。それでこの話か!と(笑)。

私、この方には注目していたんです。「駒沢の生活史」の実施に気づいて、息子さんに薦めたら「お母さんが行けば」「ヒマでしょ」と言われて来ました、と。息子さんとの関係もなんか良さそうだし、ご本人の腰のまったく重くない感じがすごいなって(笑)。

 本当に。自然に動かれているんでしょうけど、「よくそんなこと」と思うようなことを同時にされていたり。まったく違うテーマを扱っていたり。

 仕事もバリバリやりながら、子ども連れて1ヶ月アフリカへ。「それ両立できんの!?」みたいな。

 エネルギーがすごい。…エネルギーなのかな。

バイタリティですかね。

 でも本人はまったく気にしていない。私だったら悩むと思う。「やってきた部活を捨てて勉強に専念するのがいいのか?」とか「慣れ親しんでた町を離れて東京に行くのか?」とか。

 そういうところで逡巡しないで「やってみよう」って。で、やりつづけるところもすごい。

 いろいろしているのに、エネルギーが拡散されていないんですよね。凝縮化したものがずっとつづいてて。「自分が好きなように」と言うけど、大きな役割も担われていて、決して「自分の勝手に」というわけでもない。

 「いま世界でいろんな戦争が起きている中で、心の底から『旅行に行きたい』という気持ちにはなれない」と話されていて、印象に残った。本人は「世界を見たい」という欲求をずっと大事にしてきて。また行きたい。でもそう思えない部分もあるって。

 それも人の目を気にして言っているんじゃない。嘘がない。

 自分が思う通りに自分を生きているけど、それがわがままじゃない。

 それって私の理想の生き方で。