
偶然のブーケ、直感の額縁——専門外から開いた押し花の扉
花は飾って楽しむだけではなく、残せることをご存じでしょうか?
“押し花”というもう一つの命に代え、永遠の花に生まれ変わらせてくれるアトリエが駒沢にあります。『ぶるーむ』という会社です。駒沢大学駅から徒歩2分ほど。結婚式のブーケや大切な人から贈られた花束などを押し花アートに仕立ててくれます。
代表の飯澤早苗さんは、決して情熱を表に出して突き進むタイプではありません。しかし、自分の感覚に正直に、楽しみながら歩み続けてきた人。気づけばその歩みは四半世紀以上、押し花とともに重ねられてきました。


「資格ゼロ」からの出発
ではでは、最初に株式会社ぶるーむの活動についてお聞きしてもいいですか?
飯澤:ぶるーむは、結婚式のブーケや大切な人から贈られた花束を、押し花にして残すアトリエです。お花は枯れてしまうもの……ではなく、押し花にすることで残せるのですよ!をもっと広く皆様に知っていただきたいと思っています。記念日の幸せや思い出を長く残すことができたら素敵ですよね。そんな気持ちから、25年以上この活動を続けています。
25年以上って、僕とほとんど同い年です!
飯澤:あら、お互い元気に育ってますね。
今回は「ぶるーむの飯澤さん」になる前のお話も伺いたくて。会社を始める前は何をされていたんですか?
飯澤:完全な専業主婦でした。息子が2人いるんですが、ふと「子供たちもやがて巣立っていく、この先私はどう生きていこうかな?」とそんな思いが浮かんできました。そうだ私もやりがいや生きがいが欲しい!そのために仕事を持ってみよう。そう思って新聞の求人欄を見ました。応募要件はスキルにおいても、年齢制限においても厳しいものでした。であれば何か資格を取るしか道はないと決心をしました。
確かに、資格ってわかりやすい指標ですからね。
飯澤:はい。だから「私も何か資格を取ろうかな」と思い、近所の人と話していたら「インテリアコーディネーター」が流行っていると聞いたんです。仕事に就くためには資格を取るほかないと考えていたので、インテリアコーディネーター資格取得のために人生初の猛勉強をして何とか一発合格を果たしました。
一発合格!?
飯澤:すごいでしょ? ただ、その資格を手に入れて、渋谷に本社を構えるリフォーム会社に就職したんですが、毎日、数字と図面を照らし合わせる業務ばかりで……。これじゃ自分がやりたい「感性」に関わる仕事じゃないなと感じたんです。 結局1年も経たずに退社しました。

偶然と直感が導いた“押し花”の道
資格取得、就職、退社まで清々しいほどの決断力ですね。
飯澤:いえ、単に社会経験が少なかっただけです。そんな時、知り合いに「お花をやってみたら?」と言われたんです。自分にはまったくない選択肢だったので、「え、お花!?」という感じでした。 また、別の人には「人の意見に乗っかってみる柔軟性も大事じゃない?」とも言われて(笑)。それで、お花の求人を探し始めました。
それまでお花の経験はあったんですか?
飯澤:まったくありませんでした。当時は、お花の世界って経験がないとなかなか採用されなかったんですが、たまたま見つけたある花の事務所が「未経験OK」だったんです。 運転免許と車があって、オーナーを市場に連れて行ければ採用! という条件で。アシスタントとして働き始めました。
入ってから知ったんですが、その時期、彼女(オーナー)はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いのある若手のフラワーアーティストでした。某有名なドレス屋さんのブーケを作るのはもちろんのこと、そこのカタログ撮影も一手に引き受けていました。センスと才能にあふれる一方、日常生活はちょっと不器用というか…
日常生活が不器用?
飯澤:一芸に秀でた人って、日常の細かいことには無頓着だったりもして。彼女もそんなタイプでした。私が朝、市場に連れていくために迎えに行くと、部屋は散らかっていて、ゴミも置きっぱなし。それを私が片付けるような関係でした。
ある日、オーナーが「飯澤さん、押し花できるって言ってたよね。作ってあげて」とお客さんのブーケを手渡してきました。えっ、押し花って何? と戸惑いながらも、預かった以上、なんとかしなければと思い、引き受けてしまいました。
そこからはもう、人海戦術です。ママ友ネットワークを使って、ブーケを押し花にできる人をなんとか探し出しました。ただ、仕上がった作品を見たとき、自分が飾りたいと感じるものではありませんでした。額周りをどうにかおしゃれにできないかと考え、訪れた額屋さんで「マウント装飾」という技法に出会いました。この方法が、今のぶるーむのスタイルになっています。
マウント装飾とは?
飯澤:押し花を、マット紙とあわせて額に収める技法です。ボタニカルアートのようになり、これなら自信をもってお届けできると思いました。そうして準備した押し花アートをオーナーに見せたら、「いいじゃない、お客さんに紹介できそう。今後もお願いね」と言われてしまって。
押し花担当になっちゃったんですね
飯澤:はい……(泣)。てっきり一度きりのつもりだったのに。

エレベーターで紙一重の不審者扱い
飯澤:その後まもなく、高級ホテルでの結婚式案件が入りました。ウェディングブーケを押し花にしてほしいという依頼で、会場へ花束を受け取りに行くと、周囲はおしゃれな人たちばかり。参列者のなかに、ひときわ異質な雰囲気の女性がいて、思わず目が留まりました。すると、帰りのエレベーターで彼女と二人きりになり、「そのお花、どうなさるのですか?」と声をかけられたんです。無理もありません、今出席していた結婚式で花嫁様が持たれていたブーケを私が持っているのですから。
面白くなってきましたね。ブーケ泥棒にでも見えたんでしょうか?
飯澤:ちゃんと説明しましたよ!押し花アートに仕立ててお届けするということを。 すると彼女は私の話に興味を持ったようで、名刺をくれたんです。彼女が渡してくれた名刺を見てびっくり。全国版女性誌の編集長で、しかも私の中高の同窓生だったんです。
映画のような展開ですね
飯澤:本当に。私、広島出身なんですが、地元では「大学の卒業式には婚約指輪をしている」というのが一種のステータスだったんです。そんな中、上京して編集長になった同窓生の噂は聞いたことがあり、名刺を見た瞬間「あの人だ!」とすぐにわかりました。
後日、押し花アートの写真を見せたら、「これ、雑誌に載せてもいい?」と。特に断る理由もなかったのでOKすると、想像以上に反響があって。「雑誌の3/4ページ、自由に使ってPRしてみない?」と編集部から声をかけてもらいました。普通なら100万円以上する枠だったそうですが、深く考えず「お願いします」と即答しました。

掲載の効果は?
飯澤:やっぱり雑誌の力はすごかったです。反響は大きく、問い合わせもたくさんありました。 1年ほどで問い合わせは落ち着きましたが、その頃には仲間も増え、主婦3人が取り組むにはちょうど良い仕事量でした。その間お届けしたお客様が寄せてくださる感謝の言葉がすごく、メールとかない時代でしたから電話、はがき、年賀状やお子様誕生のお知らせまで舞い込んでくるようになり、嬉しさよりも驚きを感じました。これだけ多くの喜びを提供できるのであれば、もっと真面目に取り組もう!と決心しました。
活動を広めるべく、知人のつてで故郷広島のホテルの宴会部長を紹介してもらい、ホテルに入っていたとあるお花屋さんと繋がることになったんです。
これまた大きな出会いですね
飯澤:はい、そのお花屋さんは全国展開している大手企業。初年度に押し花アートが大きな売上をあげたことから、広島以外の支店にも広がり、全国の店舗で取り扱ってもらえるようになりました。これがきっかけとなり、1997年に「ぶるーむ」を立ち上げました。
子育てがひと段落してから、ぶるーむ設立までが濃いですね!
飯澤:振り返ると、たしかにそうかもしれません。私はただ、自分がやりたいことを正直にやってきただけなんです。今の若い人たちを見ていると、やりたいことがあっても、どうしても色々考えすぎて行動に移せないことが多い気がします。私も、お花を仕事にしようと決めたときから、たくさんのことが動き始めました。決断をすることで、普段見ているものが違う視点で見えるようになったんだと思います。
引越しの決め手は電話での伝えやすさ
少し時を進めて、駒沢という土地に根付いたのはどうしてですか?
飯澤:駒沢に来る前は、下馬にオフィス兼アトリエを構えていました。当時はまだGPSマップもなく、お店までの道順を口頭で伝えるのがとても大変で……。もっとわかりやすい場所がいい!と思い物件探しを始めたんです。 そして、ちょうど駒沢大学駅から徒歩2分の今の場所を見つけて、引っ越してきました。 最初はここにアトリエと作業場の両方を構えていたのですが、年月が経つうちに手狭になり、現在は作業場だけ別の建物に移しました。

ぶるーむを設立して28年。押し花を取り巻く状況に変化はありましたか?
飯澤:30年ほど前、押し花は今以上に「ホビー」としての位置づけが強く、事業として成り立たせているところはほとんどありませんでした。 最近は、プレストフラワー(押し花)を取り入れる場所も増えてきたと思います。ただ、押し花のニーズが社会的に高まっているかというと、実はそうでもなくて。まだお花は枯れてしまうと諦めている人が多いのが現状ですね。なので、「大切なお花が残せる」という事を一人でも多くの方に知って頂き、身近に感じて頂けると嬉しいです。
プレストフラワーという言葉が出ましたが、ぶるーむでは「フォーエバーフラワー」という表現も使われていますよね?
飯澤:プレストフラワーは文字通り「押し花」ですが、フォーエバーフラワーはぶるーむの理念となる言葉です。このアトリエには、120年前に作られた押し花額があります。インテリアの一部として、なくてはならない存在になっていて……。 時間を重ねてはじめて生まれる味わいがある、ということを教えてくれます。


お花だけでなく、ぶるーむの活動は職人技を保存し、後世へと繋いでいく側面もあるように感じます。
飯澤:職人さんの技術に対するリスペクトは強く持っていますし、こんな仕事があるということも知らせたいです。今、AIを活用して生産性を上げていこうという話がよく聞かれますが、押し花製作はすべて手作業。だからこそ、時間と手間がかかります。もし業務が機械化されれば、人々が求める「ぬくもり」や「人との関わり」が失われる気がします。


最後に、今後チャレンジしたいことはありますか?
飯澤:アトリエのドアが黒く重いので、人を拒否しているような感じがします(笑)気軽にどなたでも立ち寄っていただけるよう、色を変えてドアを開けっぱなしにできるといいですね。

飯澤早苗さん
広島生まれ。専業主婦、インテリアコーディネーター、花屋のアシスタントを経て、1997年に株式会社ぶるーむを設立。花が記憶する様々な思い出を押し花アートとして記録する活動を続けている。2024年には、プレストフラワーアートを広めるための団体「プレストフラワーアートプロデュース協会(PFAP協会)」を立ち上げ、押し花アートの普及に努めている。
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