
シックで美しい黒い器に並ぶのは、本格江戸前の「氷結熟成鮨」や、海外で人気を集める「Aburi Sushi」。直火の香ばしさが食欲をそそる日本的な「炙り鮨」ーー。
「回転寿司」では味わえないクオリティと「高級店」にはない手の届きやすさ。その両立を形にした、代表取締役社長の中村正剛さん。
「最高においしいお鮨を、等しくすべての人に」ーー。職人として培った発想と現場感覚に、経営者・イノベーターとしての視点を重ねた中村さん。歩んできた道のりと「Aburi TORA」へのこだわりを伺いました。

知名度なし、文化も違う。それでも「炙り鮨はいける!」という信念
33歳で単身カナダに渡り、「Aburi Sushi」を成功させた中村さん。「逆輸入」の形で「Aburi TORA」を日本にオープンさせたんですよね。「KOMAZAWA Park Quarter」(駒沢パーククォーター)が4店舗目となります。これまでの道のりを教えてもらえますか。
【中村】ぼくは宮崎出身で、22歳のときに病気を患った親族の事業を引き継いだのが始まりでした。最初の試練はその時で、社運をかけて回転寿司事業にチャレンジしました。なので、最初は職人として寿司も握っていましたよ。南九州では知る人ぞ知るブランドとなり、10店舗くらいまでチェーン展開したんです。30歳からのキャリアを考えたときに、日本でチェーン店をもっと増やすよりも、グローバルブランドをつくりたいという思いが強くなり、カナダに渡って起業したんです。

「カナダでお店を出す」と決めるのは大ごとだと思うのですが、勝算はあったのでしょうか。
【中村】宮崎時代からのうちの強み、オリジナリティは「炙り鮨」なんです。外国の方々が来店されると、みんな絶賛してくれる。その様子をみて「炙り鮨は海外でもウケるのではないか」と確信のようなものがあったんですね。それでサーモンの押し鮨にオリジナルソースをのせて炙る「ABURI押し鮨」を開発して、カナダに乗りこみました。
カナダに行くとき、なんの後ろ盾もなく単身だったと聞きましたが、お店が軌道に乗るまでは大変だったのではないですか。
【中村】それはもう大変そのものでしたよ。知名度はないし、文化や習慣はちがうし、いろんな苦労やリスクがありました。でも「炙り鮨はいける!」という信念があったので、その思いだけ持って突き進みました。
光が見えたのはいつですか。
【中村】「Miku」という最初のレストランが話題となり、首相やハリウッドスターが来店して、開店1年でブレイクスルーを果たしたときですね。それからも試行錯誤だらけなんですが、カナダで10店舗を展開するまでに至りました。

第3の寿司「ABURI押し鮨」で世界へ挑む
日本人経営者がカナダで、寿司店を成功させるというのはめずらしいことだったようですね。
【中村】そうですね。世界で成功している寿司店を経営している会社は、その国の地元の会社が多いんですよ。「寿司」自体は世界的なブランドになっているにも関わらず、日本の会社が成功している例は実はあまりありません。
そうなんですね。それはなぜですか?。
【中村】日本人は寿司を愛するがゆえに「日本の寿司」にこだわりすぎているんですよね。だからカリフォルニアロールのような「ROLL寿司」がブランドになったときも、それは寿司ではないと認めなかった。僕はどちらにもリスペクトがあるので、第3の寿司をつくろうと思ったわけです。

それが「ABURI押し鮨」だったのですね。
【中村】そうですね。日本人として、日本人が愛する寿司のよさを、海外の方向けにローカライズして提供し、支持を得たいと考えたんです。そしてそれが成功したというわけです。現在は世界で12店舗を展開しています。

カナダでの成功を経て、逆輸入の形で日本に展開している「Aburi TORA」。 後編では、そのコンセプトやテクノロジーの活用、そして11月にオープンする駒沢店の見どころについて紹介します。

Aburi TORA
〒158-0094 東京都世田谷区玉川2丁目21-1 タウンフロント 7F
営業時間:11:00〜21:00(最終受付 20:00 / L.O 20:30)
text / shino iisaku photo / aya sunahara
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