野沢・駒沢エリアにある龍雲寺の住職・細川晋輔さんに話を伺う3回目。今回は、茶室に飾られた「猿猴捉月図(えんこうそくげつず)」という掛け軸を入り口に、「苦しみ」の正体について考えます。さらに地域にとって変わらない風景であり続けたいと語る、細川住職の思いを伺いました。
必死に掴んでいる左手を離す
茶室に飾られている猿の掛け軸が気になります。細川住職の名刺にも描かれていますが、どういう意味の絵なんですか?

【細川】これは「猿猴捉月図(えんこうそくげつず)」という、お猿さんが水面に映った月を取ろうとしてるっていう軸ものです。下には300匹の小猿がいて、リーダーが間違った指示を出して、水に映ってる月を取ろうとしたら枝が折れて渓谷の池に落ちて301匹みんな死ぬんです。「リーダーたるものをしっかりしなさい」という軸なんですけど、江戸時代の白隠禅師という有名な方が、絵の上に十文字を付け加えて、この軸ものが完成しました。それが「何か手を離せば、深泉に没す。けれども十方光高潔たり」。手を離せば深い泉に落ちるけど、自分の体の周りは綺麗な光で満ちあふれているという意味です。
お猿さんは、水面に映った月を取ろうとして、もがき苦しんでいます。月が欲しくてしょうがない。これは、実は今の私たちのことです。まやかしの幸せを取ろうと思って、もがき苦しんでいる。でもどうしても幸せになれない。そういう人はどうしたらいいかっていうと、「左手を離しなさい」というんです。命を繋いでるこの左手を離すとはどういうことか、それを投げかけてるんですよね。
例えば私であれば、9年修行したとか、龍雲寺の住職だとか、そういうのが邪魔をして、もしかすると今苦しんでるのかもしれない。そのときはそれを手放してみなさいということです。落ちて苦しむけど、顔を上げると、今まで欲しかった月が偽物であることに気づく。なおかつ空には本当に欲しかった幸せ(=月)が、自分がもがいてる間もいつも照らしてくれていたと教えてくれる。私はそれが、坐禅の引き算にも積み重なって。坐禅で探したいのは私たちが必死に掴んでいる、左手の正体だと思うんですよね。
それがあるから、本当の幸せを取れないんじゃないかと。勇気を出して、左手を離してみる。最近、私は「握りなおし」と言っています。これまで自分が積み重ねてきた知識や経験は、20代の頃に培った常識だったりします。その通りにやろうとすると、今の自分や時代には会わずにうまくいかないこともある。だからこそ一度ほどいて編み直すことを「握りなおし」として伝えています。
英語ではUnlearn(アンラーン/学びほぐし)と言います。5歳のときに着ていたセーターをほどいて、今の自分に合うようにマフラーに編み直していくようなことです。20年前の知識や経験でずっと生きていくのは難しい。その経験を活かしながら今の自分に合うように編み直していくために、一度手放す必要があるんじゃないかと。
私たちはどうしても過去の栄光に固執したり執着してしまいます。それがあるからこそ、新しいものを生み出せなくなってしまっている。だからそれを一度手放すことで、新しいスタートが切れるようになる、そんなひとつの方法です。もちろん、それがすべてではなくて、例えばお子さんだと手放してはいけないので、必死に守りながらどうするかを、考えなければいけません。もし手放せるものであれば、一旦手放してみるのもひとつの手じゃないかという提案です。
あくまでも禅の教えは提案なんですよね。「こうしなさい」というわけでは決してなくて。そうすれば見えるかもしれないことを、250年前の軸ものが教えてくれています。私は「手放す」と「握りなおす」という言葉を大切なテーマにしていて。名刺にもこの絵を使っています。みなさん「かわいいね」って言ってくれるんですけど、実はそういう意味がある奥深さがいいなと思うんですよね。

「握りなおし」に希望が持てますね。
【細川】はい。その一言があると、受け取り方が変わってくるんですよ。「手放す」だと、失ってしまうようで怖いし、皆さんも抵抗があると思います。でも一度置いてみて、改めて握りなおすと、なにか違った一歩が踏み出せるんじゃないかなと思うんですよね。
そもそも苦しみは、「欲しい」と思う心から生まれます。欲しいと思わないことが理想だというのが仏教なんですけど、一方でそうじゃないっていう考え方も、仏教ではあって。大切なのは、欲をどう扱うか、どうコントロールしていくかということなんですね。
欲がゼロになると、やっぱりいいものを書こうとか、いい写真撮ろうという向上心もなくなるので、それはそれで人間らしさを欠いてしまう気もします。欲をうまくコントロールすれば、いい意味でエンジンのガソリンのように使えるかもしれません。
どうしても私たちは満足を求めてしまいます。全部欲しいと思うと、足りなくて欲になってしまいます。これさえあれば十分という「足るを知る」感覚を得ることができれば、必要以上に欲を掻き立てられずに、コントロールしながら共に歩めるものになるんじゃないでしょうか。

ほっと帰れる、街の変わらない風景に
お寺の地域にとっての役割はなんだと思いますか?
【細川】なんだろう。病院のようなところですよという話がすごく好きで。何か悩んだときに行ける。そのために地域に寺があるんだということを、知らせておきたいですね。だから言い方が悪いかもしれないんですけど、病院だからこそ、元気な人にはあまり意味がないところでもあると思うんですね。自分を見つめたいとか、何か人生に苦難があるという方に、坐禅というものが資するかもしれない。
もちろん、それがすべてではないので、私としては変わらない景色でいたいと強く思っています。私も大学と修行時代は京都にいましたが、今もほぼ週に1回ほど行くんです。夜の散歩で大学時代に通ってたテニスコートとか、アルバイトしていたモスバーガーのそばを通ると、前とは違うものになってるんですよ。それは寂しいんですけど、よく通ってた神社はやっぱりそのままで、懐かしくて。妙心寺も、僕らが修行していたまま、何も変わらずにある。
だから龍雲寺も、野沢駒沢の地域で育った人がなにかタイミングで帰ってきて「龍雲寺は変わってないね。懐かしいね」と思ってもらえるために、変わらない場所でいたい。
だけど、変わらないためには、めちゃくちゃ努力をしなきゃいけないんですよね。実は、仏教の「諸行無常」、すべてのものが映り変わっていくということに、大逆流してるんです

ほんとですね。
【細川】そうそう。変わってしまっていいよと思えば、もっと楽だと思うんですけど。
できたら外観はそのままでいたいし、木々も大切にしていきたい。枯れてきたりすると切らなきゃいけないけれど皆さんが20年後30年後に帰ってきたときに、変わらない景色でいるために、一生懸命チャレンジしていくことは、大事なんじゃないかなと思ってるんですよね。

野沢駒沢地域の「こもれび」になりたい
龍雲寺さんの、季節の行事や楽しみ方を教えてください。
【細川】行事もいろいろ行っているんですけど、一番の楽しみ方はやっぱり庭のお花とか木々を眺めることかもしれません。今の季節は梅が綺麗に咲いてますけど、もう少しするとカワヅザクラ、続いてソメイヨシノが咲きます。さらに八重桜やバラも咲いて。
毎日掃除をしていても、そのたびに小さな発見があります。日々少しずつ表情を変えて、違う顔になっていくので。そういったマイプレイスじゃないですけど、皆さまなりに毎日眺められる自然があるのは、きっと素敵なことだと思います。
散歩がてら、中をぐるっと歩くのも良さそうですね。
【細川】もちろん、結構いらっしゃいます。子どもたちも保育園から来てくれたり、近くの小学校が写生会にも来てくれます。もともと龍雲寺ができた理由も、地域にお寺が欲しいという希望のもとできたお寺なので、やっぱり地域のためになることは、すごく大事にしたいなと思ってます。
今後、力を入れていきたいことはありますか?
【細川】地域の「こもれび」になりたいですね。こもれびっていい言葉ですよね。例えば、夏にうちのお庭で涼んでる方がいらっしゃるんですけど、こもれびをつくっている木は、灼熱を浴びてるんですよ。頑張ってる人のまわりに木陰ができるようにしたい。お寺としては、しっかり直射日光を浴びてでも、少しでも街に「こもれび」を増やしていきたいなと。そんなふうに皆さんがちょっとずつそういう思いを持つと、きっとこの地域はいいところになるんじゃないかなと思うんですよね。
「こもれび」は冬には暖かくて、夏には涼しさを感じさせてくれます。そんな日陰を、私たちは「お陰様」と言います。陰に「お」と「様」をつけるのは、ものの陰というのはご加護の陰だからです。私たちもせっかく野沢駒沢の皆さんにつくってていただいたお寺だからこそ、私たちがしっかりと「こもれび」をつくっていきたいなと。皆さんがふと立ち寄って、座ってほっとしていただけるような場所であり続けたい。変わらずあり続けられるように、一生懸命に頑張っていきたいです。
細川晋輔
東京都龍雲寺(臨済宗)住職。1979年東京都生まれ。大学卒業後、京都にある臨済宗妙心寺の専門道場にて九年間の修行生活をおくる。2013年より現職。地域のお寺として、禅の教えを広めている。著書に『人生に信念はいらない』(新潮新書)、『迷いが消える禅のひとこと』(サンマーク出版)、『禅の言葉とジブリ』(徳間書店)などがある。
text / Lee senmi photo / Wakana baba
『今日の駒沢』編集部
駒沢エリアの情報を発信するウェブマガジンの編集部です。駒沢大学駅に隣接した商業ビルの運営・施設管理・テナントへの賃貸業務を26年、株式会社イマックスが、駒沢エリアに住む人、働く人、活動する人…とたくさんの市民の方々と一緒に運営しています。「駒沢こもれびプロジェクト」を通じて、駒沢エリアに関わるすべての方々に役立つ情報を発信しています。
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