駒沢の生活史について
街ですれ違う一人ひとりに、かならず何十年分かの体験があり、その人が味わった時代と社会がある。
生活史は誰かが整理した歴史とは違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、聞くことを通じて姿をあらわします。
「駒沢の生活史」の土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房) があり、多くを踏襲しています。2023年後半に「駒沢こもれびプロジェクト」の一角で検討が始まり、岸さん等の了承を経て本格的に進めました。
2024年
5月 参加メンバー(聞き手)募集開始
6月 イベント「生活史の面白さは、なに?|柴山浩紀(筑摩書房)」
7月 70名近い応募を40名に絞り、キックオフ。講座「生活史の聞き方」

8月 それぞれが「話し手」(駒沢で生まれ育った or 人生の一時期をすごした人)を見つけて交渉。講座「生活史の書き方」

9月 最初の原稿が届く
2025年
3月 最後の原稿が届く
4月 公開形式の検討と構築
6月 掲載開始(以後2026年5月まで週一で公開)
私はこのプロジェクトのまとめ役を担いながら、一年以上の道行きをメンバーと歩いてきました。
少しづつ届く原稿を読みながら、「こういうプロジェクトだったんだ」と、事後的にわかってきたことがいくつかあります。
聞き手には「駒沢について話してもらわなくていい」「一言も出てこなくても構わない」と伝えていました。自然に出てくる方がいいし、駒沢とか、なにかについてでなく、その人の人生に関心をむけてと伝えた。
結果的に、それぞれが体験した駒沢が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。
それでも何本か読んでゆくと、小さな断片が集まるようにして「駒沢」の姿が立体化してくる。その姿は一面的でなく、見る角度も、時代もさまざまで、全体を視野におさめられない大きな地形というか生き物を観ている気持ちになります。そのつかみ切れ無さがリアルで大変面白い。
私は、知っているような気でいた駒沢のことを、まるでわかっていなかったことがよくわかりました。
同時にこの試みには、「限られた小さなエリア」でやるよさがあると思いました。
私自身は別の沿線の別の街で生まれて、そこで暮らしています。このプロジェクトには同じく別の街の人も多くかかわっていますが、それでも聞き手の半数ほどが、駒沢で生まれたりいまも住んでいたり、この街とつながりのある人たちです。
その彼らの方が、より面白い体験をしている気がします。
自分も行ったことのあるファミレスの、別の日の別の人の目を通じた情景。ランニング中に見上げるマンションのどこか一室でいまも流れているだろう時間。
私は私の目で世界を見て、私の前にあらわれたものが社会であると思っているけど、併行して流れている無数の時間があって、それらが不意に流れ込んでくるような不思議なこの気持ちは、同じ街の人たちの方がより感じているんじゃないか。
行き交う人の姿や、街の景色が、すこし変わって見える喜びもあるんじゃないか。

小さな街に限らず、たとえば一本の川に沿った流域、一つの山の裾野、学校や会社のような息の長い場所でいま暮らしている人々が、互いに聞いてつくる「生活史」は本当に面白いだろうなと思う。その人たち自身にとって。
「駒沢の生活史」にかかわってくれた聞き手のみなさん、応じてくれた話し手のみなさん。ありがとうございました。
駒沢の人も別の街の人も、どうぞお楽しみください。
西村佳哲w/熊谷麻那、望月早苗 illustration: 加藤千歳