野沢龍雲寺が伝える、暮らしの中の禅の教え。日々の暮らしに句読点を打つこと。<vol.2>

インタビュー

野沢・駒沢エリアにある龍雲寺の住職・細川晋輔さんに話を伺うインタビュー。vol.2ではテーマは「禅とは何か」です。禅とは、特別な能力を得ることでも、悟りを開くことでもありません。それは、外へ向き続けている意識を、内側へ戻す時間だと細川住職は語ります。

ニュートラルな自分に戻ること

そもそも「禅」とはなんでしょう?

【細川】ひと言で言うと、禅とは「心」の名前なんですよ。人を好きになったり、嫌いになったり、楽しいと思ったりする心というのは、あるように思えても、取り出すことができません。捉えどころのない心に「禅」というあだ名をつけて、追求していこうということです。

「あなたは誰ですか?」と聞かれたときに、「細川晋輔」は親が付けてくれた名前だし、「男」はただの性別だし、「龍雲寺の住職」も役職でしかない。さらに「阪神ファン」とか言うと、もう意味がわからなくなる(笑)。

そうなると、私自身を表現できる言葉は何にもないんですよ。だからこそ「禅」という名前をつけて、坐禅を通して心を見つめていく。外に向かってるベクトルを、内に向けてくというイメージです。

私たちはどうしても、外に答えを求めてしまいます。私の正体は本屋に行ったら見つかるかというと、そうではありません。自分を見つめる時間を持つことによって、言葉では表現しきれない本当の私自身—禅と名付けた自分を探してくのが、禅の修行なんですよね。

そのための方法のひとつが、坐禅。

【細川】そうですね。坐禅は手段のひとつだと思っています。言ってみれば「引き算」なんですよね。人は生まれたときに自分を持っているんですけど、学校や社会に出ると、身を守るためにどんどん鎧を重ねていく。そうすると本当の自分が見えなくなってしまいます。坐禅は、その鎧を剥がしていく作業です。そうすることで、生まれながらに持ってる、本当の自分の心に気付けるんじゃないか、という考えです。

もちろん、鎧は身を守ってくれますので、社会で生きていくためには大切なものです。ただ鎧が重すぎると、身動きを取れなくなってしまう。ストレスや肩書きに押しつぶされそうになることもあるでしょう。そんなとき、鎧を外していくひとつの手段が、坐禅になればいいなと思っています。それが龍雲寺で行っている坐禅会や写経会にも繋がっているところです。

坐禅をしていると、「自分を見つけた」という実感を得られるものなんでしょうか?

【細川】京都での9年間、毎日坐禅だけをしていても、「出会えた」と感じたのはたった数回なんですよ。3時間坐禅をしたら3回会えるという簡単なものじゃありません。むしろ人生かけて一度会えるか会えないか、という時間軸だと思うんですね。

実は皆さんも、ふとした瞬間にどこかで会っているはずなんです。すごく綺麗な景色を見たときや、人生の中の大きなシーンで、何かしら自分の心に気づいている瞬間は絶対ある。ただ、あるにはあるんですけど、霧深くて見えない。それを探していく行い自体が、とても尊いんじゃないかな。

言い換えれば、自分らしくいられる時間ということでしょうか?

【細川】確かに。でも、「自分らしさ」というものも、すごく難しいところがあります。社会では必要な場面もあれば、そうでない場面もある。それを使い分けていくのも、禅の教えだったりするんですよね。

使い分けることも可能なんですか?

【細川】なんていうんだろう。「自分らしく」というと、「自分が、自分が」と、リーダーにならないといけないようにも思えますよね。でも主体性を持って脇役を一生懸命したりなど、あくまで大切なのは「主体性」です。主体性を持って主役になってもいいし、主体性を持って脇役に徹していくのも、すごく必要なんですよね。

だから私の9年間の道場は、むしろ「自分らしさ」を消していく修行だったんですよ。

そうなんですね。

【細川】決まりに従って、自分らしさというものをなくしてみると、いざ社会に出てきたときに、「自分らしさ」への捉え方が変わっていきます。だから最近言われる「自分らしさ」は、どこか狭い意味になっている気がします。やっぱりリーダーにならなきゃ自分らしくない、というような。そうじゃなくて、自分の役目を主体性を持って選べるか、やり切れるかというのが、すごく大切なんじゃないでしょうか。「自分らしさ」は一見いい言葉ですが、捉え違えると危うさもあります。

我が出ちゃったり。

【細川】そうですね。我が出ちゃうと衝突の元になっちゃうので。それをうまくコントロールしていくために、やっぱり本当の自分と向き合う時間が必要なんじゃないかなと思ってます。

ゼロに戻るような時間でしょうか?

【細川】ニュートラルに入れるところだと思うんですよね。今、マニュアル車はほとんどないから、伝わらないかもしれないんですけど。昔だったら必ずニュートラルを通って、5速に入っていきました。その真ん中の遊びのニュートラルの部分が、私は禅なんじゃないかなと、勝手に思ってるんですよね。

朝5分だけ、自分と向き合う時間を

普段の暮らしの中で、どのように禅を取り入れれば良いでしょうか?

【細川】私は朝と夜に、必ず自分と向き合う時間をつくっています。いつもはっきり何かがわかるわけではないですが、わかりかけるようないい時間もあります。なので、そういう機会を持つことが大切ですね。それは坐禅じゃなくても、いいと思っていて。例えば公園をウォーキングしたり、マラソンしたり、趣味の読書や映画でもなんでもいいんです。朝の5分でも自分と向き合う時間を持つことが大事なんだと思います。

特におすすめは歩くことですね。歩いてると、余計なことも考えなくなる……。(結構考えるかもしれないですけど(笑))。やっぱり圧倒的な自然の中を歩けるのは、駒沢野沢地域のいいところだと思うんですよ。

私も一時期、ここから駒沢公園まで歩いて、公園を1周して帰ってくるのを日課にしていました。最近はちょっとさぼってますけど(笑)。そういう自分が立ち止まれる時間というか、心の鎧を剥がせるものを持ってる人は、きっと強いんじゃないかなと思います。

禅についての考え方を地域住民に伝えていくことも、お寺の役割としてあるのでしょうか?

【細川】そうですね。坐禅会などで毎回お話しているんですけど、禅の教えを発信するのは、すごく大事にしています。

ただ、こういう話は自分から聞きに来ないと意味がないところもあって。子どもが言うことを聞くようになるんじゃないかと、坐禅会や写経会に無理やり連れてくる親御さんもいますが、それでは意味がありません。目の前のものにどれだけやる気を持って向き合えるかだと思うんですよね。うちの坐禅会も日曜日の朝6時開場の7時開始なので、半端な人は来られないんですよ。

1時間かけて来てる人もいるので、そのやる気があって初めて、坐禅やお写経に意味が生まれるんじゃないかな。

そういう行動からすでに始まってるんですね。

【細川】そうなんですよね。だから「敷居は高く」をすごく大事にしています。敷居を低くさえすればいいってものじゃなくて。高さを乗り越える意思があって、初めて学べることって、きっとあると思うんですよね。

2年前の生ゴミの蓋を開けるように自分の心を見つめる

普段、住民の方が悩み相談も来ることもあるんでしょうか?

そうですね。坐禅会の後に相談されることがあるんですけど、私たちが答えを出すことはできません。実際に座って、自分で出す答えこそが正解だからです。私は素晴らしい助言ができるわけでも、悩み相談の専門家でもありませんが、一緒に坐禅をする。そうすると、答えは自分が導いてくれるんです。

例えば、AかBで迷っていたら、どちらを選んでも「自分が選んだ」ならそれが正解だと私は考えています。もし私が「Aですよ」と答えて失敗したら「住職のせいだ」と、怒りの感情が生まれるかもしれない。本を読んで決めたり、今だったらチャッピー(ChatGPT)に聞いてAかBを選ぶんでしょうけど。でもきっと正解にはならなくて。自分で悩んで、自分で導き出した答えであれば、たとえ失敗しても、きっと人生にとっては有意義になるんじゃないかというのが、禅の教えではあるんですよね。

振り返れば、すべての選択が正しかったという人は、ほとんどいないはずです。例えば、私は中学受験に失敗して、三宿の学校に行くことになりました。だけど、そのおかげで出会えたものがいっぱいあります。お坊さんになって、今もここに座っています。もし第1志望に受かっていたら、確かに収入は上がってるのかもしれないんですけど、今ここにはいないんじゃないかと思うんですよね。

それは自分で出した答えです。受験の結果を自分で受け止められるのと同じように、自分で決めた選択こそ、唯一納得できる答えなのだと思います。だからこそ外ではなくて内に答えを求める禅の教えが、大切に感じていただけることも、あるんじゃないかなと思うんですよね。

そういった自分との向き合い方を学べるのでしょうか。

【細川】学べるというか、そうするしかないというか。坐禅中は2〜30分座っているので、もう嫌でも自分と向き合うんです。そうすると今まで蓋をしていた思いをちょっと開けることになります。2年前の生ゴミのバケツの蓋を開けるぐらい、怖いときもあるんですけど(笑)。でも開けないと解決にならないんですよね。

まずは開けることが大事なんですね。

【細川】開けたくない箱はいっぱいあるんですけど(笑)。

普段の暮らしにも、句読点を。

細川住職は本もたくさん出版されていますが、執筆活動を行うようになったきっかけは?

【細川】フリーペーパーに文章を寄稿したことがあって。それを新潮社の方が見て、「書いてください」という熱い思いの手紙をいただいたのがきっかけです。新潮新書が私のデビューだったんですけど、全部自分で書いたので、3年くらいかかりました。かなり大変でしたが、それが自分のベースにもなりましたし、いろんなところから話をいただくようになって。ジブリから出させてもらったり、『迷いが消える 禅のひとこと』は今10カ国語ぐらい翻訳されています。これも、最初の出版を断るのは簡単だったんですけど、せっかくだから頑張ってみようとやってみたら、こんなふうになって。今も締め切りをめっちゃ抱えて大変なんですけど(笑)。

締切は大変ですよね…。

【細川】私たちの人生において、締め切りがすごく大事なんじゃないかと思っていて。締め切りがなかったら、もっといいものが出せるような気がしてしまうし、もちろんできると思うんですけど、締め切りがあるから、ある程度自分で決着をつけられます。

だから、締め切りを毎日つくっていくような思いで坐禅をしています。坐禅はまさに句読点だと思ってるんです。点と丸って100個並んでも意味が通らないんですよ。文章も点と丸を打つ場所によって豊かに、明確に、わかりやすくなりますよね。

そんな句読点のような坐禅を、人生の時間の今日という1日の中で、いかに打っていくか。打つことによって、必ず人生は豊かになると信じて、句読点を打つ時間を皆さんにつくってもらいたいと願っています。

坐禅をしても意味がないことは百も承知なんですけど、でも意味がない時間を、私たちはどこかでなくしてしまってるんじゃないでしょうか。タイパやコスパという言葉が溢れていますが、意味がないからやらないんじゃなくて、意味のないものだからこそ膨らむ世界がきっとあると思います。

vol.3では、地域に根付く寺の役割について伺いました。

細川晋輔

東京都龍雲寺(臨済宗)住職。1979年東京都生まれ。大学卒業後、京都にある臨済宗妙心寺の専門道場にて九年間の修行生活をおくる。2013年より現職。地域のお寺として、禅の教えを広めている。著書に『人生に信念はいらない』(新潮新書)、『迷いが消える禅のひとこと』(サンマーク出版)、『禅の言葉とジブリ』(徳間書店)などがある。

text / Lee senmi photo / Wakana baba

『今日の駒沢』編集部

駒沢エリアの情報を発信するウェブマガジンの編集部です。駒沢大学駅に隣接した商業ビルの運営・施設管理・テナントへの賃貸業務を26年、株式会社イマックスが、駒沢エリアに住む人、働く人、活動する人…とたくさんの市民の方々と一緒に運営しています。「駒沢こもれびプロジェクト」を通じて、駒沢エリアに関わるすべての方々に役立つ情報を発信しています。