「私、ここにいなきゃいけないような気がする」っておっしゃって。「どうしよう」って(笑)
- 話し手
- 50代女性
- 聞き手
- とりのささみこ
学生時代にすっごいハマった活動があって。
週に一回、外部から先生を呼んでいい、「教養実習」っていう授業だったんですけど。学生が興味持った人だったら誰呼んでもいいっていう授業があって。毎週毎週、面白い人に会うことができたんですよ。
例えば、作家で言うと、えー、井上ひさしさんとか。中沢新一さんとか、林真理子さんとか。あと、野村萬斎さんも来てくださって。野村萬斎さんは写真家のアラーキーさんを紹介してくれたんですよ(笑)。面白いように、いろんな人と毎週お会いすることができて。いろんな興味がこう、花開いた時期だったんですね。講演の様子をまとめて冊子にしたりとかもして。で、それが楽しすぎて。卒業したときに、そこの副手になろうって決めまして。
その大学の環境も、自分に合っているなと感じて。
はい、すごく居心地が良くって。自由な校風っていうんですかね。規制がないというか。のびのびしていたというか、そんな印象の学生時代ですね。
わりと子供のときも、みんなと一緒じゃない方が好きっていうか……自由っていうか(笑)。「みんなと同じことやんなきゃいけないのかな?」みたいな疑問は抱くほうで。
うちの母は、先生の言う通りにしてほしいタイプだったんですけど。母の妹の叔母たちが、私の自由な考えに共感してくれる人たちだったので。
叔母たちには結構、本当の自分を見せられたんじゃないかな? 母の兄弟が、全部で4人、いるんです。すぐ下の妹が、文化的なことが好きだったので。叔母と一緒に映画見に行ったりとか。美術館行ったりとか、よくしてました。
(大学の)副手という職に就かれてからは、そのゲストを呼ぶ授業を専門にやっていたんですか?
そうですね。またまた、さらにいろんなゲストとお会いできたので。本当に若い頃にそういう一線で活躍する方々のお話を聞けたっていうのは、心の栄養が豊かだったなと思います。
かなり幅広い分野のことを、学べたんじゃないかなと。
あの、西村さんにも言われたんですけど(笑)、「心の興味が全方向に開いてますね」と。「まさに!」と思ったんですよね。普通、ひとって、たとえば映画が好きだったら映画を極めるとか。スポーツが好きだったらスポーツを極めるとかになると思うんですけど、(自分は)気になるものがありすぎてですね(笑)。
すごいいろんなところにひとりで行ってます
じゃあ副手として働かれてたときも、「次はどんな仕事をしよう」っていう興味が湧いたり?
ありました。就職をしたときから、4年の任期っていうのは決まっていたので。で、次の道をすごい模索しましたね。
自分が他のひとよりやったことってなんだったんだろう? って思ったときに。すごいお休みが長い仕事。春休みとか夏休みとか冬休みとかがあったので、旅行してたんですね。それで次は旅行業に行こうって決めまして。で、英語ってそこまですごく……流暢に喋れるっていうレベルではなかったので。違う言葉やってみようと思って。「フランス語だ」って、なんとなく思って。フランスのカンヌで、フランス語を少し勉強したあとに。
カンヌで?
はい。カンヌもすごく楽しくって。行ったらもう、なんでもやりたくなっちゃうわけですよ(笑)。
ラッキーなことに留学したのがカンヌ映画祭のサポートをしている学校で、映画祭のパスをもらうことができまして。すごいたくさんの映画をそのときに見て、レッドカーペットも歩いて。で、カンヌとモナコがすごく近くて。で、もうこうなったらF1も見ちゃおうって。
F1!?
F1(笑)。当時、アイルトン・セナっていうすごい有名なドライバーがいて。レーサーっていうのかな? 「レースを見てみたい!」ってなって、あらゆるコネクションを探して。ようやくチケットを入手することができまして。
行ったんですけど…そのちょっと前のレースでセナが亡くなっちゃったんですよ。そう。で、そこで追悼の画像みたいなのが流れていたっていうのが、すごい記憶にあります。
それはおひとりで?
ひとりで行きました。
ひとり旅が多かったですか?
あ、そうなんですよ。めちゃめちゃひとり旅派で。すごいいろんなところにひとりで行ってますね。
初めてひとり旅をしたのは?
は…どこだったんだろう? フランスとモロッコ。
モロッコはお友達と2人で行きまして。その後のパリは一人だったんです。
モロッコを……いま思えばすごい無謀なんですけど、自由旅行しちゃったんですよ、女の子ふたりで。すごい砂漠の中を、地元のバスで移動して。で、当時、ガイドブックが『地球の歩き方』ぐらいしかなくて。それでもモロッコの田舎のことなんて、ぜんぜん載っていないから。いつバスが止まるかわかんないので、2人で、なるべくお手洗いを我慢しないとねっていうことで。なんか、水分を我慢したり(笑)。
めちゃめちゃ我慢に、我慢のつぐ旅で。で、私たちはサハラ砂漠に行きたかったんですけど、そのバスの着地点からサハラ砂漠までは3時間あるっていうことが着いてからわかって。お友達と、「じゃあ、作戦会議しよう」とお茶してたら、隣の男性2人組が「僕たちは砂漠の近くまで行くから乗せてあげるよ」って言われたんですね。
「ぜんぜん過酷じゃない」って思って
いまの私だったら、絶対その当時の私を止めてると思うんですけど(笑)。お友達が、「この人たちは身なりがいいから、たぶん大丈夫だから、行きましょう」って。で、私も当時フランス語ができないので、ここで一人で取り残されたらピンチ!ってなって(笑)。
それで、その方たちにサハラ砂漠の近くまで送っていただいて。
大冒険だ。
大冒険でした。

その方たちは……後から思えばすごくいい人で。お家に呼んでくださって、奥様がクスクスっていう地元の料理をつくってくださって。で、外に絨毯が敷いてあって、ご主人はなんかこう上席みたいな絨毯にいるんですけど。私たちも「その絨毯に寝そべっていいよ」みたいなことを言ってたかと思うんですけど。いきなり人のうちに行って寝そべるってことにちょっと馴染みがなかったので(笑)。すごい緊張しながらクスクスを食べて、ミントティーをいただいたんですけど。でも、すっごいそれが美味しかったんです。
すごい経験。そこから、またパリへ行ったんですね?
そうなんですよ。それはすごい昔から行きたくって。で、パリに行ったら、「ぜんぜん過酷じゃない」って思って。すごい、もう天国だ!と思いまして。いろんな美術館行ったり、いろんなレストラン行ったり。カフェでお茶飲んでいるだけでなんかすごい自由を感じる空気感があって。もう、もう大好きになりましたね。
カンヌでフランス語を勉強したあとは、じゃあ、旅行のお仕事を?
はい、そうですね。フリーでツアーコンダクターができるっていう組合に登録をさせていただいて。
いろんな国に行って。1年間の終わりの面談のときに「年間200日海外に行ってます」みたいな言われたときに、「あ、そんなに行ってるんだ~」って。
ほんとに毎日が目まぐるしすぎて。で、これやっぱり仕事にしてると旅を楽しめないなっていうのをどっかで感じた時代でもあったのかなーと思います。
お仕事自体は?
すっごい楽しいんですよ。もう毎日、例えるなら竜宮城にいるみたいに。次はここの国、次はこの国、みたいな。ハワイにしばらく行った後に、スイスのトレッキングとか。
フランス語やっててよかったのは、FIFAのワールドカップ関係の添乗を、フランスでワールドカップがあるときにちょっと行けたりとかしたので。
あと、コルシカ島も。コルシカ島は、自分にとって、音楽。ポリフォニーっていう音楽にすごい興味があって。地声を出して、こう合唱するみたいな音楽なんですけど、そこの聖地でもあったので、そこでCDを買って帰りました。
でも自分で旅行するのと仕事とでは、ちょっと違うと。
「あ、ここ、私、どこにいるんだっけ?」みたいな(笑)
そうですね。もちろん、お仕事も楽しくて。いろんな人とのコミュニケーションや関わりも楽しかったんですけど。やっぱり体がこう、どんどんついていかなくなって。
目覚めると、「あ、ここ、私、どこにいるんだっけ?」みたいな(笑)。そういう目覚め方、あんまり良くないなと思って。
で、次に、内勤をしようと、思考が変わって。
ある会社の旅行事業部に入りまして、ハネムーンの専門店に所属しました。
そこも、めちゃめちゃ楽しくて。自分でコースを考えていいんですよ。当時、私が考えていいなと思ったのは、モーリシャス島の旅行で。行ったことはなかったんですけれども、いいゴルフコースが安価で楽しめたり、観光にすごい力を入れている島だったんですね。で、モーリシャスの航空会社の方に聞いたら、そこの地元のホテルって全部満室にしなくって。部屋が1個、2個不具合があってもお客様が移動できるような配慮をしてるっていうのを聞いて。「これはもう安心しておすすめできるな」って。
あと、モルディブに当時すごい引き合いが多くて。ずっと水上コテージだと高いので、半分はビーチヴィラにして、で、半分は水上コテージ。
そんな旅行を企画して、自分で販売ができるっていうのはすごい幸せだったなーと。
どれぐらい続けてらっしゃったんですか?
はい、もう続けられるなら果てしなく続けたかったのに……
1年後、アメリカで…起こったんですよ。9.11。あと、SARSっていう病気があって。この2つが起こったことによって、旅行に行く人が激変して。そこの事業部が閉まっちゃったんですね。
それである日社長に呼ばれて、「ウエディングやってみない?」って言われて(笑)。
ハネムーンの母体の会社がウエディング業だったんです。で、ウェディングのセールス&マーケティングを、7年ぐらいかな? やりました。
でも、やっぱり……その会場はゲストハウスだったので。なんかちょっとこう……もうちょっと違う方がいいのかなって。
自分の中ではちょっとしっくり来てない部分があって。
そのあと、ホスピタリティで有名なホテルが東京にオープンして。「受けてみよう」って思って。で、受けて。そこで、しばらく働く形になりました。
ホスピタリティっていうところに興味があって。ゲストハウスの旅行事業部の上長が、海外の同じ(系列の)ホテルに行ったときに「すごい経験したんだよ」って、もう目をキラキラさせて言うから、「え。どんなことなんですか」って聞いたら。シンガポールだったと思うんですけど。「カップ麺食べようって思い立って『お湯ください!』ってルームサービスのひとに電話したら、すごいんだよ。お湯の他に、どうしてかわかんないんだけど箸とレンゲを持ってきたんだよね」って。すごくないですか? お湯しか言ってない。
しかも電話で頼んでるから、なんでその人がカップ麺を食べるっていうところに繋げたのかがまったくわかんないんですけど。そういうサービスってなんか素敵だなって思って。
それで、そのホテルで働きたいと思って。もちろんそのときもすごく入社したいと思っていたホテルで、やりたい仕事だったので。自分の中では「幸せだなー」って感じる瞬間がすごいあったり。お客様との繋がりをすごく大事にするホテルだったので。
ゲストハウスのときは、結婚式が終わったらその後(新郎新婦に)お会いするっていうことはなかなかなかったんですけど。ホテルっていう業態だったので、記念日にお戻りのお客様がすごく多かった。結婚式後にも携わることができたっていうのはすごい良かったなーと思いました。
やっぱりそのお客様との繋がりがいまでもいちばんこう……なんだろう? 宝物というか。それはありますね。
お手紙をいただけるようなお仕事だったなって
旅行もウエディングもすごい繋がってるなと思うんですけど、イベントが終わった後にお手紙をいただけることが多くって。
「ロンドンではありがとうございました。こうこうこういうことが、いまでも記憶に残ってます」とか。あとウエディングでも、「ホテルで式を挙げることができて幸せです」みたいな。両方ともたまたまなんですけど、そういうお手紙をいただけるようなお仕事だったなって。
ちょっとまたツアーの話に逆戻りしちゃうんですけど。
すっごいこう、たくさんのお友達ができたツアーがあって。パイプオルガニストの先生が主催の、パイプオルガンを弾く人と、それを聴く人を集めたツアーがあったんです。普通、旅行会社が手配したら、部屋のタイプを間違えたりとか、お弁当の数を間違えたりとか、時間を測るのを間違えたりしないと思うんですけど、そのとき手配したのが現地のオルガン奏者の方だったんですね(笑)。
だからもう、なんか本当に(笑)。男性2人組なのにベッドがダブルベッドだったりとか。部屋割りがすごいぐちゃぐちゃだったんですよ。
着いてからそれが判明するので。私ともう一人のツアーコンダクターの人が、本当に寝る時間がまったく、ほとんどなかったし、フリータイムもほとんどなかった、すごいハードなツアーだったんです。
で、そのツアーの中で、ちょっとマイペースな方がいらっしゃって。あの、急にいなくなっちゃったりとか。
あら、ちょっと困る。
そうなんです!(笑)。で、「行きますよ、出発の時間ですよ」って、お声がけするんですけど。「私、ここにいなきゃいけないような気がする」っておっしゃって。「どうしよう」って(笑)。
そうこうしてて、あまりにもハードなので。その当時の学生さんたちが、協力してくれるようになりまして。
で、ツアー後半に「今日、○○さんいますよ」「○○さんいますよ!」みたいな。みんなちゃんとお声がけをしてくださるようになって。
いまは、当時学生だった参加者は、パイプオルガニストになったり、指揮者になっていたり、パイプオルガンの指導者になる方がいたり。それぞれなんですけど、本当にいまも、関係性が続いている。
そこのツアーはすごく大変だったけど、その後に残してくれたものがすごく大きかったなーと思います。
ホテルは、どれぐらいお勤めだったんですか?
すごい長かったんですよ。13年ぐらいいて。
で、その後に。「13年か……」ってなって(笑)。
ちょっとまた新しい体験をしてみたいなって思いまして。
当時、勤務先の元同僚のパティシエが、パリの外資系ホテルのレストランで働いていたんですね。2017年に、ザルツブルク音楽祭と、そのホテルとラ・グルヌイエールっていうところを訪ねる旅を自分でつくって、そこに行く、って言ったら。「じゃあ元同僚がいるから、紹介状書いてあげる」って言って、サラサラっと、私の携帯を奪って…お手紙みたいなのを私の携帯に打ち込んでくれて。で、とりあえず予約だけして。行って、メッセージを当日見せたら、サプライズでデザートが、2皿。デザート2皿、ちょっときつかったですけど(笑) デザート2皿出て、コースの終わりにバックステージツアーをしませんか? って言われて。
その出会いみたいなものが、やっぱり自分が求めてるものなのかな
で、そのバックステージツアーの最後に、その元同僚の方が待っていて。「なんだこのホテルは!ホスピタリティすごい!」って。それで、「もっとホスピタリティを修得したい」と思って、そういう思考になって。
どうしてそのレストランに行こうかと思ったかっていうと。たまたま、山本益博さんっていう料理評論家の方がいらっしゃって。その人が、このレストランを講演会の中でお話しされたんですね。で、グルヌイエールが、すっごい行きにくいところにあるのにも関わらず「年に2回ぐらい行きます」とかおっしゃられていて。「これ、絶対なにかあるな」と思って(笑)。
で、なにに私が惹かれたかっていうと。シェフがメニューを、くしゃくしゃのボール状にして、ポンってテーブルの上に置いてあるんですっていうのを山本益博さんがお話になられていて。
「え~、そんなぁ!」って(笑)。「そんなとこあるんだ」っていうところがいちばんの興味で。で、それを、見に行こうって。
置かれてました?
はい。くしゃくしゃってなってて、本当にこう、丸まって、紙が。
潔いくらいになんにもない小さい村なんですけど。牛が放牧されていたり、庭では養蜂されていたり。その環境だけで、食材にかなりこだわってるんだろうなっていうのをすごく感じさせられて。
部屋に大きいクーラーボックスみたいのがあって。着いたらそこを開けるとアップルジュースが入っていて。
で、コース料理食べて、部屋に戻ると、食後酒がなんか置いてあったりして。「これ、究極のホスピタリティだなぁ」みたいな。
で、すごいびっくりしたんですけど。そこの厨房に日本人が4、5人働いてたんですよ。たまたまなんですけど、厨房を見学していたらその人たちがいて。外国人グループで1枚写真と、日本人グループで1枚写真と、もちろんシェフとも1枚写真をこう撮らせていただいたっていうのがすごく記憶に残っていて。
で、翌朝にお散歩してたら、その日本人のシェフチームに会うことができて。少しお話も聞いたりして。で、いまでも彼らとは連絡取り合える仲になっていて。
日本でもそれぞれ皆さん活躍、グルヌイエールから戻って活躍されていて、素晴らしいなって。
興味を持っていろんなところに行くと、いろんな人と出会える。
たぶん、その出会いみたいなものが、やっぱり自分が求めてるものなのかなって。
生活史を聞いて:ミニインタビュー とりのささみこさん
だからこそ、自分の30年生きてきたこの人生も、いいものなんだよなって
いや、いろんなとこに行きましたね。
すごく旅行されてるのは知っていたけど、話しながら「そういえば」と結構驚くような話も出てきて。本当に魅力的な人生。軽やかでいて落ち着きもある。
(駒沢の話も)当日はあったんですよ。「ずっと好きで」と。野沢や駒沢で探して、いまの家を見つけてとか、生き生き話してくださった。私の中では〝駒沢の人=彼女〟というイメージです。
「駒沢の生活史」はどうでした?
ひとの話を聞くのが前よりずっと好きになりました。どちらかというと書く方が好きだったけど、「誰かの人生を聞いて書く」のが、実は好きだったんだな。
「ひとの話ってこう聞けばよかったのか」みたいな気づきが、この歳にしてあって。
ひとの人生を聞いて書いていると、自分の人生もふりかえる機会になった。「あのときのあれってこうだったのかな」とか、どんどん楽になっていく感覚があった。
じゃあ、もっと近いところで聞いてみたいなって。
自分と同じ中高で育った人がいまどんな人生を送っているのか、めちゃめちゃ知りたいと素直に思えて。『女子校の生活史』をやろうと。高校の同級生が全員入っているLINEに「話を聞かせて」と流したら、反応してくれた。
20代前半までは、同級生の近況を知るのがあまり嬉しくなかった。自分の人生に満足していなかったので、「大企業に勤めたんだ」とか、「もう子どもいるんだ」とか比べていた時期もあり。けど「そうじゃないな」って。
むしろ人のことを知ることで、自分の人生も良いものに捉えることができるなって気づいたから。
彼女たちの人生がすごく面白くて。いまはエストニアに行ってフリーランスで働いてる子もいれば、2人目を妊娠していて育休で5年ぐらい仕事から離れる、という人もいる。
それぞれ自分がどういう人間で、どういうことをしているのが好きなのか、どんなときに楽しいのかすごく大事にしていて。彼女たちが大人になって、こんなにちゃんと自分の人生を生きていることがすごい愛しくなった。
だからこそ、自分の30年生きてきたこの人生も、いいものなんだよなって。
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