第47話

すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

話し手
40代男性
聞き手
白石ツネリ

 駒沢ではないけど、少し先ぐらいのところ。子ども連れて遊びにくるとか、(駒沢)公園に。地元は山梨県なので、住み始めたのは結婚してしばらく経ってからですね。もう10年近く住んでるんですけど。

なぜ駒沢付近を選んだんですか?

 しばらく経堂に住んでて、子どもができて、「家探そっか」みたいな話になって。経堂からこのあたりのエリアは好きだったので、このへんで家あったらいいねって感じでしたね。

へえ。上京されたのは、大学のとき?

 そうです。山梨に18歳までいて、大学が東京だったので上京して。

仕事しだしてから4〜5年、転勤で大阪に行ってたんですけど、そっからまた東京に戻ってきて。

 (大阪に行っていた)5年ぐらいのブランクはありつつも、大学行くのに東京出てきて、そこからもう約20年ぐらい。いま一応44の年なんで。

いま、お仕事はなにされているんですか。

 一応、IT企業のサラリーマンです。仕事で言うと、なんだろう…クライアントに売る用のITプロダクトをつくる、プロダクトマネージャーみたいな仕事をしたりとか、会議のファシリテーターの仕事とか、あとは、コーチング的なことだったりとか。

 あとは大学で、ボランティアでちょっと授業やってみたりとか。

大学で授業を。

 はい。すごい面白いんですよ。それこそ〇〇さんの影響でじゃないですけど、「人の話を聞く」っていうエッセンスがある授業をやってました。

〇〇さんの「聞く」ワークショップに参加してたそうですね。

 2014年ぐらいに4泊5日のインタビューのワークショップに参加して。

 当時、広告をつくったりする仕事をしていて、チームをまとめるマネージャー業みたいなことをしていて。そのなかで、なんとなく、自分が話を聞き漏らしてる感じがするというか……してたんですよ。話は聞いてるはずなんだけど、大事なところを自分は捉えられてない気がするな、みたいな。

 5日も有給(取ってまで)ってなんだろうって感じなんですけど、でも、自分にとっては切実な問いだったというか。

 チームで働くことは、「1+1=2とかじゃなくてさ、もっと3とか4とか10とかになるんだよ」って世界観を(他の人から)聞いてたんです。でも自分がやると、「1+1なのに2未満だぞ」みたいな感じがしてて。その要因の一つに、「聞き漏らしてる感じがする」もあるのかもなって、問題意識として強く思ってて。

聞くことが、チームビルトのひとつとして大切なんじゃないかっていうのを、そのとき考えた。

 そうっすね。そこまでクリアに思えていたかわかんないんですけど。

 たとえば、人が相談に来ないなって思ったりとか。

人に話を聞いたりすることは、時間がかかるんだなって思いました

それは周りのリーダーと比べて?

 比べてとか。「聞く」がどうこうって話じゃないかもしんないですけど、でも自分のところで繋がることがあったんでしょうね。たぶんね。

 やっぱり人の話を聞いてるようで聞いてなかった…ってところまではいかないんですけど。

 例で言うと、「柔らかい相談をしたいな」「まとまってないんだけどちょっと話したいな」って状況あるじゃないですか。

 それを話されたときに、僕は良かれと思ってやってるんですけど、「あなたの話はこうで、こうで。その話からすると、この2点目のこれが足りないから、こうじゃない?」みたいなことを返す。そういうのをすぐやるタイプ。

 そうすると、話してる方は、そもそも受け取ってほしいものを受け取ってもらえてないかもしれないですし、さらには、自分がモヤモヤしてるのがバカに思えてくるっていうか。「そんなに理路整然とした話だったんだ、なんで私モヤモヤしてたんだろう」って嫌になるし。

 (相手の話の内容を)捉えてはいるんですけど、ニュアンスのやり取りはしてなかったし。

最短で相手に対していちばん良いものを渡したいなっていう思いからではあるんですけど。それ真顔でやられたら怖くないですか(笑)。

確かに、確かに(笑)。2回目行けない可能性あります。

 ちょっと考えてからじゃないとやばいんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないかって思うじゃないですか。俺が逆だったらそう思うと思うんですよ。

 あんまりそういうことを、落ち着いて考えられなかったですね。そのあたりはひとつの、人と仕事をするにあたっての大事な部分だったんだろうなと。

実際、そのワークショップに参加して、「聞く」に対する変化はありましたか。

 そうっすね。でも、すごく変わったかっていうと…そんなに違和感はなかったんですけど。いちばん思ったことは、人に話を聞いたりすることは、時間がかかるんだなって思いましたし。

 ちゃんと理解したいと思うから、時間をかけるものなんだろうな、早回しはできないなって感じました。

 さっき言ったみたいに、相手の問題点や疑問を最短で捉えて、整理して、解決策と共に渡す…なんだろう、相手を理解するのは無理だなって。時間の尺的に無理だなというのはいちばん思ったことですね。

 事実を掴むっていうことだけで言えば、最初の30分ぐらいで終わったかもしんないけど、この人がどういう人で、どういうことを大事にしてて、雰囲気も含めて、ちゃんと理解していくとすれば、少なくとも30分で終わる話じゃないなって感覚です。

会社になると時間が限られてるし、そんなに(時間をかけて)話を聞けないじゃないですか。どういう感じで活用していったんですか。

 人が話しに来たとき、確認しましたね。アドバイスが欲しいのか、ただ聞いてほしいのか、あるいはモヤモヤしてるのを一緒に整理したいのか。

とはいえ仕事なんで、あるタイミングまでになにかを納品しなきゃいけないみたいな話とか、締め切りとかはあると思うんで、そのスケジュールの中での選択肢っていうのはもちろんあるんですけど。

 あとは、自分が話を聞いたことで、すごくエネルギーが出てきてるような人がいるというか、プラスに作用してる人、聞いてもらうことがすごくいい経験になってて、エネルギーが出てくる人がいるんだなっていうのは実感したんですよね。

自分が聞くことで、相手が元気になる。

 そうそうそう。そういうことってあるんだなと思ったし、どっちかっていうと、聞いたら叩き切ってた方だから、自分はそういうことができるんだなと思ったんですよ。

 仮にテーマがなかったとしても、話したいなって思ってくれてることについてちゃんと話を聞いていくと、やっぱり相手方がパワー出る感じがしたんで。

なんか距離感が近すぎるのかな

 例えば会議見てても、不毛な話してんなって観察してると、こっちが言ったことをこの人たちはぜんぜん聞いてないなとか、対立してるように見えて言いたいこと言ってるだけだな、みたいな。結構(周りが)見える感じになったときに、その場をどう整えて、こっちがどういう意見で、みたいなことを表に出して見えるようにやったら、もっとスムーズになるよなとか。

 で、ファシリテーションも興味が出てきて、研修行ってみたり。自分ができそうだなってところを起点にしつつ、場づくりにも興味が移ってきたって感じですね。

(その人を)知ること自体、割と好きですか。

 人の話はほんとに飽きないなって思うんで、それが好きだし、結果的にそういうのが色々よく作用するシーンがあるから、それで続いてるのかもしれないですね。

 抽象的な話になっちゃうんですけど、本質的なことって大事だよね、みたいなことを言われるのを感じたことがあるんですけど、本質的なことって普遍的なことだったりするなって思うと、普遍的なものって驚きがないっていうか、違和感があんまりない。

 だから、どっちかっていうと、本質っていうよりは、その周りにある、偏境的な、マージナルなもの、そういう方が、やっぱり楽しいなって。

本質はもちろんなにかのためには大事だとは思うんですけど、ノイズみたいなものに触れるとすごく面白いなって。その人らしさ、のような話かもしれないですけど。そういうのは自分が好きなので、やっぱり個別の人の話を聞いてるのが楽しい。

で、いまはもう大学生に「聞く」を教える立場に。

 そうっすね。

 例えば、半期がだいたい13コマぐらいで、そのうち前半の方は、(学生たちが)お互いで色々聞き合ったり、こういうことに注意して聞いてみようか、っていう話をしながら体験してもらって。

 そのあと、(学生は)20〜30人ちょいぐらいなんですけど、参加者に、僕らの同級生とか、だいたい彼らより20〜25歳上ぐらいの人を紹介して、その人たちに(1対1で)話を聞いてもらう。生活史を集めてきてもらって、みんなで見て、自分たちのキャリアとかについて対話してもらう授業をやってるんです。

めちゃくちゃ面白そう。受けたいです。

 自分が就職活動してるとき、やっぱり視野が狭かったというか。結果的にいまの人生になんの不満もないんですけど、大学生のある時点で、人の話聞いたりできていたら解像度が高いというか、地続きのキャリアがあったのかなと思って。

(ネットの情報などではなく)一次情報を得られるというのは、自分がもしこの授業を受けてたら、また違う人生があったんだろうなって。

学生時代、仕事のことなんてほとんど知らないですもんね。

 本当にそうなんですよね。

 例えば13回の授業で、13回とも違う先輩が来て、こういうこともあって、こういう失敗もしたけど、いまはこんなにすごいことやってますって、成功してるような雰囲気の人たちがやってきて話をされても、ぽかんとするっていうか。

 すげえな、(自分はそう)なれんのかな、みたいな。あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど。

 まとまりきらない話を(1対1の関係性で)聞けるので、それは面白いなと思ってやってますし、評判もいいみたいなんで、何回かやってます。

家族の中でも、聞くっていうのを結構意識されたりしますか。

 難しいっすね。時間取ってそういう話ができてるかっていうと、そんな感じじゃないな。やれたらいいんだろうなと思うけど、実行するのはなかなか難しい。

 ぱっと思った理由の一つは、圧倒的な利害関係者っていうか。日常生活における関係者なんで、上下関係があるとかでもないし、そうすると、その場をあえて設定しないと、そういう状態になれないっていうか。聞く、聞かれる、みたいな関係性になりづらいのかもしれないな、とか。その上で色々忙しくて、わーって流れていくから、そういう時間を、あえて取ってみようとするのは難しいのかなって思ってますね。

 なんか距離感が近すぎるのかな。

 なんか変な話、家族って腕とか手触っても違和感ないじゃないですか。他人って触っても触られてもめちゃくちゃ違和感あるじゃないですか。

 でも家族って、いつの間にか触っても違和感なくなる。それぐらいの違和感のなさがある人と改めてその場を設定してというのは難しいなって思います。

もう抱えきれないな、潰れるって思いました

結婚して20年。駒沢付近に住み始めて10年でしたか。

 そうっすね。子どもできて10年。いま、上の子が小4で下の子が小1で、子どもができた頃にいまんところに越してきたので。

ちなみに山梨ではどの辺に住まれていましたか。

 いまは山梨県の南アルプス市っていう名前になった場所があるんですけど。昔は違う名称があったんですけど、平成の大合併が30年以上前にあって、そのときに南アルプス市っていう名前になって統合されたんですけど、見渡す限り田んぼと畑です。

 皆さんが想像するおばあちゃんちみたいな感じのところで生まれて、18歳までそこで。

 家族は3人です。両親と自分で、祖母は母方の家に住んでたんですけど、母方の祖母はもう僕が小1ぐらいのときに亡くなっちゃったので。

「将来こんな仕事がしたい」とか考え始めたのっていつ頃ですか?

 将来どんな仕事に就きたいですか、どんな夢がありますか、みたいなことを書く機会とかあるじゃないですか。そういうときに書いたものはいくつかある気がするんですけど。
 ちゃんと職業としてあった方がいいかなと思ったのは、中2とか中3とかになって、学校の先生にすごい興味が出ましたね。

 いまとなっては、本当にそのときにこう思ってたのかはわからないですけど、やっぱり学校教育が大事だなって思ったんすよ。

 いろんな子がいるんですよね。田舎なんで、収入もそうだし、文化的なこともそうだし…いろんな子がいたんですよ。それこそお医者さんの家とか、社長の家とかから、あまり裕福でない家庭の人まで、こう幅広く、小学校にいたんですけど、小学生だとそんなに関係なく遊ぶじゃないですか。

 頭いいなとか、話し合うなとか、スポーツできるなとか、小学校のときにそういうイメージを持ってた人たちが、中学、高校とか進学すると、完全にヤンキー化してて先輩に怒られてるとか、あるいは原チャを盗んでるとか。聡明なはずだったあの子が、言い方を選ばずにいうと、なんでこんなことになってんだろうって思って。

 もしかしたらね、解決策はあるのかもしれないですけど、そのとき自分の中では、「これは教育がなんとかしないとダメなのかもな」と思ったような気がします。これが教育に興味持ったのがきっかけだったかもしれないですね。

 周りの子に「わかんないから教えて」と言われて説明したりするのが、あんまり苦じゃなかったし。

大学は教育学部に?

 はい。教員免許持ってないですけど。(大学で学んで)現場の教員はめちゃくちゃ大変だと思って、実習も行かず、もはやイメージだけで自分ではたぶんできないなと思って。

 例えば30人のクラスだったら、30人全員の様子を見ながら、しかもその先に親御さんがいらっしゃって、全部に気を使いながらの365日を過ごすっていうこと自体が、もう抱えきれないな、潰れるって思いました。

大学生のときは、どのあたりに住んでたんですか?

 東京出てきてすぐは、山梨県の人あるあるですけど、西側にだいたい住むんで(笑)。

 山梨県から東京って中央線で来るんですけど、新宿が終点になるんですね。だから八王子から新宿ぐらいまでは、なんとなく馴染みがある、気になっているエリアなので、ここで突然、葛飾に住みますとか、池袋、板橋とかは選択肢に上がりづらい。

 まだここだと地続きな感じがするんで、最初調布に住んで、その次に笹塚に住んで、都営線とか使ったりしてました。

めっちゃ混んだんじゃないですか。

 混むような時間に学校に行かないっていうか。一限から全部出ますよ、という感じの生活でもなかった。

 単位は取得してちゃんと卒業するレベルには通ってはいましたけど、すごく真面目な学生だったかと言われたら、ちょっとわからない。なにかに精を出してたかって言われると、そんなにエネルギーをなにかに向けられたかどうかもわかんない。なんでしょうね、でも、ぼんやりした気がします。

大学生って、そんな感じですよね。

20年越しで一部回収しに行った感じはあります

 そうっすね。でも、最近の大学生とか、最近だからってわけじゃないと思うんですけど、(自分の)授業に来てくださる大学生の話聞くと、やたらいろんなことやってて。

 来月から留学ですとか。キラキラしてるっていうか、別に「ウェーイ」って意味でキラキラしてるんじゃなくて、自分がしたいことや興味があることに対して、すごくまっすぐにチャレンジしたりとか。こういう大学生活もあったんだって思うこともありますね。

 少なくとも自分は、大学3年生の(就職活動の)タイミングでは、なにかに興味を持ってるって感じではなかったと思う。僕はたぶん、30歳前後とかで、それが出てきたって感じだと思うんで。

 自分がきっと大学生だったら、(自分がやっている授業のように)フィールドワークがあるとか、課題をやらなきゃいけないような授業は積極的に避けてましたね。 興味があるところだったらやってたかもしれないですし、そういう授業もあったとは思うんですけど…(いま見ている学生たちは)ここに興味持つんだなっていう驚きはあります。

就職活動を始めたのは?

 大学3年生ですかね。でも、ほんとにやる気がなくて。いま考えたらやりようもあっただろうなと思うんですけど。

 僕らの時代って、リクナビとかでエントリーシートを送ったり、説明会を予約したりするのが一般的になりだした時期で。説明会予約しても行かないとか、だるいなっていうのもあるし、自分の気持ちが定まんない感じだから。

 就職しないとダメになりそうだなっていう自分も(いて)、とりあえずエントリーはする。今日、なんとか商事の説明会だなって思いながら、もう一回寝たのすごい覚えてて、それぐらい、どうしたらいいか…いまでもわかんないですけど、そのときはそのときなりにちゃんとしたいと思ってたのかな…。

 けど、自己分析も言われ始めた時期だったと思うんですけど、ぜんぜんわかんないしね。自分掘ったところでなにも出てこないし。あるいは掘ってると、どんどんわかんなくなってくる。そもそもなんの経験もないし、なにが向いてるのかわかんない。分析してどうすんのって。

わからないまま、広告のお仕事に?

 そうです。最初の会社には12年弱ぐらいいました。

 やりたいことわかんないって言っても、ある程度本心から「こう思ってますよ」ってこと言わないと、拾いもされないとは思うので、それなりには(自身のやりたい仕事の話は)したと思うんです。

 いわゆるフリーター(が増えていることが)問題になり出した時期で、就職率が低いとか、非正規の雇用が増えているのが問題視され出したみたいな時期だったんで、そういうのをどうにかしたいみたいな話を面接でして。

 「うまく意思決定できるような形で、情報がちゃんと届けられたらいいなと思ってるんですよね」と話をした気がしてます。

 これは、ずっと思ってたこと。仕事し始めてからも、いまでも大事なことだなと思ってるんで。

なるほど。

 なんのためにやってるかは、もちろん生きてくためではあるんですけど、世の中のため的な意味合いで言うと、大義もなんとなくあった。

 通常の広告会社は、当時の考え方で言うと、どうでもいいものだろうがなんだろうが、金もらえば素晴らしいものだっていう風に見せて、人に売りまくってる仕事だなって、(自分は)あんまり加担したくないなみたいな、そういう青いバンドマンみたいな感じだったんで、余計にこじらせてるんですよね。

 そうすると、広告とかものづくりには興味はあるけど、(就活のとき)余計に選択肢なくなってきて。

そのときの葛藤が、現在の大学での授業に繋がってますね。

 20年越しで一部回収しに行った感じはあります。

みんな1秒未満のコミュニケーションで生きてんだな

いま住んでいるエリアは、お子さんの教育のことを考えて決めたんですか。

 一切考えてないってことはないですけど…どっちかって後付けかもしれないですね。……でも最初にそれ(子どものこと)があった上で、選んでるかもしれないですね。荒れてないというか、ざっくり絞った上で…あとは自分たちの好み。

 僕も妻も田舎の公立小中なので、どっちかっていうと、やっぱいろんな人がいる方が自然な感じがする。本当にそれが自然かはわかんないですけど、少なくとも、自分が生まれ育った環境がそうだったから、それが自然な気がする。

 自分の子どもたちは、そういう環境じゃなさそうなので、ダイバーシティーは少ないと思うので…自分は振り返ってみれば、いろんな境遇の人がいて、広がりがあって、それでよかったなって思ってるから。そういうことが理由で争いになることもあれば、そういうこと抜きに遊べることもあればっていうことを一通り経験してるはずなので。

 そういう経験がない人だと、必要以上に(自分と)境遇が違う人を怖がったりするかもしれないし、仲良くやる方法が想像もつかないかもしれないし。(子どもは)僕らとは違う環境で育ってるから、その観点がどうなるかの不安はちょっとありますね。

 前の仕事の後輩で、〇〇に住んでて、都立校行って、私立のいい大学行った子がいたんですけど、仕事をし始めてそれまでよりも色々な人に会うようになって、初めて「自分は恵まれてたんだって思った」っていうぐらいのこと言ったときに、そうだよね、そうなるよねみたいな。

以前読んだ記事で、経営者の方が「自動車学校には初めて出会うような人ばかりだった」と発言しているのを読んで、衝撃を受けた記憶があります。

 そうっすね、そういうことっすね。難しいっすね。

 直接繋がるかわかんないですけど、この駒沢こもれびプロジェクトが「駒沢の人にだけ役立つものにしよう」って言ってたのは、なんかいいなって思って。

 いまってだいたいのものはクリックした瞬間全世界発信じゃないですか。Googleは情報を分類してくれて、自分に近い情報を選択してくれるし。それはインターネットのいいところだと思うんですけど、リアルで住んでるところとはまったく離れた形で、(自分とは異なる)他の方がいるってことは想像しないで過ごすじゃないですか。世界には自分と似た人種しかいないって思いながら過ごす人は増えてくんだなって思うと、ローカルのためだけのメディアで、そのエリアにはこういう人たちがいるよって発信されたりするのは、微力かもしれないけど、なんか大事そうだなって。

 自分の足元のところで、もしかしたらコンビニの前でたむろしてるような人もいるかもしれないし、学者の先生もいるかもしんないしとか。いろんな人がいるよねって感じが、生でわかるようななにかが…それが教育なのか、街の設計なのか、メディアの運営なのかわかんないですけど、そういうのができたら、なにかしらにはなるかなと思ったり。


 あとは、いろんな境遇の人がいる中で、「この人わかんないから話聞くのやめよう」じゃなくて、「一旦話聞いてみようかなみたいな」という人が増えてくると、少し平和な世の中に…。

ほんと、そうですね。

 いまはインスタントな情報で、どれだけクイックに判断していくかがメインの世界だから。

 大学(の授業)で、ひとりの学生が「コンテンツ力」って単語を置いてて。自分のコンテンツ力を気にしてる、みたいな。それがどれぐらい一般語なのか、その方が話した言葉かわかんないですけど、確かに自分のコンテンツ力を常に考える世界なんだって。通常だったらウェブ広告屋しか考えなかったようなことを、日々みんなが考えながらやってんのかと。みんな1秒未満のコミュニケーションで生きてんだなって。

 だからいまもそうですけど、こういう(1対1で話す)のはやっぱり増えた方がいいだろうなと、切に思います。

生活史を聞いて:ミニインタビュー                白石ツネリさん

でもミラーボールには何面もあって、後ろ側もあって、そこが少しずつ見えてくると「ああ。こんな形してたんだ」とわかる

 「話し手がまだ話してるのに別の話を振っちゃった」とか「舟漕いじゃったな…」という反省が1本目であったので、この2本目はそうならないよう意気込んだけど、あらためて読むとめちゃくちゃ漕ぎまくっていて恥ずかしい(笑)。

 「あ、やばい。話をつづけなきゃ」という焦りが見えました。

 インタビュー自体はとても楽しかった。けっこう田舎で育って、いろんな人がいて、そこから教育に興味を持ったとか。(「駒沢の生活史」の同じ参加メンバーだったけど)一度も喋ったことのない人で。

 姿形が見えないところにパズルが一つずつはまって、少しずつ姿が出てくる感じがよかった。

語ることで見えてくる。

 ほんの0.0001%でしょうけど。ちょっと顔が見えてくる感じ。で、もっと聞きたくなって。

 その人が生きてきた足跡みたいなものを聞くのは面白いなって、あらためて思いました。ビジネスで、テーマを決めてきくより。

最初から見えているものって、なんなんでしょうね。

 見えてるのもその人であることには変わりないけど、例えばSNSで見せる姿とか、仕事相手に見せる姿って、ミラーボールのキラキラした一面。

 輝いて見せたりしてるのかな。

 でもミラーボールには何面もあって、後ろ側もあって、そこが少しずつ見えてくると「ああ。こんな形してたんだ」とわかる。それが生活史。キラキラした前面に出てる部分、ではないところを見れるのが生活史のインタビューなのかも。自分のいいところを話さなくてもいいという。

「人は多面体」という喩えはよくあるけど、「ミラーボール」は初めてかも(笑)。

 本人が「話すほどでもない」と思っているようなところを聞くのが、私は面白い。普通の暮らし。その話になんの教訓もないような。でもそれがオリジナルなんだよなって。

 なんのオチもない。なくてもその人が伝わってくる。

刺さろうともしていない。

 そうですそうです。そういうのが全然見えないから。