第39話

「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

話し手
代女性
聞き手
伊賀原純子

お生まれはどちらですか?

 生まれは、千代田区の小川町っていうところなんです。

 神保町の隣の町で、お茶の水の坂の下あたりに住んでいたんですけれど。そこで、7年ぐらい住んで、小学校1年までいて。

 中野区に引っ越したんですけど、「絶対にこの小学校に通い続けたい」と言って千代田区の小学校にずっと通ったんですよ。

1年生になってお友達もできたし、というのがあったんですか。

 実は幼稚園からずっと、その区立の幼稚園で。

友達もいたし、あとなんかもう子ども心に好きで、その界隈が。

 「できれば中野区の学校行って」と言われたんですけれども。でも「絶対通うんだ」と言って通わせてもらって。

 そのあと中学も越境で普通に行けて、ずっと千代田区なんです。

 さすがに高校・大学はちょっと別だったんですけど。就職した会社が九段下にあって。また千代田区に戻るという(笑)。

(笑)。

 そこからまた会社が多摩センターに移ったんですけど、会社を辞めてフリーランスになったあと、その何年後かにニューヨークに行ったりして。

   ニューヨーク行って。同時多発テロがあって。

そんなタイミングに。

 ええ、そんなタイミング。マンハッタンにいたんですけど。

 マンハッタン島の、もうずっと道がまっすぐ見えるんですけれど。ほんと、うわーって。煙は上がってるんだけれど。

 寮が「92nd Street Y」(セントラル・パーク東側にある建物)だったんですけど、建物の上の方はぜんぜんほんと綺麗な青空で。

 ある意味、誰も知らなければ知らない。同じマンハッタンにいても知らない人は知らないんじゃないかっていう。

 実際、テレビを観にロビーに下りていったら、おばあちゃんたちがまだトランプやってて。誰一人気づいてない、みたいな。

 なにが起こったのか最初わからなくて。ラジオ聞いてたら、ええ? ええ? ってなって。テレビ観に行ったら、おばあちゃんたちがトランプやっていて、あれ? ってなって。

 戒厳令っていうのがすぐ敷かれて。

 別れた旦那さんが遊びに来ていて。飛行機飛ばなくて、帰れなくなって。

戒厳令が敷かれている街は、静かなんですか?

 静かだし。車も一台も通ってない。上をいつもは飛行機が普通に飛んでいるんです、マンハッタンって。

 でも、飛行機がまったく飛んでない。あと、装甲車みたいな車が街を走っていたり。いきなり、戦争ムードになってたから。

多重的な感じで見てるから、いまだけじゃなくて

 もう戦争。もう、ほんとに。

 なんか、私も心が折れたし。すごい好きだったんですよ。ワールドトレードセンタービルの象徴している、ニューヨークみたいのが。ニューヨークって、やっぱり懐の広い街だから。いろんな人種の人が楽しそうに。だから、なんで? ってなりましたよね。

 そうだ、炭素菌のテロとかも始まって。

 きっと皆さん忘れてると思うんですけど、日本の人は。

はい。私あまりわかってないです。

 ですよね。炭素菌の届いた、なんか封筒に入って届いたオフィスが、ミッドタウンの移った寮のすぐそばにあったりして。それで「もうこれはいかん」と思って「帰ろう」と思って。帰ったんですけど。

 帰ったら、実家が千代田区に戻ってたんですよ。

中野区だったご実家が?

 そう。だから、千代田区とすごく縁が深くて。私もずっと千代田区が好きで。

 やっぱり皇居ですね。

 あの皇居がね、いいんですよ。北の丸公園とかも大好きだし。あと、お濠が大きいですよね。  たっぷり水がたゆたっている。じーーっと見ると、もうそれだけで、こう幸せがじわってなるっていうか。皇居1周すると、すごくいろんな歴史のスポットもあるし。

歩いて、ですか?

 うん。いつも歩いて皇居。行けるとこは全部歩いて、隅から隅まで。

 歴史も調べて。桜田門は「桜田門外の変」で大老の井伊直弼が首を切られたわけですよ。その首を薩摩藩士が持って走った場所が、ここからここまでとか、私はそういうとこまで見ながら歩いてて。

 こう、多重的な感じで見てるから、いまだけじゃなくて。会津藩のお屋敷が近くにあったとか。そんな江戸城も、戊辰戦争以降は一時荒廃してくわけですよ。

 いまも街中に突然、石垣が残ってたりとかね。江戸城の。そういうのも、子どもの頃から何気なくその前を通ってきてたから、なんか刻まれちゃってるんですよねー。

ご家族もずっと千代田区なんですか。

 そう。父もおばあちゃんも千代田区だから。父の姉と妹も、父も、私の兄も、私もみんな同じ小学校出て。

 ニューヨークから帰ってきて、離婚した出戻りだから実家に帰るわけですよ(笑)。

 同じ区でも前とは別の町なんですけど。そこから17年くらいそこに住んで、ずっと千代田区でもうこのまんま生きていこうと思っていたら、実家のマンションが建て替えをすることになり。

 選択肢は2つ。一回どっか移ってマンション建て替えられた後に戻ってくるか、もしくはリハウスしちゃうか。

リハウスっていうのは、売っちゃう?

 うん。他のとこに移っちゃう。

 で、うちは、リハウスしちゃったんですよ。

なんで世田谷だったんですか。

 うんとね、やっぱりこう、桜新町とか用賀とか、駅前の商店街はちょっと充実してるし、少し歩くと住みやすそうだし。

 あと、砧公園の森とかも、すごい素敵だなと思ってたんで。皇居の近くじゃなかったら、もう砧公園しかないと思って(笑)。結局、砧公園の近くには住まなかったですけど、紹介された3つの中で、3番目に行ったところが、すごい気に入って。それがいま住んでいるとこなんですけど。

 気に入ったけれども、「ちょっとこの辺り歩いてみていいですか」って言って。

 そしたら、もうね、世田谷線がかわいくって!

(笑)。

 「こんなかわいい電車が走っている場所ってあるんだ」って。たった2両の電車で。線路とかも、こうクイーンと、家と家の間をクイーンと曲がってて。もう「かわいい!」って。

高い木があると、人間ってすごい安心して暮らせるから

 さらに、商店街を歩いていたら。もうね、頭の奥がじーんとしびれるぐらい、こう、古い懐かしい感じのお店とかがあって。「なにここ??」って(笑)。歩いてみたら、ほんとにびっくりして。 ほんとに素敵な商店街で。

 だから、すごい気に入ってるんですけど。住む場所としては。

 ただね、一つだけ無いものがあって。

なんですか?

 砧公園とか駒沢公園とかはいいんですけど。その間に、お家しかないんですよ。

 高い木がほんとにないの。

 ほんとに全部家ばっかりにしちゃったんだなって。

 とにかくね、木が無いな。

 もう、自分をすっぽり包んでくれる木が無いな、っていう。 

 それがね、ちょっと寂しい。もう1個だけ言うなら、それです。

住宅街だと、緑も多そうなイメージあるんですけれども。

 そうなんです。だから、背の低い木とかは、ちゃんと植わってるんですよ。

 素敵なお庭されている方もいるし。緑道もあるし。

 でね、高い木があると、人間ってすごい安心して暮らせるから。

 木の、木の下にすっぽり包まれて生きたら、人はどんなに幸せに生きられるかなって。思うんですけれども。

木はどこかに見に行ったりするんですか?

 こことここの角を曲がったら、あの家はビワの木があるとか。そういうのをものすごい見てて。それぐらいもう木に飢えている(笑)。

 「ああ、あそこに高い木があるな」とか。

とにかくね、木があったらもう行きます。木のところに。

そこにもう何年でしたっけ。

 6年ですね。

(少し沈黙)

 私、イラストの仕事を。もう28年やっているんですけど。

 会社員だった頃、編集者だったこともあって。イラストレーターになっても友達がね、編集者だから。割と恵まれていて。でも、一回、そのニューヨーク行く前に全部自分で切っちゃったんですね。

え、なんでですか?

 なんかね、ニューヨーク行く前は色々あって。その、なんだろうな、恋愛とかもしていたんですけれども、一回それも区切りをつけたくて(笑)。

(笑)

 とにかくオールクリアにしようと思って。仕事も一回全部切れちゃってもいいやって感じで行ったんですよ。

 戻ってきたらほんとになにもなくて。どうしよう、もう一回1からやり直しってなって(笑)。

 でも、そしたら読書普及のためのNPO法人を立ち上げるっていう人に会って。本屋さんをやっている人なんですけど、その人が書いた本が面白かったから、お店に行ってみたんです。

 そしたら、なんか「そういうの(NPO)やるんだけど、一緒にやらない?」って言われて。

会ったばかりなのに(笑)。

 そう(笑)。それで、それをやったら、編集者さん、出版関係の方もほんとたくさん集まってきて。そこでまた仕事がもらえるようになって。

 なんかね、すごく恵まれてきたんですよね、ずっとね。だから、すごくそういうのありがたいなと思ってやってきたんですけど。

 いまね、またちょっと新しい段階に来ていて。

はい。

 今年なんですけど。私のイラストレーター歴の中ですごい大きな変化が1個あって。

 なにかっていうと、もうね、めちゃくちゃ絵を描くのが楽しくてたまらないんです。

「あ、なんでも描けるな」って

 イラストレーターなりたての頃は、どんな仕事が来ても楽しくて。なんでも描くし、なんでもやってて。

 なんでも楽しかったのが、だんだん、だんだんと、こう、すごく自分がやりたいことみたいのが出てきて。

 今年ね、画材の銘柄を別の会社に変えたら、すごい描きやすくなって。

どんな画材なんですか?

 パステル鉛筆っていう色鉛筆よりもっとソフトな、あとこう粉みたいな。だから、すごい発色はいいんですね。これを使って描いたら、すごく上手く、なんか上手くっていうか、上手くじゃないな。上手い下手関係なく、楽しく描けるようになって。

 なんか割ともう「1発描き」みたいな感じで絵日記を描くようになったんですね。子どもみたいな気持ちで描いているんです。

 いままでは、どこかでやっぱり「依頼に応えて描く」っていうのを第一にしてきたから。イラストレーターとして、当然のことだし。もちろん楽しんできたんだけど。

 なんかほんとに、自分で描きたい絵を描きたいように子供みたいな気持ちで描くっていう楽しみが、もういきなり今年ほんと、わんって入ってきて。

何月ぐらいですか。

 6月くらいかな。今年1月ぐらいから、1日1枚絵を描くっていうのをずっとやっていて。でも、なんかそれができないときとかもあったんですけどなんとか続けていたのが6月ぐらいに突然こう「あ、なんでも描けるな」って。ほんと、その、画材ですよね。

 いままで描いていた絵って、それを1個描く。「美味しい食べ物とコーヒー」みたいな絵を描いていたわけで。そういうの、ブログの形でずっとやってきたんですけど。

 それが1枚の中に、いろんな気持ちと、いろんな絵を。こう、風景とか物とか。食べ物、人、いろんなもの、ガッて、こう全部入れて描くようになって。

ええー、楽しい。

 めちゃくちゃ楽しいんですー。たぶん、イラストレーターとしてオーダーを受けると、やっぱり真面目な絵を描いちゃうんですよ。真面目な絵から外れたくても真面目になってしまうし、痛いほどどこかでいつも「あっ」てなっていたのが、今年そのタガみたいのが外れちゃって。

 仕事では、絵本も描いてたし、漫画とか、挿し絵とか、図解とか、なんでも描いてたんですよ。全部楽しかったんだけど、今年、仕事の絵を描くときと、自分の好きな絵を描くときの格差がもうあまりにも激しく、大きく、なんかギャップができちゃって(笑)。

 だからあまりにも好きになっちゃったんですね。いま。自由に、子どもみたいに絵日記を描くっていうのが。

 もういまの私、本当に楽しくてたまらない幸せな時間になっていて。失敗してもいいし、線が残っても気にしない。多少汚れててもいいっていうぐらいの。ほんとに自由に描いてるんですけど。

はい。

 子どもの頃の自分が、いまの私を見たら「すごい、よかったね!」って、「その仕事してみたい!」っていうような、仕事できているなっていう思いがあって。

 子どもの頃は、なにになるかなんてわかんなかったんですけど、なんかたぶん、いま私がしてる仕事とか、描いてる絵とかを見たら、すごい喜んでくれそうだなっていうのが。なんか、すごい、しみじみと嬉しいですね。

それは大きな出来事ですね。

 そうそう、大きな出来事ですよね。

で、すっかり忘れてたんですけど、私、もう一つ仕事してて。

 家の中でイラスト描いてるの、辛くなっちゃった時期があって。それで外の仕事をちょっとやろうって思って。ドラッグストアに勤めたんです。

 そしたら、めちゃくちゃそれがまた肌に合う。

 ほんと、それまで接客業やったことなかったから。家でずっと、ずっとイラスト描いてた人が、できるのかな? て思ってたんですけど。やってみたらもう「これ絶対私好き!」と思って。

常に耳を澄ましていればいいんだな

どういうところが合ってたんですかね。

 やっぱり、まずお客さんとのやり取りが楽しいです。

 私、お客さんと話すの、大好きで。

 勤めているドラッグストアが、ビジネス街なんで。朝ね、シリアルバーとドリンクをばって出して、物も言わずにPASMOをピってやってすぐ行く、みたいな人がいっぱいいるところに勤めてて。ものすごいんです。早いんです(笑)。すごい楽しいんですよ。「行ってらっしゃい!」みたいな。元気に元気に、こう、送り出してあげよう!みたいな。

 ドラッグストアの仕事は、行ったその場で頑張れば、全部忘れて帰ってこられるんですよ。まったく引きずらない。

 チームワークは必要だし、それはなんか楽しくやればよくて。頭の勉強にもなるし、体も使えるしで。

 なんかそれはそっちでやって、帰ってきたら、こうじーーーっとこう、絵の世界に入ってくというのが、すごい両立しやすくて。

 私にとっては、2つともいまや天職みたいになってる。

何年目ぐらいですか? ドラッグストア。

 うんとね、10年ぐらいやってると思いますね。

 朝から入って、午後3時ぐらいには帰ってきて。そのあと疲れてなければ絵の仕事をしたり、あと文章の仕事まだちょっとやってるんで、そこら辺をやったりしつつ。(ドラッグストアが)休みの日は朝からイラストの仕事、文章の仕事もうやるみたいな感じで、もうずっと働いている。

 うん。そうだな、なんか、この話はもうしなくていいかって思ってたことがあるんですけど、それ話しとこうか。

なんでしょう?

 昨年の夏に、「ノンデュアリティ」っていって、「非二元」って言うんですけれど。「いまここに心を置く生き方」っていうのを。禅の本とか読みながらすごく勉強してて。イラストレーターしながらずっと勉強してきたんですけど。

 新しいノンデュアリティって言葉が出てきたときに、セッションを受けてみたんです。

 別に、非科学的なことはなに一つなく。ただすごく遠くの音とか近くの音とか、とにかく音に耳を澄ましていると、自然な音とか機械の音とか、すべての音に気づいていると、それだけで脳がいろんなことをぐるぐる考える余裕がなくなって。心が澄んでくるっていうことを、そのセッションで受けて学んだんですね。色んなお坊さんの本とか、瞑想やマインドフルネスの本とかで。そこからネットでも調べて。

 なんでそれをするかっていうと、頭をぐるぐるいろんな出来事に考えすぎちゃって、こう、悩んだりしないようにするっていう。

 人間の悩みって、もう頭ぐるぐる回っちゃってるところにすごく原因があるので、それを静かに落ち着けるっていうのをやってみたくなって。

 で、それをやりたいと思った原因の一つが、イラストの仕事が前ほど楽しめてないな、って気づいたことだったんですね。

 いろんな仕事に恵まれてきて、こんなに夢が叶ってるのに、なんでもっともっとってなっちゃうんだろうって。

もっともっとってなってるんですね。

 そう。もっともっと。

例えば、手しごと見学のイラストルポの仕事が来ると、その中で似顔絵を描いた方が、こちらがびっくりするほど喜んでくださって。お仕事へのこだわりとかも絵で表現すると、涙を流さんばかりに喜んでくださって。私も本当に嬉しくて。

 もっともっといろんな手しごと見学して、全部ルポにしたいとか思うんだけど、それをやるにはどうしたらいいんだろう? とか考えだすと、もう頭ぐるぐるになっちゃって。そういうのを抜け出したくて。

 非二元のセッションを受けて、「周りの音に耳を澄ます」というのが、その中の大きい一つとしてあって。それをずっとやってみたんですよ。

 そしたら、みるみるこう心が沈まって、ひらめきが増えてきて。

 そんな中で、絵描くこともだんだんこう、すごいなんか膨らんでいくんです。

 いまここにあるものを、絵を描くっていうことが、なんかすごい普通にできるようになってきたんですよ。そっからもう膨らみだしていた。

絵を描く幸せが、色濃いです

 そのセッションをしてくれた人に、「なんか質問ありますか」って聞かれて。「私はこれを始めてから悩み事がどんどん少なくなってきて、ほとんどないぐらいになって。だけど周りを見ると、すごく悩んでる友達とかがいて、そういう人たちにどうやってこれを伝えたらいいですか?」って聞いたんです。

 そうしたら「この人をなんとかしてあげようって思った時点で、その人の話をまったく聞けてない」と言われて。

 人間って人と話してても、耳を澄ますっていうことができれば、いまここにぴったりいられるし。相手の話にも、そっと寄り添えて。

 悩みとかも入る隙間もないし、生活の中で自然に、なんだろう、悩んだときにやるだけじゃなく、常に耳を澄ましていればいいんだなっていうひらめきがあって。衝撃的に。そこで、いまこの瞬間この場所に全宇宙があるんだっていうようなことが、わかったんですね。

 ドラッグストアで一期一会のお客さんとの会話も、めちゃくちゃますます楽しいし。

 絵を描くときも、なにも悩まずに。いまここ目の前にあるものに、なにか心が動いたら、それをそのまま描けばいいんだって。

なんかしようとしない。

 そう。しようとしないで。だからね、そんな風にすべてがガラッと変わったっていう出来事があって。

 でも、本当にそこまで、わりと悩みがあったんでしょうね。

自覚はあったんですか? 悩みのある。

 やっぱりイラストのことだよね、きっとね。

こういう絵を描きたい、こういうスタイルのものを描きたいっていうのがずっとあって。

 それは、さっきの話にも出てきたイラストルポっていう形なんですけど。

 仕事でもいただいていたんです。これがいちばん、人のお役に立てて、喜んでもらえて、自分も力を発揮できるスタイルだというのは、経験的にも実感としてわかっていて。

 あとはこれを、今後、仕事の核にしていくにはどうしたらいいんだろう。こういうのいっぱい描いて持ってけばいいんじゃないか。でもそれには時間がない。その時間がないのをなんかうまくやるにはどうしたらいいんだろう。ああ、なんで私はこういうのがうまくできないんだ、みたいに。こう、本当にぐるぐるぐるぐるで。

 なんだろう、欲しいものは全部目の前にあるはずなのに、なんで私の心は休まらないんだろう? ていうのがあって、禅の本とかを読んでたんですね。

そういった流れだったんですね。

 でもほんと、耳澄ます、耳澄ますと。耳澄まして呼吸法みたいのも同時に私はやるんですけど、そうするとまったく悩みのない世界に行けちゃうから。すごいなと思ってます。

 ときどきなんか、ばーんって出来なくなるんですけど、ばんってできなくなるときがなんなのかというのが最近よくわかって。

 なにかをコントロールしたいって思った瞬間に悩みって始まるんだ、というのがわかったから。コントロールしないようになった。あらゆることを。そしたら本当に悩みがなくなった。

 ときどき不安も出てくるけど。なんか別に不安っていうのも、いまここに実際にあるものじゃないじゃないですか。それはただ、不安になる幻を見ているだけで、そんなの、気分次第でいくらでも変わっちゃう。

 例えば、いまね、老後の話とか思い出して、こう一見リアルなニュースとか見たら不安になるかもしんないけど、いまここにこのテーブルの上に、実際に実現した老後は一つもないじゃない。

確かに。

 その過去とか未来とかに心を飛ばすから悩むんだけど、いまここの幸せをただシンプルに感じていれば。目の前にあることに、もっとシンプルに幸せを感じていれば、悩み、悩みは幻でしかないから。コントロールもなにもいらないじゃないですか。

じゃあいま、すごい、いい時期なんですね。

 ほんとに。なんか色々話したけど、絵を描く幸せが、色濃いです。

 絵の描き方自体はたぶんもっともっと自然と時間が積み重なる中で上手くなってっちゃうだろうし、なんかそしたらまた仕事に繋がる、やりたくなるかもしんないし。

 とにかくいまはその、子どもみたいに描くっていうことを大事にしてて。

生活史を聞いて:ミニインタビュー                伊賀原純子さん

なんか話したかったし言葉にしたかったけど、あまり話せていなかったことは、本人も嬉しいと思うんですよね。話せて。

2本目だけど、今回も原稿がまとまるの早くて。

 もういくらでもやりたい。

書くのは苦じゃないんだ。

 そう。うまく出来てるかどうかはあれですけど。

 今回は情報が多かった。いろんな話がいっぱい出てきたので、泣く泣く外したパートもあるのでそこは苦しかったけど。

 私にとって「その人らしいな」みたいなところは残した。

 より面白いというか、その人らしい。こういう思いやこういう考え、ほかにないなって。「その人ならでは」が出てるなってところを拾ったつもり。

それはどういうところでわかるの?

 どういうところだろう。あらめて音声を聞いて、楽しそうに話しているところかも。

 言い慣れてるエピソードではない、「なんとなく出てきちゃった」みたいな話。泣く泣く外したところの方はオチもあったりするけど、それよりも、「うっかりこぼれちゃった」「こんなこと話すつもりじゃなかったのに」的な話が面白い。

それはそのとき、二人の間で生まれるものだよね。

 そうなんですよね。たぶんその関係があって初めて出てきた感じがするのが、やっぱり嬉しい。

 なんか話したかったし言葉にしたかったけど、あまり話せていなかったことは、本人も嬉しいと思うんですよね。話せて。話したことで気づくことがあったり。

 自分もそうなんですけど。

 二人でロイヤルホストのテーブルを囲んで、「それでー」「ええーっ!」って、すごく面白かった。

 彼女だったから面白いというのはもちろんあるんですけど、そういうふうに人の話を聞くのを個人的にホームページでやってたこともあった。

 やっぱり楽しい。そういうのいいですよね。個人的に「聞きたいから」と。